第173話 その日
R15と朝チュン注意報。
*****
運命の日がやって来た。
決意を固めてからこの日までがまず大変だった。
なんかうっかりすると「じゃあ仮死魔法。何なら今から仮死状態」と言われそうで、ものすごく怖かったのである。
やめて欲しいと言ってもやめる約束をしてくれなかった。約束は守る人だからそうしてくれれば安心だったのに、確約できないと言われた。本気を感じた。
大事にしてくれてるのは分かるんだが、どうもズレていると思う。なんでこんなのを好きになった、私……。
当日の夜、日課を終えてお風呂タイムになった。上がったら修羅場、じゃなかった、正念場が待っている。
とても気が重い。胃がキリキリいってる。
浴室を出てワンピースの寝着を着る。下着だけで出ていく度胸がなかった。
部屋に戻れば、待ち構えていたように髪の手入れを始められる。
彼は私の髪を触るのが好きで、洗いっぱなしで自然乾燥していたら「手入れしてあげる」と始まったのだ。
オイルを塗ってよく馴染ませ、温風の魔法で乾かす。すると髪に艶が出て、私も嬉しかった。別に私だって美容に興味がないわけじゃないんだ。ただちょっと、めんどくさい時があるだけで。
罪悪感と緊張でいっぱいになりながら終わるのを待った。
その後、いつもはさっさと東棟の寝室に引き上げるのだが。
ソファで動かない私を、隣に座ったグレンは不思議そうな表情で抱き寄せてくる。
「ゼニス、どうした? 明日から1人で留守番するのが不安かい?」
「ううん、大丈夫。でもあの、不安ではないんだけど、寂しいかな……」
声が先細ってしまった。
「じゃあやっぱり仮死」
「だから!」
私は慌てて言った。大きな声を出したらふんぎりがついた。
体をくるりと半回転させて、両膝で彼の太ももをまたぐ。肩に手を置いて瞳を覗くようにしながら言った。
「だから、今夜は最後までしよう。抱いてよ、グレン」
言ってしまった。はしたない、恥ずかしい。そんな思いがぐるぐる渦巻いて、目眩がした。
お風呂のお湯に浸かっている時よりも、顔が真っ赤になっている自覚がある。
でも……。
この行いは彼を騙すための決定打であると同時に。
私からの、精一杯のお詫びでもある。
男性心理など、喪女の私は分からない。ただ一般論として、好いた女を抱きたいのは自然な気持ちだと聞いた。
恋心がまやかしであっても、今は本物だと思い込んでいるなら。
せめて体を差し出すから、好きに使ってくれればいいよ。
私の体に価値があるかは知らないが、若いという点では悪くないはずだ。
これは貴方を騙して逃げ出す、私からのせめてものお詫び。そういう風に思ったんだ。
グレンは燃えるような真紅の目に夜の闇を宿して、私を見上げている。
彼はとても整った顔立ちをしているから、表情が消えると作り物のようで、少し怖い。
僅かに見開かれた瞳、長い睫毛に縁取られた真紅の両目に得体のしれない熱が灯っている。その熱量に正直、怯んだ。
「ゼニス……」
かすれた声で名前を呼ばれて、全身がぞくぞくと粟立った。
「本当に、いいの?」
「……何度も言わせないで」
こっちは一世一代の大勝負のつもりで言ってるんだから!
