第136話 結果オーライ

 私の渾身のヘッドバットは見事にクリーンヒットして、さすがのグレンもちょっとよろけた。

 その隙に抜け出そうとしたのだが、いかんせん体がうまく動かない。こうなったら魔法だ。

 まずは頭の奥に意識を集中して、小さなスパークのイメージを――


「痛ッ!?」


 魔力回路を起動しようとした途端、目の奥が激しく痛んだ。頭痛というレベルじゃない、ハンマーで殴られたような衝撃と苦痛が走る。


『ゼニス! 無茶をするな、この状態で魔力回路を使うなんて、自殺行為だろう!』


 頭突きを食らわせてやったのに、グレンはピンピンしてる。くそお。

 痛みのあまり硬直した私を、奴は慎重にベッドに横たえた。しばらく目をつむっていたら、徐々に痛みが引いてくる。

 ひえぇ、びっくりした……。重傷だってのは分かってたつもりだが、思ったよりひどいな、これは。


『ゼニス、ゼニス、目を開けてくれ。私が悪かった。無理強いはしないと決めたのに、どうしても胸が苦しくて』


 グレンはベッド脇で泣きそうな声を出している。

 痛みがマシになってきたので、薄目をあけて奴の顔を見れば、鼻の先がちょっと赤くなっていた。これは頭突きの効果か半泣きしているせいか判断が出来ないね。

 私がもう少しまぶたを上げると、グレンは心底ほっとした表情になった。


『良かった……。もうこんな無理をしては駄目だよ』


 そう言って私の右手を握ろうとして、慌てて手を引っ込めている。よほど懲りたらしい。

 頭突きをかましてやったというのに、心配するばかりで怒る様子もない。こいつは本気で私を傷つけるつもりはないのかもしれない。


『幼稚な嫉妬はやめてくれ』


 私が言うと、彼はしゅんとした。


『うん。反省している。私もまさか、あのくらいで自分を制御できなくなるとは思わなかった。嫉妬という感情を、初めて身をもって知ったよ』


 えー? なにその、初めて感情を持ったアンドロイドみたいな感想は。

 よっぽど箱入りで甘やかされて育ったんだろうか? そういや狼は絶対服従の態度だし、アンジュくんとシャンファさんはたまに辛辣だけど、基本は彼を立ててるしなぁ。


『ゼニスといると、初めてのことばかりだ。毎日幸せで、退屈が吹き飛んでしまった。

 あなたのお世話が何よりの楽しみで、それから、たまに見せてくれる笑顔が……嬉しくて……』


 笑顔ねぇ……。それ、戦略的コミュニケーションの営業スマイルなんだけれども。

 心から嬉しそうに言われると、微妙に罪悪感がわく。

 

 いや。ここで弱気になってはいけない。

 そりゃあ拷問されたり、死にかけを放置されるよりはよっぽどいい扱いをしてもらってる。

 けれども、そもそも私が寝たきりになったのも、セクハラ受けまくりなのも全部こいつのせい。

 罪悪感を持つ必要はない。利用するだけ利用して、脱出することだけ考えなければ。


『ゼニス、私はどうしたらいい? 何でもするよ。して欲しいことがあったら、教えてくれ』


 そう言ってベッド脇の床に膝をついて、恐る恐ると言う様子でこちらを見ている。

 その上目遣いの表情は叱られて小さくなっている犬を思い起こさせた。実家で飼っていた番犬のプラムがイタズラしてお父さんに叱られると、こんな顔をしていた。怒る気も失せる。

 では、せっかく彼から『何でもする』と言っているのだ。この機会に情報収集を進めて、脱出の一歩と行こう。


『それでは、私の体がもう少し回復し、介助つきで歩けるようになったら。アンジュと、狼と、シャンファという人と話をさせて欲しい』


『なんのために?』


『話を聞きたいから。私はこれでも魔法使い。魔族の魔力や魔法に興味がある。だから教えてもらう』


 いやだって、「魔界から帰る気まんまんなので情報収集します」とは言えないじゃない。だから名目上、そういう話で。

 趣味が入っていないとは言わないよ。でもちゃんと実益も兼ねてるから! 趣味だけじゃないから!


 それとも正面切って「帰りたいです」と言えば聞いてくれるかね?

