第160話 リス太郎

 最近、とても困ったことがある。


 魔族椅子おやつ付きが、すんごい快適なのだ……!


 最初は膝に座るなんてどうなんだと思って、不満たらたらだった。

 ここのところの私は美味しいごはんをいっぱい食べて、体重がずいぶん増えた。別に太ったわけじゃない、寝たきりでやつれた分を取り戻しただけだ。

 でも体重増に変わりはないので、グレンが重いと言ったらどうしてくれようと思っていた。


 でも彼は特に何も言わない。というか、とても嬉しそうだ。

 体勢は文字通り膝の上に座ったり、足の間に座ったりする。

 長時間の読書でも少しずつ姿勢を変えるので、肩こりしなくなった。


 本で分からない箇所があれば、すぐに教えてもらえる。

 喉が渇いたなと感じたら、すっと水や果物ジュースが差し出される。

 小腹が減ったと思ったら、ささっとおやつが口元まで運ばれてくる。


 私は前世のシンプルブランドを思い出した。人をだめにするクッション椅子。

 まさに人をだめにする魔族椅子――!!


 これはいけないと思うのに、快適すぎて抜け出せない。困った。

 このままではだめになってしまう。私は戦慄した。

 ユピテルに帰った時、自堕落に落ちぶれた私を見て、みんなどう思うだろう。魔族にたぶらかされたと言われるだろうか。


 脳内のティトが「前と大して変わってませんが?」と言った。

 脳内アレクは「姉さんは前からだらしないじゃん」。

 脳内オクタヴィー師匠に至っては、「ゼニスは前から部屋着に男物の短衣チュニカなんか着て、色気がないのよ」。


 …………。

 だめになっても大丈夫みたいだ。安心してだめになろう。


 口元に近づけられた赤い実をぱくっと食べる。甘酸っぱくてイチゴみたいな味。美味しい。

 口の中の美味にほっこりしながら、私は読書にふけるのだった。







 グレンからもらった本は、なかなか本格的な学術書だった。

 魔族の魔法初心者としては、理解が難しい点も多い。魔法語のリーディングは元々それなりのレベルだが、難しい文章を読むと読解力の不足を感じる。


 というわけで、初心者用の本も用意してもらった。

 グレンが子供の頃に使っていた教科書類だ。

 シャンファさんが保管していたのを見つけて、持ってきてくれた。

 子供用の教科書は文章も内容も平易で分かりやすい。何でも、久しぶりに生まれた子であるグレンのために各分野の学者たちが張り切って執筆したんだそうだ。彼は魔王の一族だから、周囲がお祝いがてら頑張ったのだろう。

 子供用の教科書を併用すると、色んなことの理解がはかどった。


「ゼニスはすごいね。まるで食事のようにむしゃむしゃと知識を食べて、あっという間に身につけていく」


 グレンはそう言うが、私から見ると魔族がのんびりしすぎだと思う。1万年も寿命があれば、そうなっちゃうのかな。

 有り余るほどの時間も問題だなぁ。魔法を極めたい私としては、羨ましい限りだけど。







 読書メインで過ごしているけれど、そればかりではない。

 例えば以前決意した、狼のカイを心ゆくまでモフる計画などもある。

 隙あらばと狙っているものの、カイは感覚が鋭くて私の気配にすぐ気づいてしまう。そして何より、あれ以来変身してくれない。


「ねえねえ、カイ! もう一度狼になってよ」


「断る」


 こんな調子である。

 それでもしつこく食い下がっていたら、ある日、彼は大きな狼の姿で外出から帰ってきた。


「狼だ!」


 中庭で黒いモフモフを見つけて、私は喜び勇んで近づいた。すると彼は振り返り、口にくわえていた毛玉? をぺいっと投げつけてきた。


「わ、何!?」


 赤紫っぽい毛玉は私の額の辺りにぶつかり、バウンドして地面に落ちた。もふっとした柔らかい感触だったので、ぶつかっても痛くなかった。


「ゼニスは毛皮のある生き物が好きなんだろう。俺に絡まず、それで遊んでくれ」


 生き物?

