第137話 ごはん!
今日は待望の固形食開始の日! ずっと謎の薬湯と、せいぜい重湯だったのでとても楽しみである。
何を食べられるのかドキドキして待っていたら、なんとおかゆが出てきた。
「お米のおかゆだぁ!」
思わず日本語で言ってしまった。
ユピテルは小麦の国で、お米は全く見かけなかった。辛うじて東方から輸入されてきた長粒米が、ごく稀に市場に出てたくらい。
ゼニスの体はユピテル生まれだから、小麦食にさして不満は感じなかった。
でもこうやって日本米に近い形のお米のおかゆを見ると、感動してしまう。
『今、何と言ったの? いつもの言葉と響きが違うような』
お盆におかゆの器を乗せたグレンが、不思議そうに首をかしげた。
こいつ鋭いな。ユピテル語と日本語の違いを感じ取ったのか。
『美味しそうだと言ったんだ。早くくれ』
適当にごまかして催促する。
上体を起こしてもらって、ベッドの頭の壁に寄りかかる。
グレンはお盆を私の膝に乗せてくれた。ほかほかと湯気を立てるおかゆには、小さく切ったお肉がちょこんと乗せられていた。見たところ、鶏肉のようだ。
スプーンを左手で持とうとしたら、グレンが先に取った。ちょっぴりすくって私の口元に持ってくる。
『さあ、召し上がれ』
『やめろ。自分で食べられる』
あーん、とか羞恥プレイはもうやめてくれ。こっちもいい加減神経すり減ってるんだ。
抗議の意思を込めて睨んだら、グレンはしょんぼりしながらあっさり引き下がった。この前の教訓がちゃんと生きているようだ。よろしい、よろしい。
とはいえ右手はまだ動かないので、お盆や器を支えてもらいながら食べた。
「んー、おいしー! 優しい塩味が染みるぅ」
感想はユピテル語。
前世ぶりのおかゆは本当に美味しかった。麦粥も決して嫌いではないのだけど、こうやって薄味で煮込む穀物はお米がナンバーワンだと思う。
トッピングの鶏肉も汁気をよく吸っていて、口の中でほろほろになった。涙が出そう。
私が感動しながらおかゆを食べていると、グレンがニコニコしながら聞いてきた。
『美味しい?』
『ああ、とても。これは誰が作ってくれたんだ?』
『シャンファ。彼女はこの屋敷の家事や雑事を担当している』
ほほう、命の恩人のシャンファさんか。話に聞くだけでまだ会ったことないんだよね。恩が増えてしまったな。
ただ、こんなに美味しいのに体がまだ量を受け付けてくれない。スプーンに三口か四口食べたら、お腹がいっぱいになってしまった。
『もう満腹だ。もっと食べたかったのに』
満足しながらもちょっと恨めしい目でお茶碗を見ていると、グレンがお盆を片付ける。
『だんだん食べられるようになるよ。ゼニスは本当に美味しそうに食べるね』
『実際美味いからな』
『じゃあ次は私が作ってあげる。しばらくは粥が続くから、飽きないように付け合せを変えて』
『お前、料理が出来るのか?』
『一通りできるよ。療養食は作ったことがなかったから、シャンファに譲ったけど。そんなに美味しそうに食べてもらえるなら、ぜひ作りたい』
ふーん。女子力高い系男子か。こいつ身分高そうなのに、意外である。
でも、私だって料理くらい出来るもんね。ユピテルにかき氷とアイスクリームブームを巻き起こしたのは、他でもないこの私が元祖だ。まぁ今となっては、マルクスや他の料理人たちの新レシピがたくさん出てるけど……。
それにしてもグレンは、どういう立場なんだろう。この家にいる他の三人は、明らかに彼に従っている様子。なのに料理が出来たり、怪我人である私の世話を甲斐甲斐しく焼いたりする。
初見の時はいかにも貴公子然としていたくせに、どうなってんだ。そのうち聞いてみよう。
食後の薬湯を飲まされたら、とろとろと眠くなってきた。
横にしてもらって、布団を掛けてもらったらもう限界。するんと滑り込むように眠ってしまった。
それからは毎日、いろんなお粥を食べながらリハビリに励んでいる。
グレンは有言実行して、手作りのお粥を持ってきてくれた。付け合せもお肉類の他に菜っ葉みたいのだったり、きのこだったり、ザーサイみたいのだったりと多彩だ。卵とじやあんかけのお粥の時もあって、飽きる暇がなかった。
