第134話 異文化コミュニケーション
グレンの話を聞き終えた私は思った。
アンジュさんとシャンファさんとやら、グッジョブ!!
おふたりにイイネを100個くらい送りたい!
なんだよ口移しって。緊急時のやむを得ない医療行為ならともかく、それ以外はマジ勘弁だわ。
阻止してくれてありがとう!! 命の恩人に等しいよ!?
直接会う機会が来たら、よくよくお礼を言おうと心に決めた。
さて、今の話を聞いて分かった点がいくつか。
まずこの家(?)には、グレンの他に狼、男性のアンジュさんと女性のシャンファさんという人がいる。アンジュさんは医者、シャンファさんは侍女らしい。
彼らは魔族という種族で、人間よりもずっと魔力が強い。
さらに、魔王が存在する。グレンは魔王の身内の可能性。
魔族の魔力にも色があり、グレンのそれは黒と白銀である点。2色だなんて、人間では聞いたことがない。
それから、私とグレンの魔力回路が癒着していること。なんだそれは。
あとついでに、狼の性格が真面目てのも分かった。確かに主人の大ピンチを行動不能状態で横で見ていたら、そりゃあ落ち込むだろうなぁ。
なんか少し気の毒になる。
自害を思い詰めるくらいなのに、当のご主人が謎の乙女モードに入ってるから……。
『それから毎日あなたのお世話をしたんだよ。眠ったままのあなたがとても愛らしくて、もう目覚めないままでもいいと思っていた』
グレンが言う。なにそれ怖い。
『でも違った。あなたの瞳を見て、声を聞いて、名前を教えてもらって。私の知らないことが、まだたくさんあると気づいた。もっとあなたのことを知りたい。もっと話を聞きたい、もっと触れたい、もっと――』
『では聞くが!』
話がヤバい方向に行きかけたので、私は頑張って話の腰を折ってみた。
『何でも聞いて』
邪魔してやったのに、奴は嬉しそうだ。
『魔族というのは、人間と違う生き物なのか? 魔力の強さが違うのは分かる。だが、見た目はほとんど同じ』
よく見れば耳がちょっと尖ってるかな? 程度の違いしかない。いわゆるエルフみたいに目立つ長耳ではないし。
グレンは笑顔のままでうなずいた。
『違う種族だね。見た目や肉体上の違いは小さいが、魔力回路の構造が違う。寿命もあなたたちはとても短い』
『魔族はどのくらい生きるのか?』
『個体差はあるけど、おおむね1万年程度だね』
いちまんねん。さらりと言われた数字に、私は絶句した。
異世界ファンタジーでは長命種はよくいるけど、ドワーフ200年エルフ1000年ドラゴン5000年くらいが相場(?)ではないだろうか。
1万年ねぇ。前世の歴史だと1万年前って何時代になるんだろ。古代ローマが2000年前、古代エジプトは5000年。中国4000年の歴史。
余談だけど中国4000年はちょっと眉唾じゃないかと思ってる。
封神演義の殷周革命が確か3000年くらい前でしょ。その前の夏王朝だっけ? は伝説上の存在で実在確定してないんじゃなかったかな。それとも新発見があって確認取れたんだろうか。考古学もちょいちょい常識が変わって面白いよね。
前世の姉が封神演義オタクだったから、私も中国史は聞きかじっている。姉は申公豹推しであった。
話が逸れたけど、1万年前は確実に先史時代だ。狩猟採集時代でマンモスとか狩ってた頃だ。
それだけの年月を一個の生き物が生きるとか、想像もできないや……。
私がそんなことを考えながら黙っていると、グレンが首を傾げた。
『人間の寿命はどのくらいなんだい? 短いと聞いているけど、詳しく知らないんだ』
『最長で80年程度。60くらいで死ぬ人が多い』
『え……』
医療レベルと栄養状態が日本よりだいぶ劣るから、ユピテルの余命はだいたいそんな所だった。平民なら70歳まで生きたら村をあげてお祝いする感じ。食事に困らない貴族に限定すると、もうちょっとだけ長生きかな。
グレンは顔色を青ざめさせた。
『80年? 一瞬じゃないか! ゼニスがあとたったの80年で死んでしまうなんて』
『私は今20歳だから、残りは60年だ』
80まで生きられればだけどね。長生きすればそれだけ魔法の研究を進める時間があるので、健康には気をつけたい。
可能なら100歳まで元気に生きたいけど、さすがに無理かなぁ?
『60年。……そんな……』
グレンはひどくショックを受けたようで、目の焦点が合ってない。
そんなにか? そりゃ1万年に比べれば短いけど、60年はけっこう長い年月だと思うのに。タイムスケールの差がピンと来ないなあ。
『ゼニス』
グレンがベッドに上がってきた。うわ、なんだよ。あんまり近づかないでよ。
私、寝っ転がった状態でいまいち動けないんだよ。いくらイケメンでも許される上限はあるぞ?
