第159話 お風呂に入ろう

 隣町デートから帰ってきて数日。私はむさぼるようにもらった本を読んでいる。

 どれも興味深くて引き込まれるように読み漁っていたら、肩こりになってしまった。ついつい夢中で同じ姿勢でいたせいだ。


 読書の場所は、主にグレンの住む北棟。ここが一番日当たりが良くて明るいのだ。

 北棟は入ったところが応接間で、奥が彼の寝室になっている。以前は寝室は立ち入らなかったが、この際なのでちょっと見せてもらったら。


 なんと、お風呂があった!! ちゃんと湯船のある浴室である。

 今まで私が寝室にしていた客室の東棟は、シャワーブースみたいな一角があるのみで、湯船はなかった。

 なお、魔界のシャワーは蛇口などというものはない。自前の魔法でお湯を出す。魔族たちは水量も温度も自由自在だが、私はいちいち呪文を唱えないとならないので、ちょっと面倒だった。おかげでシャワーに最適な詠唱式呪文を開発しちゃったよ。


 魔界に来てから2ヶ月少々。その前も2週間位は旅の移動をしていたので、ずいぶん長いことお湯に浸かっていない。

 ユピテル人としても、元日本人としてもお風呂は見逃せない。絶対に、入らねばなるまい!


「というわけで、お風呂貸して」


「うん、いいよ」


 グレンに頼んだらあっさりOKが出た。


「絶対に覗かないでね。覗いたら絶交だから」


 絶交とか前世の小学生の時以来、口にした言葉だなあ。普通言わないが、この場合はやむを得ない。

 するとグレンはわざとらしく首を傾げて言った。


「おや、一緒に入らないの?」


「寝言は寝てから言ってね」


「……はい」


 彼は微妙に肩を落としながら、浴室の掃除をしてくれた。入り口に立って軽く手をかざすと、床や壁、天井に勢いよく水流が沸き起こり、汚れを落として排水口に流れていく。

 魔族の家屋は上水道はないくせに下水道はある。でも魔法で生み出した水はそのうち消えるので、一時的に貯めておける場所があるだけで浄水槽などはないようだ。トイレはまた別で、そちらは処理設備がある。


 すっかりキレイになった湯船にお湯を張ってもらう。ちょうどいい温度のお湯をたっぷり出してもらった。

 それにしてもグレンは、仮にも王族なのに掃除から炊事まで家事雑務を何でもやる。いくら魔法で簡単に済むとはいえ、シャンファさんもいるのにまめなことである。


 湯船は日本のものより深くて、壺みたいな形をしている。座るには深いから、膝立ちか立ったままふちに手を乗せて入ろう。

 私はお湯に手を差し入れて、温度を確認した。


「よしよし、いい感じ。グレン、ありがとう。あっち行ってて」


「たまに思うんだけど、ゼニスはけっこうひどいよね」


 グレンはぶつくさ文句を言いながら脱衣所を出て、寝室のドアの向こうに消えた。

 ドアを確認するが、鍵はついていない。ここは誠意を信じるしかなさそうだ。

 まあいい、力ずくでどうこうなんて今更ないだろう。そんな可能性があるならとっくに実行に移してるだろうし。


 私はさっさと服を脱ぐ。右手がまだ少しだけ不自由なので、ちょっとやりにくい。でも、前に比べれば全然マシだ。

 脱いだ服は脱衣カゴにぽいっと投げた。畳んでないけど、まあいいや。

 ティトがいたら「お嬢様! だらしないですよ!」と怒られるけど、ほら、今はいないから。


 さぁて、久しぶりのお風呂に入るぞー!







 久々のお風呂は最高であった。最も高いと書いて最高と読む。

 やはりユピテルソウルとしても、日本人魂としても、お風呂は生活に必須といえよう。


「ほぁ~、いい気分……」


 思わずそんな声が出る。気分はカピバラである。

 カピバラは前世でお風呂好きで有名だった動物だ。大きさは中型犬くらいで、ビーバーとネズミを足して2で割ったような見た目をしている。

 毎年冬になると、カピバラがゆず湯で長湯する様子が配信される。私はそれを見るのが好きで、いかにも気持ちよさそうなカピバラをワイプで眺めながら仕事をしたものだった。


 異世界転生を果たしたが、転生先にお風呂文化があって本当に良かったと思っている。

 お湯に入るのが好きなのはもちろん、お風呂があるおかげで冷たいワインもエールも、かき氷も成功したのだ。お風呂バンザイだよ。


 のぼせる寸前までお湯を楽しんで、髪と体もしっかり洗った。

 魔界のいいところは石鹸がきちんとあるところだ。おかげでたっぷりの泡ですっきりと洗える。

 最後にもう一度お湯に入って、名残を惜しみながら上がった。


「あー、いいお湯だった」


 すっかり満足して脱衣所へ行くと。


「それはよかった」


 ニコニコ笑顔のグレンが待ち構えていた!


