第153話 打ち明け話


「ゼニスちゃんはすごく人の体に詳しいんだね。血管も内蔵も骨格も、驚くほど正確に把握してる。普通、専門家でもないのにここまで知識があるなんて、あり得ないよ。

 たった2000年前まで原始的な暮らしをしていた人間が、もうこんなに高いレベルにいるなんて……」


 せっかくの練習を中断してしまったのを申し訳なく思っていたが、アンジュくんの関心は別の点に向いていた。


「ゼニスちゃんくらいのレベルが、人界では標準なの?」


 ――どう答えるべきか。

 前世の話を魔族たちに打ち明けてもいいのかもしれない。彼らにとって人間はそもそも異分子だ。だから今更、前世の記憶があるだなんておかしな属性が加わっても、受け入れてくれるのでは。


 けれどその半面、信じてもらえなかった場合はどうなるだろう。

 頭のおかしい妄想癖がある奴だと思われるだろうか。それとも息を吐くように嘘をつく、とか。

 分からない。

 けど、これ以上隠し事はしたくなかった。ただでさえ今まで彼らを騙して、逃げ出そうとしていたのだから。


「私は――」


 打ち明けよう。そう思った、のに。

 何故か言葉が続かなかった。


「私は……」


 魔族たちは静かに言葉の続きを待っている。


「…………」


 でも言えない。どうして。

 心がこんがらかってしまって、分からない。アンジュくんの疑うような視線が苦しい。


「――ごめんなさい」


 理由がわからないまま、どうしても言えなくて。

 まだ騙してしまったのが心苦しくてここにいるのが嫌になり、私は部屋を飛び出した。北棟を出て中庭を斜めに横切って、私の寝室に駆け込む。ベッドに倒れ込むように身を投げた。







 改めて考える。

 私はもう何年も、前世知識で不当な高評価を受けていたのを気に病んでいた。ただの凡人が天才だ、偉大な魔女だ、大魔法使いだと持ち上げられて、得意になっていられるほど私の神経は図太くない。

