第154話 私らしく
もう何年も気に病んで、けれど誰にも言えなかった私の秘密。
それをちゃんと信じてもらえて、ふわりと暖かくなったのを感じる。長い間、寒くて冷たい場所で凍えていた心が……やっと解放されたような。そんな安心感があった。
「ありがとう、グレン」
だから素直に感謝の言葉を言えた。
グレンは不思議そうに首を傾げる。
「お礼を言われるようなことは、何もしていないけれど」
「私にとっては大事だっだの。私ね、人界にいる時は天才だと言われてたんだ。
でも実際は前世の知識があるだけの凡人で、何も考えずに突っ走った結果にたまたま成果がついてきただけ。分不相応で苦しかったよ」
氷雷の魔女だの竜殺しの大魔法使いだの、大仰な称号で呼ばれていたっけ。
「家族にも身近な人にも、誰にも言えなかった。信じてもらえそうになかったのと、失望されるのが怖いのとで」
ラスのことを思い出す。彼はずっと私を慕ってくれていた。
でも、それだって結局は前世ありき。私の中身がいい年こいたおばさんだったから、姉というより母の立場であの子のことを守ってあげたかった。その愛情を、彼は勘違いしてしまったんだと思う。
もしも私が実年齢相応の体だったら、ラスも恋愛感情は持たなかっただろう。今の私は前世32歳と今生20歳を足して52歳のアラフィフ。実年齢を知ったら、ラスはドン引きしただろうな。下手したら親を通り越して祖父母の年代だもの。
そしてもしも、私が本当にただの少し年上の女の子だったら、母親としての愛情は持たなかったはずだ。それならば、ラスはあそこまで思いつめなかったと思う。
体ばかり若くて、中身がおばさんだった。それがおかしな勘違いを生んでしまったんだ、たぶん。
それまで黙って聞いていたグレンが、口を開いた。
「ゼニスの人界での評価は、あなた自身が言うほど過剰ではないと思うけどね」
「まさか。だって新しい魔法の開発は、科学の知識を使ったんだよ。前世の日本人なら誰でも知っているレベルのを」
「だが、詠唱式呪文の形式を紐解いて本質を理解しなければ、そんな芸当は出来なかっただろう。それも科学の為せるわざだと?」
「え、いや、どうだろ」
それはどちらかというと、前世の職業柄かなあ。プログラミングに近いものがあったから理解しやすかった。
「北西山脈で、弟たちと一緒に狼と戦った話をしてくれたね。強敵を相手に恐れず、力を振り絞って勝利をもぎ取ったのは、ゼニスの功績ではないの?」
「私がもっと強ければ良かったの。座学ばかりで戦闘に手を付けていなかったから、いらない苦戦をしちゃった。しかも魔力石を光らせたせいで、竜を呼び込んだ……」
その件は悔やんでも悔やみきれない。あの時はああするしか勝つ方法を思いつかなかったとはいえ。
「竜が人界に紛れ込んだのは、不幸な事故だ。誰のせいでもない」
いつの間にかグレンが立ち上がって、ベッドに座っている私の手を取った。魔力回路がつながっている、右手。
暖かい。闇色と白銀の魔力と一緒に体温も伝わってくる。
振り払う気になれなくて、私はそのままにしていた。
「それから――」
グレンが言う。静かな、でもどこか熱をはらんだような声で。
「東の境界で、私たちが初めて出会った時。人間たちよりも明らかに格上の私や狼に対して、ゼニスは怯えながらも立ち向かってきたね。仲間を守ろうと必死だったのは、伝わったよ。
そして死の淵にありながら、自分の命を捨ててまで、私と相打ちになろうとしたね。
誰にでも出来ることとは思えない。それでも『日本人なら誰でも』と言うの?」
「えっと……」
あの時はただ、ミリィたちを守ろうと死にものぐるいになってただけだ。日本人云々はさておき、仲の良い友だちが死にかけてたら、全力で助けるのは当たり前じゃないだろうか?
「魔界に来てからだって、そうだよ。ろくに身動きできない状態だったのに、ゼニスが泣いたり弱音を吐いたりしたのを見たことがない。
あなたに振り向いて欲しいばかりに身の安全を盾に脅した時だって、屈するどころか真正面から立ち向かってきた」
「うん、それ、今でも許してないから」
「えっ」
グレンは本気でショックを受けた顔になった。
「あの……ゼニス? 本当にごめん。人間の寿命の短さもあって、あの時の私は焦っていたんだ。反省している。許してくれ」
正面切ってそんなに情けない顔をされると、怒るに怒れない。
「もういいよ。あれから色々お世話になったし。魔法のこと教えてもらったり、美味しいもの作ってもらったり」
このお屋敷にいる魔族たちは、それぞれに優秀なのだと思う。
医師のアンジュくん、変身魔法の使い手で戦闘能力が高いカイ、それから元教師で家事が得意なシャンファさん。
グレンは専門家というわけではないが、何でもよく知っている。質問をしたらほとんどの事柄をちゃんと答えてくれる。
……欠点は変態の一点に尽きる。致命的である。
「ありがとう、ゼニス。もうあんなことはしないよう努力するよ」
「約束するよ、じゃないわけ?」
「約束はできかねる。あなたのことが好きすぎて理性が飛んでしまうのは、よくあることだから」
おい、やめろや。せっかくグレンの評価を良い方向に修正したのに、取り消したくなるじゃん。
なんでそんなに好き好き言うんだろう。まったく私のどこがいいのやら、この変態は。
「私があなたを好きになったのは――」
そう言い出すものだから、心を見透かされたのかとギクッとする。
彼は私の右手を握ったまま、ベッドサイドにひざまずいた。
「人界での評価がどうなんて、関係ない。ましてや前世の記憶があるから、そんなことじゃない。
命の危機に際して立ち向かう意思を失わない、強いところだよ」
そう、なの、かな。
強いのだろうか、私は。自分でそうと感じたことは、ないのだけれど。
「そして、好奇心いっぱいでアイディアが豊富で、生き生きと楽しそうにしている。そんなゼニスが大好きなんだ」
…………。
確かに最近の私は、素を出して遠慮なく振る舞っていた。はしゃいだり馬鹿みたいなことをやったり、好きに過ごしていた。
そんなことでいいのだろうか。
そんな、当たり前でありふれたことで。
いや――当たり前ではないな。前世では楽しく生きられないまま、磨り減って死んだ。
だから私は今度こそ寿命まで人生を全うしたくて、好きなこといっぱいやろうと決めたんだった。
その決意も、グレンは好きだと言ってくれるの?
「でも、私、実際はおばさんなの。実年齢は52歳」
悪あがきのように言ってみたが。
「20歳も52歳も何も変わらないと思う」
まあ、魔族的にはそうなりますか……。1万年に比べれば小さすぎる差だろう。
これで言い訳はもう何も残っていない。
なんだか、とても気が抜けてしまった。
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