第166話 境界へ2


 森を抜ける少し前にランチを食べる。道のすぐそばにちょうどいい石があったので、それに座った。

 シャンファさんのお弁当は小豆あずきおこわだった。魔界にも小豆があるのだ。ゆえにあんこもある。

 おこわなので、もち米を炊いたもの。午前中ずっと歩いていたから、豆ともち米がお腹にしっかり溜まって嬉しい。ごましおの塩味がアクセントだ。

 それにしてもよく考えてみたら、小豆おこわはつまりお赤飯? さすがにお祝いごとでお赤飯炊く習慣は魔界にはないけど……。まあいいか。


 昼食後も歩いて、やがて森が途切れる場所までやって来た。少し高台になっている丘の上に、人界で見たものと同じ黒い建物が建っている。

 丘を登って近づいた。

 丘の裏手は崖になっていて、その下は海――に一瞬見えたが、やはり森だった。黒い木々がさざなみのように枝葉を揺らして、吹き上げる風の匂いがどこか磯のそれに似ている気がする。


 グレンが建物の前に立つと、扉が鈍く光ってひとりでに開いた。


「自動ドア!」


「ゼニスの言い方は時々、すごく個性的だよね」


「前世にこうやって勝手に開くドアがあったの」


「なるほど」


 どうやら彼の魔力に反応して開くらしい。生体認証魔力版だ。

 一度扉を閉めてもらって、私だけ前に立っても開かなかった。グレンと私は一部魔力が混じっているが、この程度の混じり具合では認証を突破できないようだ。

 建物の中も人界の遺跡と同じ構造だった。ドーム天井と、円形の部屋の中心に柱のような台座。ただ、壁に刻まれている魔法語が向こうは半円だけだったのに対し、ここは全円でびっしり覆われていた。


「なかなか複雑な装置だから、極めて大まかに説明すると」


 台座を指してグレンが言う。


「この台座に魔力を流すことで、人界のあちらの装置と共鳴させて世界の重なりを起こす、というところかな」


「壁の文字はどんな意味が?」


「魔力の増幅と安定化。ここの地脈の魔力を利用して装置に循環させ、偶発的な重なりを防いでいる。この場所は魔力の流れが不安定な分、総量はかなり多いんだ」


 土地の魔力については、魔獣の説明の時もそんなことを言っていたっけ。

 そして、この大量の記述式呪文。魔族風に言えば魔法陣。

 これだけ複雑な術式を組んで、しかも普段は地脈の魔力を循環させているなんて。

 魔法は普通、術者が呪文を詠唱なりして魔力を消費しないと発動しない。魔族の魔法だって無詠唱だけど術者の魔力を使う点は同じだ。

 それをこの境界装置は、地脈の魔力で自動化している。

 魔法の根本的な概念を覆す、すごい技術だよ!


 私は大興奮して壁に張り付いた。もっと魔法文字をよく見たい。よく見てしっかり読み解きたい。

 するとグレンに後ろから抱きかからえて、壁から離されてしまった。


「そんなにくっついたら危ないよ。魔力を吸い取られかねない」


「え、なにそれ怖」


「地脈の魔力を吸い上げているからね。巻き込まれるかもしれない。もっとも、素肌で触れなければ大丈夫」


 それでも危ないことに変わりはない。安全柵でも立てておいて欲しい。私はおっかなびっくり壁を見た。


「さて、他に聞きたいことはある?」


「重なりの実演見てみたいな」


 するとグレンは困った顔をした。


「あなたの願いを聞いてあげたいのは山々なんだけど、管理者の私でも正当な理由のない起動はできないんだ。起動のたびに魔王陛下に報告を上げる決まりになっている」


「……そっか。知らないで勝手言ってごめん」


 そりゃそうか。重要施設だもんね。しかしそれだと、私が一時里帰りしたいという理由は通るだろうか。心配だ。

 何とかグレンを説得して、彼経由で魔王様に許可をもらわないと駄目だろうな……。

 実を言うと少しだけ人界の空気に触れたくてここに来たというのもある。時々ぶり返すホームシックをなだめられるかと思って。

 でも、そういうことなら仕方がない。ちょっと吹っ切れた。


「一応言っておくと、ここに私の魔力を流せば台座に黒い珠が浮かんで起動する」


 彼は台座をとんとんと指で叩いた。

 そうだ、人界の境界で狼が出てきた時、台座に球が浮かんでいた。


 その後もいくつか質問をしたり観察をしたりしているうちに、時間が過ぎてしまった。帰りの道程もあるし、そろそろ切り上げないとかな。

 私はグレンを見上げて言った。


「記述式呪文がすごく興味深かった。教科書あるかな? 学びたい」


「教科書はないねえ。魔王陛下の発案で相応に高度な技術だから、一般化はしていなんだ。でも、初歩程度なら私でも教えられるよ」


「ほんと!? ぜひお願いしたい」


 あと、魔王様は発明家なんだろうか。どうもイメージが固まらないなぁ。


「そろそろ帰った方がいいよね。遅くなってアンジュくんたちに心配かけてもいけない」


 名残惜しいが、あの暗い森を夜になってから抜けるのは怖すぎる。グレンに抱えてもらえば時短になるけど、またお姫様抱っこは……今の気持ちだと、心臓が破裂してしまいかねない。うん、歩こう。今は手を繋ぐのがいいところだ。

 私は出口に行きかけたが、グレンは立ち止まったままだった。どうしたの、と言いかけて。


「ゼニス。大事な話がある。聞いてくれ」


 どこか平坦な調子で言われ、私は戸惑った。



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