第131話 恋のはじまりだってさ


 相変わらずベッドに寝たきり生活だが、起きていられる時間はずいぶん増えた。

 グレンの手助けを受けつつ身を起こして、ベッドヘッドに寄りかかるようにして座る。クッションをいっぱい背中に入れてもらえば、けっこう快適である。


 起き上がって改めて部屋を見ると、やはり中華風だった。

 全体的に黒っぽい木製の家具で統一されており、ラーメンどんぶりのような浮き彫りが随所に施されている。……安っぽいたとえだけど、この部屋の調度品は高級だよ。

 窓もあるが木戸が閉められている。やはり黒い木の立派な造りで、折れ曲がった直線みたいな彫り物がされていた。お揃いの模様の欄間もあった。これ、黒い遺跡で見たマークと同じだね。

 黒い調度品の中に時折、紅色と銀色が差し込まれており、なかなかにハイセンスである。


 食事は相変わらず謎の虹色薬湯がメインだった。たまに重湯みたいのも出る。固形食はまだ無理であるらしい。

 そして断っているのに、グレンは手ずから飲ませたがる。

 そりゃあ右手は全く動かないが、左手は無事なのだ。自分で飲むくらい出来るってのに。


 そう思って、無理やり一人で飲んでみたら、見事にこぼしそうになった。

 たかが吸い飲みなのに、左手一本で支えられないほど重く感じる。寝たきりのせいで筋力が衰えまくっている。自分の腕が骨と皮状態でキモイ。

 毎日欠かさず剣の鍛錬をして、ジョギングして、うろ覚えのリングにフィットな筋トレもしてたのに、この体たらく。情けなくて涙がちょちょぎれるわ。


 だが今に見ていろ、すぐに回復してサクッとユピテルに帰るんだから。

 その際に可能であれば軽く仕返ししてやる。靴の中にジャムを入れるとかでな!