どれも美味しいし、少しずつ量が食べられるようになって嬉しい。
リハビリはアンジュくんの指示のもと、最初は横になった状態で手足を動かしたり、補助付きで腹筋みたいな動作をしたりした。
その次は支えてもらいながら立ち上がって、歩く練習。
並行して魔法語会話の訓練もする。
以前は気にも留めなかった動作が大変で、寝たきりの不自由さを思い知った。一ヶ月と少し寝込んでいたら、ここまで衰えるとは。
介助はグレンがべったり付き添ってきたが、これはもうやむを得ないと諦めた。アンジュくんに頼むのはそれはそれで申し訳ないし、シャンファさんは部屋に姿を見せてくれないし、狼に頼むのはもっと嫌だったので。
リハビリはそれなりにキツイが、日に日に動ける範囲が増えていくのが嬉しくて、頑張っている。
で、一番の楽しみは食事である。
今日のお粥はシジミみたいな小さい貝が入っていた。だしが出ていてとても美味しい。
はふはふ食べる私をグレンは横でニコニコ眺めている。たまに何だかなぁと思う時もあるが、なんかもう慣れてきた。
食べ終わって、心のなかでご馳走様でしたと言っていると、グレンが話しかけてくる。
『アンジュの話だと、もう数日は粥だそうだ。付け合せで食べたいものはあるかい?』
『うーん? 魔界の食材が分からないから、何とも言えないかな』
私の魔法語は少し上達して、直訳調から脱出しつつある。
『それなら、ゼニスの故郷の食べ物を言ってみて。似たようなものを探してくる』
そこまでしてもらうと、ちょっと申し訳ないような。
最近は無理に嫌なこともされないし、やけに丁寧に扱われるし、タダ飯食べているようで遠慮してしまうのである。
いや別に嫌なことをされたいわけではないのだが、こう、脱出を目指すためのガッツが湧きにくいというか。
『じゃあ一つ頼む』
少し考えて思い浮かんだのは、ゼニスの故郷の味ともいえるチーズだった。
故郷の実家では山羊を飼っていて、お乳を絞って作る。日本人の舌ならたぶんクセが強いと感じるだろうが、ゼニスになってからは小さい頃から食べていたので、慣れた味なのだ。山羊はユピテル人の大事なパートナーである。
チーズの作り方までは分からない。家にいた奴隷の人がなんか混ぜ混ぜしていたとしか記憶にない。優しいおばちゃんだった。あのひと元気かな。
首都で暮らし始めても、帰省のたびに実家の味を楽しみにしていた。
そういえば、チーズは魔法語でなんて言うんだろ。さすがに呪文の語彙に『チーズ』はなかった。なお『乳』ならある。
『家畜の乳をかき混ぜて、時間を置いて固めたもの?』
最初は伝えるのに苦戦したが、説明を色々していたら伝わったようだ。
『チーズだね。それなら魔界にもあるよ。牛のと羊のが一般的。どっちがいい?』
『山羊はある?』
『山羊か。この付近だと見ないけど、たしか西方で飼っている民がいた。取り寄せよう』
『そこまでしなくていい』
『遠慮しなくていいんだよ? ゼニスが食べたいなら、そのくらい手間でも何でもない』
本気でそう思っているらしく、グレンはにこやかに笑っている。困った……。
『羊がいい。羊のチーズが食べてみたい。魔界の羊チーズ、気になる!』
まあ嘘ではない。実際気になる。私が強めに言い切ると、彼はうなずいた。
『それなら、何種類か食料庫にあったはずだ。明日の食事時に持ってくるよ』
『ありがとう』
『どういたしまして』
彼はまた少し幼く笑って、私の髪に触れる。そしてすぐ、はっとしたように手を引っ込めた。
すごく気を遣われている……。
あれかな。この前、頭突きの後に無理して魔法を使おうとしてぶっ倒れたから、すぐやらかすやべえ奴だと思われたんだろうか。優しくしないとすぐ自傷行為に走るメンヘラみたいな。不本意である。
まぁいいさ。何と思われようが構わない。
魔族の皆さんと座談会をする日は近づいている。それまでに体の調子と魔法語力を可能な限り高めて、たくさん情報をゲットしなければ。
そんなことを考えているうちに、その日は過ぎていった。
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