 なんか意味不明な感じで執着されてるから、心配なんだよね。

 帰っちゃヤダ! ずっと一緒にいて! と駄々をこねられたらとても困る。


 グレンは少しばかり眉を寄せた。


『教えるなら私が……』


『グレン以外の人の話を聞きたい。ここに来て以来、お前以外とほとんど話していない。気分を変えたい』


『私と2人でいるのは嫌なのかい?』


『さっきのようなことがあれば、嫌だ』


『……分かったよ』


 少しの間を開けて、彼はうなずいた。微妙に表情は渋かったが。


『後で3人に話を通しておこう。その話し合い、私も同席していいかな?』


『いいぞ。ただしあまり口を出さないで見守って欲しい』


『そうする』


 よく考たら、グレンからも謎のノロケ話(対象:私……)以外の話をろくに聞けていない。ここらでまとめて、まともに教えてもらいたいものだ。


『さすがに疲れた。もう寝る』


 えらい目に遭ったけど、他の魔族たちと話す機会をゲットできた。結果オーライとしよう。


『おやすみ、ゼニス。許してくれてありがとう』


『……ああ』


 本当言うと許していないのだが。まあ、勝手に勘違いするならすればいいさ。

 まぶたを下ろせば眠りはすぐにやって来る。今は眠るのが一番の薬だ。

 明日になったら待望の固形食のごはんを食べて、なるべく体を回復させて、話し合いに向けて魔法語の上達を目指そう。

 そんなことを考えているうちに、意識は落ちていった。







++++







【三人称】


 すやすやと規則正しい寝息を立て始めたゼニスを見て、グレンはため息をついた。

 頭突きも驚いたが、彼女が無理に魔力回路を起動させようとした際は、本当に肝が冷えた。

 あの時のゼニスの苦痛に歪んだ表情が、まだ目に焼き付いている。そんな顔にすら興奮を覚えてしまい、少し戸惑った。


「ゼニスは無茶ばかりする……」


 指先で褐色の髪の一筋をすくって、すぐに思い直した。許可なく触るのはいけないことだ。

 手を引いたまま彼女を眺めれば、愛おしさで胸がいっぱいになる。可能であれば抱きしめたいけれど、それはできない。今はまだ。

 ずっと姿を眺めていたいのに何故か心が苦しくなって、グレンは部屋を出た。

 ふらふらと廊下を歩いていると、掃除をしていたシャンファと鉢合わせる。


「グレン様。いかが致しましたか?」


 彼女は訝しげな表情で問いかけてきた。


「別に何もない」


 短く答えて、グレンはその場を去った。一度自室に戻って仮眠を取ろうかと考える。それとも外に出て、魔獣でも狩れば気分が変わるだろうか。

 愛しさともどかしさ。今すぐにでも彼女の全てを手に入れたいのに、不可能であること。色んな思いが行き交って、落ち着かなかった。







 覚束ない足取りで去っていった主を見て、シャンファは苦笑いを浮かべた。

 どうやらまた、あの人間の女にしてやられたらしい。


「それにしても……初恋という点を差し引いても、グレン様の挙動不審は目に余りますね」


 つい、そんなことを呟いた。

 たとえ人間であっても、シャンファの主が見初めた相手だ。成り行きを見守ろうと思っていたが、予想以上に前途多難かもしれない。

 長い付き合いなのに、シャンファは彼がここまで不器用な(というか、おかしな)性格だと知らなかった。むしろ普段のグレンは、何事もそつなくこなしていたので。


 手助けすべきだろうか?

 シャンファは他の魔族よりも人間に詳しい。過去には知り合いもいた。


 少し考えて、首を横に振る。

 ゼニスという人間は強かに見える。妙な行いばかりするグレンに対して、戸惑いながらも妥協せず付き合っているようだ。

 それは彼女の立場を考えれば、なかなかのものだった。全力を賭けた戦いに敗北して重傷を負い、状況も分からぬまま故郷から遠く離れた土地に連れ去られたのに、泣くでもなく自棄になるわけでもなく、気丈に自分の意志を保っている。


 であれば、やはり見守ろう。初めてグレンの心を解かしたひとを、もう少し信じてみよう。


 そう決めて、シャンファは再び掃除の手を動かし始めた。


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