 メッキが剥がれて失望されるのをずっと恐れていた。


 けど、魔界の魔族たちはそんな事情は知らない。私のことをただの人間のゼニスだと思っている。

 だから別に、ここまで言い出せない理由はないはずだが。


 なんでかな。

 嫌われるのが怖いのかな。

 嫌われたくないと思う程度に、魔族たちのことが好きなのかも。友だちだと思っている、あるいは友だちになりたかった。


 ああそうか、もうひとつあった。

 前世は魔力なんて存在しない世界だった。

 魔力を本質とする魔界とは根本的に相容れない。

 だから人界の知り合いとは別のベクトルで、信じてもらえないと思ったのか。そして不信感を持たれるのが嫌だった。


「でもそれ、全部私の思い込みじゃん」


 つい、口に出して独り言を言った。

 絡まった心を解いてみれば、そこまで気にするようなものでもないと思えた。人界での罪悪感をごっちゃにしたせいで、本来のものよりも大きな問題に見えてしまったのだ。

 問題を整理するのは大事。何が問題か分からないままでは、対処のやりようもない。


 うん。思わず逃げ出してしまったけど、もう一度戻って打ち明けよう。

 信じてもらえなかったら……それはそれで仕方ない。私も自分で荒唐無稽な話だと思うもの。

 うつ伏せになっていた姿勢を仰向けにして、腹筋の要領で起き上がったら、ドアがノックされた。

 コンコン、と、ちょっと遠慮がちな音を立てている。


「ゼニス、大丈夫?」


 グレンの声だ。心配して来てくれたらしい。


「大丈夫だよ。どうぞ」


 ドアが開いてグレンが顔を出す。ベッドに腰掛ける私を見て、戸口で困ったようにしている。


「急に飛び出して行ったから、また私が何かしてしまったのかと思って」


「違う、違う。今回はグレンが悪いわけじゃない」


 そう言うと、彼はやっと部屋に入ってきた。ベッドのそばの椅子に座る。

 しょぼくれた犬みたいな雰囲気で、何だか可笑しい。

 今、打ち明け話をしてもいいかもしれないと思った。他の3人の前に、まずはグレンで反応を見るのだ。

 彼ならばたとえ信じなくても、あからさまな不信感や嫌悪感は出さないだろう。ちょっとズルいかな。まあいいや。


「さっき言いそびれたこと、聞いてくれる?」


 そうして私は話し始めた。

 生まれ変わって20年。今まで誰にも告げたことのない、初めて口に出す秘密を。







「私、前世の記憶があるんだ」


 言い出してみて思った。字面だけ見れば、どこからどう見ても立派なやべぇ奴である。

 いや、気にしたら負けだ。頑張れ私。


「生まれ変わる前の前世は、人界ともまた違った世界だったよ。魔力も魔法もない代わりに、科学知識や技術が発達しているの。

 私が人体に妙に詳しいのも、詠唱式呪文に色んな知識を織り込んでるのも、前世で学んだからなんだよ」


 一度言葉を切ってグレンを見る。こいつに対して、こんなに不安で心細い気持ちになったのは初めてだ。いつも迷惑をこうむって怒ってばかりだったから。

 グレンは少し首を傾げて、考え込んでいるようだった。

 短い沈黙の後に、彼は言う。


「……前世、か。いくつか質問してもいいかい?」


「いくらでもどうぞ」


「その前世は、人界のように国がいくつもある?」


「あるよ。いくつどころか、たくさんある。前世は技術が発達したせいで、人口がすごく多かったの」


 反対に魔界は、魔王が統治する国が一つだけだ。人口も今は相当少ないみたいだし。


「人口は何人?」


「確か80億人くらい」


「80億!? 途方もないね」


 世界の人口は近代以降にぐんぐん伸びて、とどまるところを知らなかった。私が子供の頃は60億くらいだったはずが、いつの間にか大幅増していてニュースで聞いてびっくりした記憶がある。


「国は何個?」


「ええと150個くらい? もう少し多いかも? 多すぎて普段あまり意識しなかったから、うろ覚え」


 主要国ならともかく、遠い場所の国は分からないよ。オリンピックやワールドカップで初めて見る国名も多かったな。


「ゼニスの国は、何という名前?」


「日本」


「日本の人口は?」


「1億2千万人だったかな。少子高齢化でこれから減るって言われてた」


「かなり多いね。日本は大きな国なんだ」


「まあ、そうかな? でも国土は小さいんだよ。人口過密でぎゅうぎゅう詰め」


「ふむ。ちなみに前世で一番の大国はどこ?」


「アメリカ。最近は中国も台頭してた」


 あとはインドとか?


「その2つの国の人口を教えて」


「アメリカが3億3千万くらい。中国は10億以上。13億か14億だったはず」


 グレンはなんでこんなに国と人口を聞きたがるのか。いいけどさ。


「科学が発達していると言ったね。それはどんな知識ないし技術?」


 おや、質問の方向性が変わったぞ。


「んーと、自然の法則を観察して発見して、技術に応用する学問かなぁ。

 魔力みたいに個人の資質によるものではなく、普遍の法則によるものだから、誰でも再現できる。

 自然の法則の研究そのものを目的にする自然科学と、それらの成果を応用して役立てる分野――工学とか医学とか、あとは農学もか。大きく分ければその2つだと思う」


 我ながらフワフワしているが、文系だからしょうがないのである。


「なるほど。その研究目的の方の分野はどんなもの?」


「生物学、天文学、物理学、あとは数学とか」


「では、有名な科学者は?」


「え? えーと、アインシュタイン?」


 質問の意図が分からんな……。そんな固有名詞聞いたってグレンは知らないでしょうに。


「その人はどの国の出身で、どんな科学者?」


「アインシュタインの出身? 何だったかな、ドイツ生まれのユダヤ人だったかな。

 物理学者で、主な功績は相対性理論っていう素人には理解の難しいなんかすごい論」


 文系だから以下略。


「ドイツはアメリカから見てどちらの方向?」


「地球、あ、前世の世界のことね。地球は丸いから、東西どっちとも言えないよ。あえて言うなら大西洋を挟んで、西がアメリカ、東がドイツ。それぞれ別の大陸」


「ゼニスの国はどこ?」


 あれ、グレン、地球が丸い話をスルーした。魔界でも常識なの?

 疑問に思いながら答える。


「日本はドイツのある大陸の東端。小さい島国だよ」


「中国は?」


「ドイツと同じ大陸で、東側。日本に近くて、海だけど国境接してる」


「日本から見てアメリカはどこ?」


「日本の東に広がる太平洋を挟んで東側」


「例の高名な学者の名前は、何だっけ」


 さっき言ったじゃんと思いつつ、返事をする。


「アインシュタイン」


「アメリカの人口、もう一度」


「3億3千万」


 何なのさ!

 さすがにムッとして言うと、顔に出ていたらしい。グレンが苦笑した。


「ごめんね。大事なゼニスの話だから、どんなことでも信じてあげたかったけど。

 さすがに生まれ変わる前の記憶があるやら、魔力が存在しない世界などと言われると、鵜呑みには出来なくて」


「うん、それはそうでしょ」


「だから確認した。そして、確信したよ。ゼニスの話は真実だと」


「え……」


 いつもの柔らかい微笑できっぱりと言われて、私は目を丸くした。


「どうして?」


「今、前世についていくつか質問をしたよね。聞いたことを総合しても、どこにも矛盾がない。言い間違えもない。

 もしもでたらめの嘘であれば、どこかに綻びが出たはずだ。

 けれどあなたの話は、全て整合性が取れていた。国の位置関係も、人口も、科学とやらの有り様も。

 作り話とはとても思えないよ」


「…………」


 あの妙な質問は、そんなことを確かめるためだったのか。


 そして。

 グレンはただ盲信するだけじゃなく、きちんと確かめた上で信じてくれた。

 前世があるなどという、馬鹿みたいな話を。




 それは私にとって、とても――とても嬉しかった。


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