第171話 彼女の説得
倉庫からシャベルを取ってきて、シャンファさんと2人で土を崩したり埋めたりする。
グレンも手伝うと言ってくれたが、シャンファさんが断った。「何もかも甘やかすのは良くないですよ」って。さすがに元教育係の迫力だった。
グレンは仕方なく夕食の準備をしに南棟に行った。
アンジュくんとカイも引き下がったので、今はシャンファさんと私だけで土をざくざくやっている。
あ、そういえばリス太郎もいた。物珍しそうに起伏が出来た庭を探検してる。土の杭に登って得意げな顔だ。つまり遊んでるだけである。リス、役立たず!
「ゼニス」
黙々とシャベルを振るっていると、ふとシャンファさんが言った。
「グレン様と何かありましたか?」
私はギクッとして、思わず手を止めた。
「別に? どうしたの、急に」
「貴女の様子がおかしいので。そのうち落ち着くかと思って口出ししませんでしたが、そろそろ黙っていられません」
「本当に何でもないのに」
「強情ですね」
彼女はため息をついた。シャベルを動かす手は止めず、土をざくりと崩す。
「境界に行った日以来でしょう。例の話を聞きましたか」
「人間に転移の制限があるってやつ? 私は例外的に2回だけオッケーだと言われたよ」
「……グレン様は本当のことを話してしまわれたのですね。てっきり嘘を
シャンファさんは体を傾けてこちらを見た。眼鏡の奥のグレンとはまた違う色合いの赤い目が、静かに私を映している。
「帰りたいのでしょう、ゼニス。本当のことを教えて下さい。貴女が本気で帰りたいのであれば、わたくしが協力します」
「え……」
意外だ。この人はグレンにいつも忠実で、尽くしているように見えた。
騙そうとしている? でも、そんなことをしても彼女に益がない。
私はシャベルを振るって、何気なさを装いながら慎重に答えた。
「どうしてそんなことを」
「あぁ、信用してもらえませんか」
「例の2000年前の件で、人間に同情してるの?」
自分でもひどい言い方だと思った。彼女は静かに微笑んでいる。
「ある意味では、そうです。でもそれだけではない。グレン様のためですよ」
「あのひとは残って欲しいと言っていたよ」
「そうでしょうね。微笑ましいくらいに貴女に夢中ですから」
「やー、そう言われると照れますね!」
「誤魔化さないで聞いて下さい」
もう放っておいて欲しい。ざく、と乱暴に土の杭にシャベルを突き刺したら、リス太郎がびっくりしていた。
「誤魔化すも何も、私もちゃんとここに残ると言ったよ。的外れな心配はしないで」
「そうですか……。では、その気持ちに少しでも真実が混じっているのなら、どうか彼のそばに寄り添ってあげて下さい」
「その、つもり、だけど」
吐き気がしてきた。白々しい嘘が気持ち悪い。
シャンファさんは手を止めると、軽く息を吐いてから続けた。
「彼は魔族の最年少なんです」
急に話が変わった。グレンは207歳だったっけ? 200年以上子供が生まれてないのか。
「その次に若い者はカイ」
「あれ? カイは1900歳くらいじゃなかった?」
私は思わず手を止めて、シャンファさんを見た。
差がありすぎる。1700年も魔族は新しい命が生まれていなかったことになる。いくらタイムスケールの長い魔族でも、種族全体でそんなことってあるんだろうか?
「その上の世代になるともう少し人数がいますが。
グレン様の誕生は奇跡と言われていました。恐らくもう、魔族に子が生まれることはないでしょう」
「…………」
「グレン様は最後の魔王になるでしょう。そして人生の晩年を長く孤独に過ごすことになる。
わたくしは教育係の一員として勉学の他、彼が1人になっても生きていけるように、生活の細々とした技術――家事などを含めて教えました。
グレン様は何事においても優秀な生徒でした。ただ、周囲はもちろんご自身にさえあまり関心がなくて、いつも退屈そうにしていましたが」
「えぇ……意外。いつも私に鬱陶しいくらいベタベタしてくるのに。それに、いつもニコニコ楽しそうにしてるのに」
「ふふ」
私が思わず素直な感想を口にすると、シャンファさんは小さく笑った。
しかし考えてみれば、グレンは自分自身の話をほとんどしない。知識や技術は教えてくれるが、思い出なんかは聞いたことがないと気づいた。
「わたくしたちも意外でしたよ。それまでの彼からは想像もできない姿でしたからね。ご自身も初恋に戸惑っておられるようで、特に最初の頃はおかしな態度が目立ちましたが」
シャンファさんにまでおかしいと言われてる。こんな時だけど笑いそうになってしまった。
「ゼニス、わたくしは貴女で良かったと思っています。貴女の立場で考えれば、死にかけて見知らぬ土地に連れて来られて、しかも帰るのもままならない。それなのに貴女はしっかり自分を保っている。
流されることもなく、きちんとグレン様に向き合ってくれた。貴女でなければ、きっとできなかった」
そんな立派なものじゃないよ。
今だってあなたを騙している。
親切にしてくれた3人と、好きだと言ってくれたグレンを踏みつけるようにして逃げることばっかり考えてる。
しかも今や最大の動機が、捨てられたくないとかいう馬鹿なものなんだ。家族や友達に会いたい気持ちが減ったわけじゃないのに、そっちが強くなっちゃった。もう抱えきれないよ。
「だからね、ゼニス。貴女には正直でいて欲しい。帰りたい気持ちが強いのであれば、蓋をしないで欲しい。心を押し殺してまで相手に合わせても、最後は不幸になるだけだから」
何だか自分に言い聞かせるような口調だった。彼女も過去、何かあったのかもしれない。
いつもと違う様子を感じたのだろう、リス太郎がトコトコと足元までやって来て、「キュゥ?」と心配そうに鳴いた。
シャンファさんはそんなリス太郎を抱き上げて、ぎゅっと抱きしめた。
「貴女が心を殺せば、グレン様もまた同じようにしてしまうかもしれない。それはわたくしにとって、耐え難いことです。生き生きとしたあの方を見守るのは、これ以上ないほどの喜びでしたから。
ですから正直な気持ちを聞かせて欲しい――」
「私は本当に大丈夫」
シャンファさんの言葉を遮って言った。甘えちゃ駄目だ。本当に心配してくれるならなおさら、巻き込みたくない。
けっこう上手に笑えたと思う。笑顔の練習は前世でもよくやってたし。辛い時こそ笑顔、周囲に心配をかけては駄目。
彼女は少しの間私を見て、それから目を伏せた。
「では、グレン様をどうかよろしくお願いいたします」
「まるでお母さんみたいだね。ふつつかな息子をお願いします、って」
シャンファさんは私の下手くそな冗談に笑ってくれた。だからもう、これ以上は何も言う必要がないと思った。
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