第十四章 平穏な日々と予感

第156話 隣町


 何やかんやあってグレンの想いに応えると決めた以上、私たちは恋人同士?? になった。

 正直、そういう関係になったからと言って何をやればいいのかよく分からない。


 さすがに一般的な意味では分かるよ。

 2人でデートでも行って、思い出を共有するんでしょ。それで、ええと、その、キスやら体の関係やらになる。

 いやー、どうなのそれ。想像できないんだけど。

 実年齢アラフィフにしてはあまりに情けないが、実際そうなのだからどうしようもない。


 私がそのようにモダモダしていたら、グレンが言った。


「デートに行こう」


「どこへ?」


 魔界に来てから2ヶ月。最初の1ヶ月は昏睡状態だったものの、意識を取り戻してもう1ヶ月以上経っている。

 それなのに私はこのお屋敷から出たことがない。正直、外の世界が実在するのか軽く危ぶんでいたくらいだ。


「隣町へ。魔人族たちの街がある」


「へぇ!」


 魔人族はアンジュくんと同じ種族。魔族の中では一番数が多いんだって。

 隣町はのんびり歩けば徒歩半日くらいの距離だそうで。


「ゼニスにプレゼントしようと思って、店に注文しておいたんだ。取りに行こう」


「何を頼んだの?」


「内緒。見てからのお楽しみ」


 そう言ってクスクスと笑う。実に楽しそうだ。

 あんまり嬉しそうだったから、私もデートとやらが楽しみになってきた。







 そうしてやって来たデート当日。

 グレンと私は朝のまだ早い時間に、お屋敷を出た。アンジュくんとシャンファさん、カイは揃って見送りしてくれたよ。


 南棟の玄関をくぐると、ふと、空気の質が変わった。

 たとえるなら冷房のよくきいた快適な室内から、急に熱帯の温度も湿度も高い森の中へ出たような感じだった。

 私が思わず軽く咳き込むと、すぐ隣のグレンが心配そうに顔を覗いてくる。


「大丈夫かい?」


「うん、大したことない。空気が重くてちょっと驚いただけ」


「屋敷は結界が敷いてあるからね。魔獣や土地そのものから発生する雑味の強い魔素は濾過している。人間のあなたには、恐らく負担だと思ったから」


 そんなところでも気を遣われていたらしい。

 私はまず浅く呼吸を繰り返して、徐々に息を深めた。うん、だんだん慣れてきた。魔力回路を起動して、呼吸で肺に入った魔素を少しずつ流してみる。重苦しい空気が和らいだ気がする。

 それにしても結界か。気になる技術だ。後で聞いてみないと。


「お待たせ。行こう」


 だいぶ楽になったので、私は顔を上げた。

 すると、グレンが手を差し出してくる。なんじゃ?


「手を繋いでいこう。そうすれば、私の魔力も分けてあげられる」


「えー? 別にいいよ。もう呼吸は平気だから」


「…………」


 グレンはあからさまに落胆した表情になった。なんだよ。そんな、散歩に行けると思ったのに「雨が降ってるから今日はやめよう」と言われた犬みたいな顔しないでよ。


「分かった、分かった。はい」


 仕方なく右手を差し出すと、彼はいそいそと握ってきた。暖かな体温と、きれいな白銀と闇色の魔力が伝わってくる。この感覚もすっかり慣れてしまった。


 手を引かれて歩き出した。

 玄関の門をくぐった先には、南に向かって一本の道が真っ直ぐに伸びている。しばらく道に沿って歩くと、やがて東西に分かれていた。

 グレンは西に向かって道を進む。


「反対側の東には何があるの?」


 質問をすると、彼はちらりと視線を向けてから答えた。


「東の境界。私たちが出会ったあの場所だよ」


 ほう、あちらの方向にあるのか。

 別に今更脱出だの逃亡だのするつもりはないけれど、帰してもらう前に一度様子を見に行きたい。


「1回行ってみたいな、境界」


「そう? 魔獣が多く住んでいる森を抜けなければならないし、そんなに面白い場所でもないと思うけど」


「そんなことないって! 境界は記述式呪文の集大成じゃない。私としては外せないね」


「まあ、そのうちにね」


 何だろう。グレンが妙にそっけない。

 けれどその疑問が育ち切る前に、彼は西の方を指さして言った。


「ほら、見てごらん。向こうに街が見えるよ。あそこの魔人族たちは農耕で生計を立てているから、街は田んぼや畑に囲まれているんだ」


 言われたとおりに目を凝らせば、なだらかな丘陵地帯の合間に小さな集落が見えた。その周囲を彩る青々とした場所が、田畑なのだろう。

 今の季節は夏だろうか。人界と変わらない時期のように思える。


「ゼニスはまだ病み上がりだから、ゆっくり歩こう。午後には到着できると思うよ」


「うん」


 道は街へ向かって、野原と低い丘の間に伸びている。のんびりと歩いていくと、時折、ざあっと風が吹き抜けていった。

 ずっと長いこと家の中に閉じこもっていたから、広々とした風景に意識が解放されるのを感じた。凝っていた心が軽くなっていくようだ。頬を撫でる風も気持ちが良くて、私は思わず目を細めた。


 空には魔界の太陽が不思議な金色の光を降らせている。

 私たちは手を繋いだまま、あれこれとおしゃべりをして歩いていった。







++++







【同時刻、屋敷に残った3人】


アンジュ「あの2人、一時はどうなることかと思ったけど、くっついてよかったね!」


シャンファ「グレン様の初恋が叶って、わたくし、感無量です」


ア「グレン様は最初は奇行に走りまくっていたし、さんざんやらかしてたから、もう駄目だと思ったよ」


カイ「魔界の貴公子ならぬ奇行子か」


シ「……」


ア「……」


カ「な、なんだその目は」


ア「別に。でもさあ、ボク、最初はゼニスちゃんに同情してたんだ。でも今はグレン様がちょっとかわいそう」


シ「そうですか?」


ア「そうだよ! グレン様、あんなにゼニスちゃんのことが大好きなのに、あれじゃあ生殺しじゃん。ハグはよくてキスは駄目ってどういうこと?」


カ「うむ。どうやら手練手管ではなく、素でやっているようだ。たちが悪い」


シ「わたくしはいいと思いますよ。さんざん焦らして空腹を煽られれば、追いかける側として燃えるでしょう」


ア「燃えるくらいならいいけど、また奇行に走ったら気の毒じゃん……。ボク、あんなヘンテコなグレン様、もう見たくないよ」


シ「意外な一面ですね。ご幼少期からお仕えしているわたくしも、初めて見ましたもの」


カ「俺はあのような主も悪くないと思う」


ア「マジで?」


カ「マジだ。以前の取り澄まして感情が見えぬ様子より、今のほうがよほど良い」


シ「……そうですね」


ア「うん、まあ、それはそうだね。今のグレン様、毎日楽しそうだもんね」


シ「ずっとお寂しい思いをしてらっしゃいましたから。お心を開ける相手ができて、わたくし、本当に嬉しゅうございます」


カ「うむ」


ア「そうだねぇ……。でも、ゼニスちゃんはとってもいい子だけど、人間だから。寿命、あと100年はないよね」


シ「長くても50年から60年程度でしょう。彼女を失った時、グレン様がどうお感じになるか……心が痛みます」


3人「……」


ア「なるべく長く、今の幸せが続くといいよね……」

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