第135話 歯を食いしばれ

 私の体はゆっくりだが回復してきている。

 今日はなんとアンジュさんが部屋にやってきて、診察してくれた。そして固形食の許可をくれたのである!


 やったね! これで謎の虹色薬湯と重湯だけの生活を卒業できる。

 ごはんが食べられれば、それだけ回復も早いだろう。とっとと動けるようになってユピテルに帰りたい。


 それから、アンジュさんはなんと可愛い系のショタであった。

 魔族だから実年齢は分からないが、14、5歳くらいに見える。癖のある赤毛がぴょんぴょん飛び跳ねてとってもカワイイ。

 このくらいの年齢だった時のラスとアレクを思い出すなぁ。アンジュくんて呼んでいいだろうか。

 服装はやはり古い時代の中国を思わせる、白い上着にオレンジ色の袴みたいなスカート? ズボン? だった。紺色の帯が蝶結びになっている。


『じゃあゼニスさん。無理はしないでね。きみに何かあったら、ボク、グレン様に絞め殺されるから』


 診察後、両手をバンザイしてアンジュくんが言った。

 なんでこんな格好なのかというと、診察で私に触れている間ずっとグレンが嫉妬と殺気の籠もった目で彼を睨んでいたからだ。100%医療行為なのになにやってんだ。

 おかげでアンジュくんは、身の潔白を示すように降参のポーズを続けている。もう触ってませんよ! と。

 私はそんな彼の様子から、2本足で立ち上がるレッサーパンダを連想していた。かわいいな。


 彼はバンザイしたまま退室していこうとしたので、もう一つ聞いてみた。


『私が歩けるようになるまでは、どのくらいかかる?』


『介助つきなら一週間もあれば大丈夫だと思うよ。ボクの治癒魔法でぱぱっと治してあげられればよかったんだけど、人間は魔力回路が弱すぎるから。下手に強い魔法をかけるとかえって良くないんだ。ごめんね』


『謝らないでくれ。お前……きみ? アナタ? には世話になった。ありがとう』


 治療だけでなく、例の口移し阻止の件もある。感謝の心は本物だった。

 私の魔法語はちょっと上達して、細かい違いも分かるようになってきた。『お前』はだいぶ乱暴な感じだったと思うんだ。

 かといって呪文的語彙の『汝』は会話にどうかと思うし。一人称『我』とセットでペルソナ呼べちゃいそうじゃん。

 というわけで、TPOに合わせた適切な言葉遣いを模索中である。


『わあ、やめて下さい。グレン様の目つきがひどいことになってます』


 アンジュくんはそう言って、そそくさと出て行ってしまった。彼には他にも聞きたいことがあったのに。魔族の結婚感覚とか……。

 まあいいか。機会はまたあるだろう。







 アンジュくんがいなくなって、またグレンと2人きりになってしまった。

 内心でうんざりした。早く寝たきりを脱出して、出歩けるようになりたいものだ。


『アンジュが気になるのかい?』


 不機嫌丸出しでグレンが言う。

 なんだよ。私が感謝の心でアンジュくんに接したのが気に入らないのか?

 あのくらいの年頃の子って可愛いじゃないか。アレクとラスもあの頃は一生懸命背伸びして、大人になろうとしている様子が微笑ましかった。


『小さくて可愛いと思った』


 とりあえず素直な感想を口に出すと、グレンは妙に静かな口調で言った。


『ゼニスはああいうのが好きなの?』


『好きか嫌いかで言えば、好き』


 ショタっ子は好きです。ロリも好きです。ただし彼らは一歩下がって愛でるものであって、間違ってもお触りはいけません。


『ふうん。そうなんだ……』


 奴はすっと視線を外した。それ以上は何も言わないので、ほっとする。







 固形食の許可が出た以上、私の体は順調に回復しているのだろう。そろそろ自力で起き上がる練習をしてみよう。

 右手はまだ動かせないので、左手で体を支えて力を入れる。筋力がすっかり衰えていて、なかなか身を起こせない。くそう、こんなことになる前まではちゃんと腹筋も鍛えてたのに。