奴は上半身を乗り出して、両手を私の頭の両側に置いた。長い白銀の髪が落ちかかり、きらきら輝くカーテンみたいに外と内とを遮断する。
急に狭まった空間の中で、彼は囁くように言う。
『もっと長く一緒にいたい。60年はあまりに短すぎる……』
間近に見える紅の目がおかしな光を放っていた。悲しみとか焦燥感とか、そういったものがでたらめに混じって熱を生んでいるような。
地雷を踏んだかもしれない。内心で冷や汗が出た。
適当に人間の寿命は2000年だよ! とか言っておけばよかった。
なかなかヤバい雰囲気の中、必死で頭を回転させる。体が動かない以上、口先八丁で乗り切るしかない!
『待て、グレン。性急さを反省すると言っただろう』
口先の先鋒、自分の言動に責任を持たないと駄目でしょ説。
『待たない。待っていたら時間が過ぎてしまう。今は一秒だって惜しい』
先鋒敗北!
「待てと言ってるでしょ! ステイ、ハウス! 聞きなさいよ! なんで急にこんな展開になるんだよこのイカレトンチキ!」
『何を言っているか分からない』
焦って次鋒、ユピテル語が出る。失敗。慌てて脳内魔法語辞典を引っ張り出した。
『私のことを知りたいと言っただろう! 嫌だと言っているのに聞かないなら、もう何も教えてやらない!』
中堅、相手の欲求を逆手に取る。いくらか反応があり、グレンは戸惑っている。
この調子で畳み掛ける!
『それでいいのか? 嫌いになるぞ!!』
副将に続いて大将、必殺技『嫌いになる』を繰り出した。
するとグレンは動きを止めた。鼻先同士が触れ合う距離で、困ったように眉を下げている。
よっしゃあ! 効果あった!
嫌いになるってか現時点で嫌いなんだが、それは黙っておこう。
『嫌なのかい?』
『当たり前だ』
『どうして。私の魔力を受け入れてくれたのに』
『何の話だ』
『あなたの右手には、私の心臓から魔力が流れている。右手の魔力回路が壊れてしまったから、私の魔力で壊死を防ぎながら修復しているんだ』
え、そんなことになってたの? 癒着ってそういう意味だったのか??
『毎日少しずつ、魔力が馴染んできている。受け入れてくれたんだろう? それでなければ馴染むはずがない』
いや知らないよ。特に受け入れたつもりはない。
ていうか顔が近いせいで喋ると息がかかってくすぐったい。やめてくれ。
『初めて出会ったあの日、あなたは私にありったけの魔力を注いでくれた。今は受け入れてくれている。これはもう、事実上の婚姻関係だよ』
知らねー!! 魔族の常識を一方的に押し付けるな! だから結婚云々言ってたのか。
いや、今までのこの男の言動からして魔族の常識ですらなく、ただの思い込みの可能性もある。シャンファさんやアンジュさんあたりに客観的な意見を聞きたい。助けて顔も知らないおふたり! この際、狼でもいい!
この溢れんばかりのツッコミを叩きつけてやりたい! でも語彙力が足りない。ああもう、もっと魔法語会話を鍛える時間が欲しいよ。
とにかくあれだ、どれだ、落ち着け私。落ち着いてこの状況を切り抜けろ。知的かつクールになれ。
……よし。これでどうだ。
『グレン、よく聞いてくれ。私とお前は出会ったばかり。まだ何も知らない。拙速に距離を縮めるのは、私は反対だ。まずは話し合い、お互いをよく知っておきたい』
呪文ボキャブラリーのおかげで言い回しがちょっとアレだが、要は「お友だちから始めましょう」である。当初の予定通りとも言う。
『もう魔力の交換を済ませているのに? あなたには時間がないのに?』
グレンは不満そうだ。
『それは魔族の考え。人間には人間の決まりがある。そして、私は人間だ』
だから押し付けるな。尊重しろ。そう続けると、しばらくの沈黙の後に彼はため息をついた。
『分かったよ。あなたの願いはできるだけ聞いてあげたいから』
そう言って体を起こした。いかにも渋々といった様子だったが。
よ、よかった……。ひとまずの危機は去っていった。コミュ障喪女には厳しい戦いだったが、最後には良識が勝利したのだ。
グレンに対して誘惑やら色仕掛けやらは無理だが、ある程度良好な関係を保っておいた方が、脱出するのに有利だと思う。
もし奴の気分を本気で損ねたら、殺されてもおかしくない立場にいる。これは忘れないようにしないと。
今回は突っぱねて言うことを聞いてもらったので、アメとムチのアメが必要な時だろう。
私は言葉を選びながら、ぎこちない笑みを作ってみせた。
『ありがとう、グレン。分かってもらえて嬉しい』
その時の彼の笑顔は。
なんだか私の方まで切なくなるような、とてもきれいな表情だった。
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