 地面に落ちた毛玉をよく見てみると、確かに動物だった。大きさは猫くらいで、ふわふわの毛皮に大きな尻尾、ピンと立った耳。ちっちゃいお手々。つぶらな瞳は恐怖と驚きで見開かれている。


「リスじゃん!!」


「リスだ」


「竜と並んで私の大嫌いな、リスじゃん!!!」


 私はリスを睨みつけた。リスも私が魔族よりも魔力が低いと察したのか、怯えを引っ込めて威嚇する態度である。生意気な。


「リスは嫌いなのか?」


 カイが狼の姿のままで戸惑っている。


「そうだよ! 子供の頃、リスでひどい目にあったの。それ以来だいっきらい!」


 私とリスが激しいにらみ合いをしていたら、騒ぎを聞きつけたグレンが中庭にやって来た。


「ゼニスはリスが嫌いだったんだね。また一つ、あなたのことを知れて嬉しいよ」


「今そういうのいいから。私ね、リスに二度と負けるわけにはいかないの。子供の時は泣いて逃げ帰ったけど、今度はきっちり勝つ!」


「ゼニスを泣かせたのかい? それはひどいね。このリスも殺しておこう」


「えっ」


 グレンは言って、温度の感じられない視線をリスに向けた。何か魔法を使うつもりだ。殺意を感じ取ったリスが「ピャッ!」と叫んで、硬直する。


「ちょ、ちょっと待って。殺さなくていいよ。にらみ合いに勝ったら、元いた場所に戻してくればいいから」


 私は焦って言うが、グレンは不思議そうにしている。


「でも、嫌いなんだろう。死体はきちんと始末するから、安心して」


「いやいやいや! 狩りの獲物でもない動物をむやみに殺したら駄目でしょ!」


「ゼニスを泣かせた奴は許せないよ」


「このリスに泣かされたわけじゃないし」


 などと言い合いをしていたら、リスはグレンよりも私の方がマシだと思ったらしい。素早く足元に駆け寄ってきて、身を小さくしている。さすがに気の毒になってきた。


「というわけでカイ、こいつ、元の場所に戻してやって」


「と言ってもな。これを見かけたのは竜の棲家の近くだ。仲間とはぐれたのだろう。あそこに戻せばおそらく死ぬが、いいか?」


「えぇ……」


 なんでそんな迷子リスを拾ってきたんだ。……私のモフモフ愛を逸らそうとしてか。そりゃ、多少は私のせいでもある。

 私は足元で震えているリスを見た。さっきまでの勢いはどこへやら、怯えきってうずくまっている。

 あーもう、仕方ない。


「じゃあいいよ、このリス、ここで飼おう。グレン、飼ってもいい? ちゃんと面倒見るから」


 ユピテルに一度帰るけれど、ちゃんと戻ってくるつもりでいる。私が不在の間は申し訳ないが、シャンファさんに世話を頼もう。

 グレンは腕組みした。


「飼うのはいいけど……。無理していないかい?」


「別に。泣かされたのは昔の話だから」


「ゼニスは優しいね」


 特に優しくないと思うが、言い返すのも面倒だったので黙っておいた。


「名前、つけた方がいいよね」


 私は言った。いつまでもただの「リス」では不便だろう。


「こいつ、オスかな? メスかな?」


 抱き上げてお股を見ればいいのだけれど、気軽に抱っこするほど互いの距離が近くない。

 私の言葉にカイが答える。


「オスだな。オスの臭いがする」


「臭いで分かるんだ。――じゃあ名前は『リス太郎』で」


「……」


「…………」


「なんですかね、その沈黙は」


「個性的だなと思って」


 と、グレン。そうかなぁ? むしろ没個性だと思うのに。


「感想が出ない」


 これはカイである。

 なんか反応が微妙だが、飼うことになって命名も済んだ。問題ないだろう。


「飼う場所を決めなきゃだね。私の寝室でいいかな?」


 私が言うと、グレンが答えた。


「それは駄目。ゼニスと一緒に寝るなんて、羨ましすぎるから」


「リス相手に嫉妬とか、どうなってるの」


 というバカみたいなやり取りの後、南棟の片隅、倉庫の隣に小屋を置いてやることにした。ケージも作って夜はその中に入れる。

 アンジュくんとシャンファさんにリス太郎を紹介したら、


「リス太郎だって! 変な名前だね!」


 と、アンジュくんはケラケラ笑って、


「よろしくね、リス太郎」


 シャンファさんは真面目な顔で挨拶をしていた。




 こうしてお屋敷に新たな住人? のリス太郎が増えたのだった。

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