あぁでも、断られるのは想定してなかった。そこまで魅力がないと思い知らされるのは、ちょっと心にくるものがある。
ユピテルに帰ったら自主的に神殿入りして、もう一生、男性には近づかないで暮らそうか。
そんなことを思っていたら。
「じゃあ、始めよう。言っておくけど、もう何があってもやめないよ。覚悟してね?」
くるんと上下が反転した。いつの間にか彼の体が上にある。目線の上に真っ赤な双眸があって、三日月の形に細められた。
細くなった瞳に、でも確かに私が映っていた。私だけを見てくれていた。嬉しいと感じる心を必死に押し殺した。
体をソファに押し付けられる。彼に触れられている場所が、熱い。私まで融けてしまいそう。
いっそ本当に溶けてなくなってしまえば、こんなに悩まずに済むのかもしれない。そんなことを思う。
「ゼニス、ゼニス、心から愛している――」
うわ言のように繰り返される愛の言葉に、でも、私は応えられない。
沸騰しそうな体と罪悪感にまみれた心を持て余しながら、私は、私たちは、2人で一緒に夜の闇に呑まれていった――
++++
さて。朝チュンというやつだ。
翌朝、ベッドで目覚めた私が最初に思ったのは、そんなしょうもない感想だった。
仕方なかろう、思い出したら恥ずかしくて軽く15回くらい死ねる。ふざけて誤魔化さないとやってられない。
えーと、なんだ、とにかく、細かいことは省く。
ただ……なんていうか。大事にされるというのは、こういうことかもしれないと思った。お詫びのつもりだったのに、心も体も満たされる思いだった。少なくとも前世の乏しい経験から予想していたものより、よほど――あ。だめだこれ。これ以上は私の神経が保たない上にR18に引っかかるから省略省略。
すぐ隣でもぞもぞと気配がして、真紅の視線とぶつかった。相変わらず上機嫌に細く細められていた。
「おはよう、ゼニス。よく眠れた?」
「うん、まあ」
グレンはすごく嬉しそうに私の方ににじり寄ってきて、ふと眉を寄せた。
「あれ? 腕枕してもう片方の腕で抱きしめてたはずなのに。逃げられないよう、しっかり抱いていたのに」
うむ、途中でちょっと目が覚めた時に抜け出しておいた。前世でキン肉なプロレス漫画ファンだった私を舐めてはいけない。コブラツイストや卍固めなどの関節技を習得すると同時に、それらを回避する練習もしていたのだ。主に下の姉と一緒に。
それに比べりゃあ片腕で抱いてくるのをそれとなく外すくらい、朝飯前である。
「ん。ちょっと暑くって、途中で離れちゃったの」
私が言うと、グレンはあからさまに落胆した顔になった。
「そんなぁ。ぎゅっと抱きしめた状態で『おはよう』と言うのが、私の夢だったのに」
何を乙女みたいなこと言ってんだ。
私が内心で呆れていたら、彼は勝手に立ち直った。
「いいや、これから機会は何度でもあるよね。それよりも、昨夜は素晴らしかった……」
おいやめろ、回想モードに入るな! 何のために細かいこと流したと思ってんだ!
私は焦って、ろくでもないことを言い始めたらすぐに口を塞げるよう手を胸のところまで持ち上げる。
「ゼニスが思っていたよりずっと積極的で、可愛くて可愛くて。もうどうにかなりそうだった。最高だよ。幸せとはこういうことだったんだ……」
そう言って私を抱き寄せて頬ずりしてくる。あまり具体的なことを口走らなかったので、とりあえずほっとした。
でれでれと笑み崩れて顔面崩壊がひどい。せっかくの美形が台無しだ。
「ああ、離れたくないなぁ。このまま知らん顔してゼニスと抱き合っていたい。それとも何とかして、あなたも連れて行くか」
やめろ。やめてくれ。私は留守の時間を確実にするために体を張ったんだ。逆効果とか本気でやめて下さい。
「駄目だよ。ちゃんと魔王様をお祝いしておいで。直前になってキャンセルだなんて、大人のすることじゃない」
「うーん、そっかぁ。あなたが言うなら仕方ないかなあ……」
グレンは私の髪に鼻先を埋めながらぐだぐだしている。ほんとひどいな、本性こんなんだったのか。シャンファさんが見たら泣くぞ。いや喜ぶかも?
仕方ないので、もう一度促してやる。
「もう朝だよ。午前中のうちに出発する予定でしょう。遅刻するよ」
「あー、そうだった。まったく気乗りがしないが、やむを得ない」
そう言って頬にキス一つ。彼は億劫そうに起き上がった。
「ゼニスはゆっくり休んでね。食事は日数分用意したし、この屋敷にあるものは好きに使っていい。ただ、危ないから外には出ないで」
「うん」
「約束だよ。なるべく急いで帰るから」
彼はそう言って浴室の方へ消えていった。
私は毛布を引っ張り上げて目を閉じた。体の疲労感がかなり強い。今は休んで境界への出発に備えるべきだ。
――だからごめんね。約束は守れない。
しばらくして彼が戻ってきた気配がしたが、寝たふりをした。
もう一度髪と額に唇が落とされて、遠ざかっていった。
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