「☆※!?◇◎★!!?¥$??■!?」


「それは何語? ユピテル語じゃないよね」


 私の言葉にならない謎の叫びに、不思議そうな顔をしている。


「変態、ド変態、イカレトンチキ! 覗くなって言ったでしょ!」


「覗いてないよ。体を拭いてあげようと思って待ってたんだ。ほら、あなたはまだ右手が不自由だから」


 そんな理屈が通ってたまるか!

 私はめちゃくちゃ焦りながらタオルで前を隠し、早口で叫んだ。


「水の精霊よ、その一滴にて業火の精霊と交わり、不可視の殻の中、炎熱の限界まで膨張し、殻を破りて爆轟せよ!!」


「えっ」


 水蒸気爆発の魔法だ!!

 完全に不意打ちだったらしく、さしものグレンも魔法の発動を止められなかった。結果。



 どっかーん!



 派手な爆発音とともに、脱衣所と浴室の屋根は爆裂四散した。







「あのね、ゼニスちゃん。そりゃあ脱衣所まで押しかけたグレン様も悪いと思うよ。

 でもだからって、いきなりこんな威力の魔法を使っちゃ駄目! 屋根、なくなっちゃったじゃん!」


 しばらく後。

 ちゃんと服を着た私は、北棟の応接間でアンジュくんのお説教を受けていた。

 部屋にはシャンファさんとカイもいて、2人とも呆れている。


「ごもっともです。申し訳ありませんでした」


 私は平身低頭して謝り倒すしかない。


「吹っ飛んだのが屋根だからまだ良かったけど、ゼニスちゃんやグレン様が怪我をしたらどうするつもりだったの!」


「ごめんなさい、ごめんなさい」


「アンジュ、そのくらいにしておけ。ゼニスはじゅうぶん反省している」


 グレンが助け舟を出してくれた。てかそもそも、こいつのせいなんだが。


「本当にごめん。焦ってやりすぎた。反省してる。……この屋根、直すのにお金がかかるよね……?」


 寝室を挟んで向こう側に見える青空を横目に、私は恐る恐る言った。

 アンジュくんがジト目で答える。


「そりゃあタダとはいかないよ。職人を呼んで材料持ってきてもらって、見積もり取らなきゃ具体的には分かんないけど」


「あの、私、仕事をもらえたら働いて返すから。何でも言って下さい」


「そう言われてもなー」


「じゃあ、こうしよう」


 グレンがぽんと手を打った。


「体で返してもらう」


「却下!!」


 あんたがそういう態度だから、そもそもこんなことになったんでしょーが!


「待って、ゼニス。あなたが想像しているような変な意味ではないから」


 グレンが慌てて言っている。失礼な、私が想像する変な意味って何よ。


「最近、ゼニスはずっと本を読んでいるだろう。その時に私の膝に座ってくれ」


「はぁ?」


「あと、読書しながらおやつを食べる時に、私の手から食べて欲しい」


「はあぁ~~?」


 私がドン引きした視線を投げると、彼は心外そうに続けた。


「私たちは恋人同士なのだから、そのくらいいいじゃないか。私は楽しい時間が過ごせる、ゼニスは償いが出来る。一石二鳥だよ」


「そういうのって自発的にやらないと意味なくない? 強制してどうするのさ」


「形から入るのも手段だと思う」


 ああ言えばこう言う……。

 私がさらに反論しようとしたら、シャンファさんが割り込んできた。


「もうその辺で妥協なさい、ゼニス。これ以上言い合いをしても、虚しいだけですよ」


「……はい」


 甚だ不満だったが、シャンファさんの言葉は説得力があった。だいたい、今の私は負い目がある。あまり強く出られない。




 かくして明日からの読書タイムは、人間椅子、じゃなかった魔族椅子おやつ付きとなった。

 どうしてこうなった。わけがわからないよ。

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