第十五章 すれ違いながら
第169話 互いの意地
【グレン視点】
私は最近、冷静さを欠いている。
ゼニスを境界に連れて行って打ち明け話をするのは、今後の予定の兼ね合いからもう少し先にするつもりだった。
そして、彼女を騙し通すつもりでいたはずだった。我ながら姑息ではあるが、彼女を決して逃さないように、もう二度と境界を超えられないと嘘を告げようと考えていた。
それがどうだ。
ゼニスが願うままに予定を無視して連れて行き、真実を教えてしまった。
最初に嘘を告げた時、彼女が予想よりも冷静だったので気が緩んだのかもしれない。ゼニスを騙したままでいるのが苦しくなって、或いは本当のことを伝えても逃げないのではと、根拠のない期待をして、だ。
往路で口付けを許されて舞い上がっていたとしか思えない。
結果を見ると彼女は取り乱しこそしなかったが、かなりショックを受けていた。帰り道ではろくに口をきかず、屋敷に帰り着いたらすぐに私を追い出した。
失敗したと思った。もう首輪をつけてでも閉じ込めておくべきだ。そんなことはしたくなかったが、詰めを誤ったせいだ。そう覚悟した。
翌朝、ゼニスが泣きはらした目をして「魔界に残る」と言った時は、心の底から安堵した。
ただ完全に信用はできない。彼女は裏表がないように見えて、時折考えが読めないからだ。……そんな所も魅力的なのだが。
今は約束通り、魔法陣の基礎を教えている。彼女は詠唱式呪文に造詣が深いため、その応用である魔法陣――記述式呪文の理解も速い。やや速すぎるようにさえ見える。
ゼニスはいつもそうだ。教えれば教えるだけ、真綿が水を吸収するようにあっという間に知識を身に着けていく。そして知識を自らの血肉として、新しい技術を考え出す。
本人は前世の記憶があるせいだと言うが、それだけとは思えない。彼女自身の素質が特別なのだ。
今回もそうだった。
魔界の通貨である銀水晶をねだられたので、何に使うか聞いてみたら「記述式呪文を自分で考えたから書いてみたい」と。
自分で考えた? この短期間で?
出来上がったものを見れば、今まで教えた知識を応用していた。ここまでの応用は相当に深い理解がないと出来ない。少なくとも私には不可能だった。
ゼニスはあの可愛らしい頭の中に、一体どれほどの知性とアイディアを詰め込んでいるのだろう。
奔放かと思えば思慮深く、非力なはずなのにしたたか。無垢な仕草をしたすぐ後に大胆に動く。一見すると矛盾するかのような要素が複雑に組み合わさり、彼女を彩っている。知れば知るほど手放せない。
短すぎる寿命は考えたくない。そして寿命以外の別れは許容できない。絶対に。
彼女を喪った後の長い時間を、私が耐えられるとも思えないが……今は彼女がいるから生きる意味を見出せている。
真実とか永遠とか、陳腐な言葉では言い表せないほどの恋情と愛とを感じている。
――私の想いを彼女は理解しているだろうか。
++++
【ゼニス視点】
魔界を離れる決心をした後、記述式呪文を教わり始めた。
さすが本家本元、初歩とはいえ体系的にまとまった知識をグレンから教えてもらって、今まで不明だった部分がずいぶん理解できたよ。
こんな事態にならなければ、開発者であるという魔王様に一度会って教えを請いたかったな。
境界の起動に必要なのは、グレンの魔力だ。それを何とかして手に入れなければならない。
そこで思い出したのが、魔界の通貨。水晶みたいな石に魔力を貯めてやり取りしていた。名前は銀水晶とのこと。
それを一つもらって、記述式呪文を刻んでみた。
内容は境界で見た、魔力の循環式の応用。
魔力は流動的で一箇所に留めておくのが難しい。銀水晶は数少ない例外で、石が持つ魔力を少し加工すれば安定して魔力を貯蓄できる。
また、境界装置は地脈の魔力を循環させることで、結果として常に装置に魔力を巡らせている。
この2つの性質の合せ技。銀水晶に循環の記述式を刻むことで、魔力を石に留めておけるという寸法だ。
銀水晶の魔力を抜き、まずは私自身の魔力を込めてみる。
結果、一応は成功だった。
一応というのは、魔力の保持率がいまいちだったから。時間経過とともに魔力が予想以上に減ってしまって、魔力保存器、魔力電池としては今一つの結果だった。
ただ、この問題は記述式の工夫で克服できるかもしれない。もしくは銀水晶以外の素材を試すのもいいかも。
今のままでもグレンの魔力をMAXチャージ! 境界へダッシュ! 起動! みたいに大急ぎでやれば、何とか間に合いそうではある。そんなん実行出来るのか疑問だけど……。
魔力保存の記述式を作るのに7日ほどかかった。
その間、グレンは相変わらずスキンシップをやってきて、人界に帰ると決めた当初はその度にびくびくしてた。でも今はもう割り切った。
そのうち飽きるのが目に見えていても、今くっつきたいならそうすればいい。
お気に入りのぬいぐるみ程度の癒やしを与えられるなら、せめてものお詫びになると思う。行かないでと言われたのに無視するのだから。
年を取ってからみじめに捨てられるよりは――こうして大事にしてもらった思い出を抱えて、逃げ出す方がいいと感じている。私はとても卑怯だ。
ただ、この前の境界行きの途中で「続きは帰ったら」と言っていたくせに、今まで以上のことはしてこない。
たぶん警戒されている。魔界に残ると言った私の言葉を100パーセント信用していないのだろう。
まずいな。なるべく油断して欲しいのに。
ただでさえ力の差があるから、出し抜くのは大変なんだ。捕まったら逃げるのも難しいっての。
とにかく今するべきは、魔力保存の記述式を向上させること。
次に魔族流の魔力回路訓練を続けて、境界までの森を素早く抜けられるようにすること。
万が一魔獣に遭遇した場合に備えて、身体強化の精度を上げつつ、使い勝手のいい攻撃魔法の開発をする。私の身体強化は、まだないよりマシ程度のものなので。
そして、グレンを油断させるために手を打つこと。
この辺りだろう。
第一の優先は魔力保存で、それ以外は同時進行だ。前世はマルチタスクが大の苦手だったが、今はそれなりに出来る。
しかし対グレン作戦はどうしたらいいものか。
やはり色仕掛けか……?
想像してみたら――頭痛がした。
いやほんと勘弁して! やりたくないよー!
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