 左手が滑った。少し上がっていた頭がボフンと枕に戻ってしまう。悔しい。もう一度。

 2回、3回とチャレンジするが上手くできない。ただ起き上がるのがこんなに難しいなんて……。情けなくて涙が出そうだ。グレンがいるから意地でも泣かないけど。

 ああもう、仕方ない。


『グレン、手を貸してくれ』


 とりあえず手伝ってもらって、半身を起こした状態で体を動かせるだけ動かしてみよう。筋トレする段階ではないので、筋トレのための準備の筋トレってやつだ。


『最初から頼ってくれればいいのに。でも、もがいているあなたも愛らしかった』


 なにそれ怖い。そういうことしれっと言う神経が信じられん。聞かなかったことにする。


『頼んだ』


 引っ張ってくれ、という意味を込めて左手を差し出した。

 今までは首を支えて起こしてもらっていたが、そろそろそんなにご丁寧じゃなくていい。


 ところが、グレンは黙ってベッドに上がってくると、両膝で私の足を跨いだ。

 いやそこまでしてくれとは言ってない。ベッドサイドから引っ張ってくれればいいんだが?

 彼の両手が脇の下に差し入れられた。右手に触らないように慎重に、丁寧に抱き起こされる。自然、正面から抱き合っているみたいな格好になった。


『ゼニス、そんな細い腕を引くなんて、私にはできないよ。左手まで壊れてしまったらどうするの』


 耳元で囁くような声がする。ぞわわっと背筋が逆立った。

 セ、セクハラー!! 事案だ事案!

 私最近、こんな目に遭ってばかりじゃない? そろそろ打ち止めにしろ、おかしいじゃろ!

 私は辛うじて動く左手で奴の肩を押すが、びくともしない。ちきしょう。


『引っ張ったくらいで壊れるわけがない。いいから離れろ!』


『壊れるさ。今、私がもう少し腕に力を入れたらどうなると思う? あなたのか細い体なんて、簡単に折れてしまうよ』


 平坦だが闇夜の向こう側から聴こえてくるような暗い声だった。

 その口調にいくらかの本気を感じて、心からゾッとした。


 そうだ、この男は。

 見た目が人間にそっくりでも、魔族で。

 仮にもユピテル随一の魔法使いの私が、捨て身の全力を出しても殺せない存在。

 体が弱りきっている今、私は完全に生殺与奪の権利を握られている。

 彼の気分を少し害するだけで、あっさり殺されてしまうだろう。


 ――怖い。改めてそう思った。


『だから、アンジュなんか気にかけないで。私だけを見て』


 なんて勝手な言い草だ。

 人の命を盾に脅しておいて言うことが、それか。

 怖い。でも、それ以上に腹が立った。黙って怯えるだけなんて許せない。


『私の心を決めつけるな。お前にそんな権利はない』


『ふふ……ゼニスは、本当に可愛いね』


 会話が噛み合わない。以前のことから、話せば少しは分かると思った私が間違っていたようだ。


 どうするべきか。

 ――正解なら分かってる。媚びへつらって卑屈に笑って、大好きだよ、貴方以外に目移りなんてしないよと言ってやればいい。そうすればこいつは満足だろう。


 しかしそれをやった場合、私の心はどうなる?

 表と裏を切り離して使いこなすほど、私は器用じゃない。たとえ生き延びるための演技だとしても、そんなことは言えるか。

 誕生日の日の夜、ラスが真摯に気持ちを告げてくれた時ですら、私は応えられなかった。

 それなのに上っ面の言葉を囁いて相手を騙すなんて、できないよ。たとえその相手が目の前のクソ野郎であっても。


 殺されるかもしれない。怖い。

 死にたくない。生きてユピテルに帰りたい。

 でも、私にだってプライドがある。自分が自分であるための最低限の自尊心、いわば喪女のプライドだ!!


 ここまで考えを巡らせるのに、ざっと2秒。


『……離せ』


 可能な限り低い声で言った。私の額が奴の肩口に当たっている形なので、くぐもった響きになる。


『ん? 何かな?』


 グレンは少し体を離して、私の目を覗き込んでくる。うむ、チャンス。


「この変態野郎が……」


 あえてユピテル語を口に出し。


「歯ァ食いしばりやがれ!!!」


 私は渾身の力を込めて、奴の鼻面目掛けて頭突きをした。


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