第161話 ネゴシエーション
リス太郎がお屋敷にやって来て、また少しの時間が経過した。
私が吹っ飛ばしてしまった脱衣所と浴室の屋根は、ほどなく職人さんがやって来て直してくれた。
修理は魔法を駆使して、たった1人の職人があっという間に梁を渡し、天井と屋根を作って行った。
「変わった壊れ方ですねぇ。どういう魔法を使えば、こんなになるんですか」
炎で焦がしたわけじゃなく、物がぶつかったわけでもない。風で吹き飛ばしたにしては威力がありすぎる。
爆発は魔界でも一般化していない概念のようだ。
でも魔法文字には爆発を意味するものがある。学者レベルなら知ってる系か?
職人さんは首をひねりつつも、仕事はきっちりこなして帰っていった。
魔界は楽しい。まだまだ本を読みたいし、魔力回路の訓練も続けたい。魔族の魔法も知りたいことがいっぱいある。
けれど私は少しだけ焦っていた。なかなかユピテルに帰ると言い出せないのだ。
境界に連れて行ってとグレンに頼んでも、どういうわけかはぐらかされてしまう。最初はあまり気にしていなかったが、引っ掛かりを覚えるようになってきた。
「どういうことだろうね、リス太郎」
普段はグレンがべったりくっついてくるので、一人になるのはお風呂か寝る時くらい。
寝る前の時間に部屋にリス太郎を入れてやって、ぶどう色の尻尾をモフりながら話しかけた。
「グレンは私が頼めば、だいたいのことはすぐ聞いてくれるんだよ。でも境界の件に限っては、妙に歯切れが悪くてさ」
「キュ」
リス太郎は人界のリスより賢い。話しかけると、まるで言葉を理解しているように絶妙のタイミングで返事をする時がある。
私はリスが嫌いだったけど、少しずつ慣れてきた。リス太郎も私や魔族たちに徐々に懐いている。こうなると、割と可愛いかもしれない。
「そろそろ、誤魔化されるのも限界だよね。いい加減ユピテルに帰りたいよ。みんな心配してるだろうし、仕事も山盛り溜まってそう」
リス太郎の尻尾を強めにモフったら、警告とばかりに手をはたかれた。ちぇ。
「明日、もう一度ちゃんと頼んでみよう。話を逸らされても、元に戻してさ。ね?」
「キュゥ」
鼻先をつついたら、リス太郎は迷惑そうな顔をした。
犬だったら飼い主が話しかけたら熱心に聞いてくれる子が多いんだけど、げっ歯類はクールだなあ。
「よし、じゃあ寝ようか。小屋に戻ろうね」
私が立ち上がって寝室のドアを開けると、リス太郎はちゃんとついてきた。抱き上げようとするとお互いに微妙な緊張感が走るので、あまり抱っこはしていない。
中庭を横切って南棟へ入り、リス太郎をケージに入れる。大きくて人の背丈ほどもあるケージは、シャンファさんの指示のもとカイがDIYした。小屋もキャットタワーみたいな縦長の形だ。
リスは木の上で生活する動物だから、縦運動ができる環境が大事なんだって。
「おやすみ。また明日」
寝室に戻る際に中庭で空を見上げたら、巨大な月が輝いていた。肉眼ではっきりクレーターが見える。大きさは半月。
黒い太陽といい大きすぎる月といい、魔界は本当に訳が分からない。
季節だけはユピテル近辺と連動しているようで、今はそろそろ秋が始まる頃だろう。夜の空気が少しだけ冷たい。
首都を出発した時、季節は初夏だった。あれから2ヶ月半。
やはり、一度帰らなければ。
そう決意して、私は寝室へと戻った。
翌日の朝食後、北棟で読書を始める前に私は言った。
「グレン。話があるんだけど」
切り出すと、グレンは一瞬だけ躊躇してから答えた。
「……東の境界に行きたいという話かな」
「あぁ、うん」
正確に言えば、ユピテルに一度帰りたいから、時期の相談をしたい……だったのだが。
境界まで行ってみたいのも確かだった。無関係ではないから、ちょっと曖昧にうなずく。
「分かったよ。ゼニスの頼みなら、なるべく聞いてあげたいから」
おや。意外にもあっさりと話が決まった。
今日は誤魔化されないぞと気合を入れて臨んだのが、伝わったのかもしれない。
「いいよ。行こう。ゼニスはいつがいい?」
「いつでも。何なら今日でも、明日でも」
私が言うと、グレンはふわりと微笑んだ。
「ゼニスはせっかちだね。人間はみんなそうなのかな」
「魔族がのんびりしすぎなんだよ。人間は、そこまで時間が有り余っていないの」
「そっか……そうだったね」
グレンは息を吐いて、続けた。
「では、明日にしよう。今日はさすがに準備が間に合わない」
「何か準備があるの?」
「東の境界の手前に、魔獣が多く生息する森が広がっている。魔族ならどうということもない相手だが、万が一にもゼニスを危険な目に遭わせるわけにはいかない。私とカイで事前に駆除をしておく」
「え。そんな手間がかかるなんて知らなくて。明日って言ったけど、それならもっと後でもいいよ」
「そう?」
長引かせたくはないが、そこまで急かすものではない。
それに。
「もう何日か余裕を持たせたら、駆除の様子を見学できないかな!?」
魔族たちが実戦で魔法を使っているのは、ほとんど見たことがない。それこそ最初の時くらいだ。
戦闘用の魔法もじっくり見たいではないか!
グレンは苦い表情になった。
「駄目! そもそも、ゼニスを危険から遠ざけるための駆除だよ? あなたが出てきたら意味ないじゃないか」
「それはそうだけど、そこを何とか」
「駄目だ。許可できない。万が一、億が一にもゼニスに危険が近づいたらと思うと、心が張り裂けそうになる」
「そんな大げさな」
「本心だとも」
私とグレンはお互いに一歩も引かず、にらみ合った。ガンの飛ばし合いである。
いつの間にか足元にやって来ていたリス太郎が、不審そうな目で見上げて「キュ?」と言っている。
私は反撃のカードを切った。
「危険というけど、最初、グレンは私を殺そうとしたじゃないの」
「む……。でも、ゼニスは死ななかった。だから今の私たちがある」
「そうだよ。私けっこう強いよ。あの時よりも色んなこと勉強して、魔族式の魔力回路訓練も続けてるもん。だから大丈夫」
「いや、しかし――」
「ね、お願い。危ないならグレンが守ってくれればいいじゃない。うん、そうしよう?」
「私がゼニスを守る……」
「そうそう。しっかりお願いね、護衛さん」
にっこり笑いかけたら、グレンはがくりと肩を落とした。
「ずるいよ、ゼニス。そんな風に言われたら、断れないじゃないか」
ふひひ。勝利である。
最近ちょっと分かってきたんだけど、グレンは私に頼られると嬉しいらしい。いつも頼りっぱなしは出来ないが、ここぞという時に交渉のカードとして使うと有効なのだ。
というわけで、午後から魔獣退治の見学に行くことになった。
急な話だけど、楽しみだ。
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