 グレンは『あーあ』とため息をついて、吸い飲みを持ってくれた。

 吸い飲みの中の虹色の液体が揺れて、たぷんと音がした。


『ほらね、無理をしたら駄目だろう。今は甘えて、体を良くすることだけを考えて』


 ムカつく、とてもムカつく! でも反論できない。

 私は般若のような表情で薬湯を飲んだ。薬湯の味にすっかり慣れて、今では割と好きな感じになっている。甘いハーブティみたいな味だった。







 で、薬湯タイムが終わったので、今日もコミュニケーションの時間といこう。

 今日は何を聞こうか。

 確かめたいことが山ほどあるので、どれから手を付けるべきか悩む。


 まぁ、あれかな。気は進まないが、そういうものほど後回しはいけない。


『聞きたいんだが』


 私が口を開くと、奴は嬉しそうにベッドの横に寄ってきた。

 目を輝かせて待機している様子など、犬みたいである。ムカつく。

 私は脳内で言いたいことを翻訳し、口にした。


『どうしていきなり、その、結婚などと言い出したんだ? 私たちは敵対していたはず』


 急に180度変わった態度が不可解でならんのだ。気持ち悪いとも言う。

 だいたいあの時、いきなり襲ってきた理由も不明である。その辺の事情を解きほぐせば、取るべき手も見えると考えた。


『あなたを好きになった理由だね。ぜひ聞いてくれ』


 グレンが恥ずかしそうに指を組み合わせながら言う。

 なんか微妙に勘違いしてる気もするが、とりあえず聞いてみることにした。

 以下は奴の話になる。







++++







【グレン視点。第十章126話辺りで彼が見ていた光景です】


 きっかけは境界の侵入者を示す反応だった。

 境界は不可侵、そう人間たちの王と約定したというのに、紛れ込んでくる輩が稀にいる。

 それらの排除は私の職務だ。面倒なだけの役割だったが、与えられた以上は従うつもりでいる。


 狼を連れて魔界の境界まで行った。

 魔界とあちら側は位相が違う。転移装置を起動させて様子を見てみれば、あちら側の装置の周囲を人間たちがうろついていた。

 人数は10人に満たない。これならば片付けるのもそう骨ではないだろう。


「主よ。俺が行って皆殺しにしてきます」


 狼が言った。

 さほど多くもない人数が相手だ、取り逃がす可能性は低い。狼だけで十分だろう。

 あちらの時刻は夕暮れ時だった。太陽はほぼ沈んでいる。我々は日光を不得手とするが、じきに夜になるならば問題ない。


「いいだろう、行って来い」


「お任せあれ」


 転移装置に魔力を注ぎ、狼を送り込んだ。

 私は見物といこうか。出し物は脆弱な人間たちの死に様だ。まったくもってつまらない。

 あちら側の屋内にいるのが女2匹。屋外に男女が7匹いるのが視える。


 狼があちら側に転移を終えると、屋内の女たちはひとしきり驚いた後に健気にも武器を構えた。精度が低く魔力の気配も無い鉄製の剣だ。

 相変わらず人間は程度が低い。しかも一応の態勢を整えたのは1人だけで、もう片方は呆然としているだけ。

 狼も人間たちの拙い反応が可笑しかったのだろう。笑っている。

 爪の一撃が武器を抜いた方の女を捉えた。だが浅く致命傷ではない。狼め、遊んでいる。さっさと済ませればいいものを。


 人間たちが集まってきた。ふむ、あえて呼び寄せて一網打尽にする腹積もりか?

 だとしたら目論見が外れたな。人間たちは負傷者を運び出し、前衛と後衛とに分かれた。

 その際、治癒魔法を使った者がいたので少し気になった。あれはそれなりに高度な術、人間が使えるとは意外だ。だが大したことではない。


 狼はまだ遊んでいる。弱者をいたぶって喜ぶような性格とは知らなかったな。

 私に見世物を提供しているつもりかもしれないが、余計な気遣いだ。もう飽きた。

 私は面倒になってあちら側から目を離し、欠伸をした。帰ったらもう一眠りしよう。


 と。


 狼が悲鳴を上げて倒れた。四肢を痙攣させている。私がよそ見をしている間に、人間たちの魔法をまともに食らったらしい。

 私は内心で舌打ちをした。遊びすぎだ。

 男の一人が狼の頭によじ登り、目を狙って剣を振りかぶる。


「仕方ない……」


 狼の失態と私自らが動かねばならなくなった現状に、ため息が出た。

 転移装置に再度、少しばかり多めに魔力を注いだ。転移の際の衝撃を殺さず、あえてあちら側に放たれるように、だ。

 思惑通り人間たちは体勢を崩していた。

 倒れたままの狼の毛を撫で、「無様な。後でお仕置きだね」と告げると、奴はクゥンと情けなく呻いた。


「境界を侵した上、私の狼に手傷を負わせるとは。死ぬ覚悟はできているな?」


 返事を期待して言ったわけではない。言葉が違うのは承知している。相手は人間の罪人といえど、一言くらい愚痴を言ってやりたい気分だったのだ。


「境界とは何のことだ! 私たちは調査に来ただけ。狼は襲ってきた。だから反撃した!」


 予想外に返答があった。先程治癒魔法を使った女だろう。古臭い上にたどたどしい口調ではあるが、意味は通じる。枯れ草のような色の髪をした女だ。


「知らないのであれば、それでいい。罪の重さは変わらない。死ね」


 人間はすぐに約束を忘れる。いくら寿命が短い種族といえど、不誠実にもほどがある。これ以上会話をする気は起きなかった。

 すると横合いから風が吹いた。その直前に神聖語らしき詠唱も聞こえていたので、魔法を使っだのだろうが……。

 あまりに弱々しく拙い魔力に困惑してしまった。わざわざ神聖語の発音までしてこれか? 人間の魔力が弱いのは知っているが、予想を超えていて首を傾げてしまう。

 もともと薄かった意欲がさらに削がれかけた時。


「あまねく満ちる雷の力よ、二つに分かれ、惹かれ合う、その望みを奔流として、彼の者の肉に流れ込め――!」


 またしても神聖語が叫ばれ、私の体に魔力の干渉が発生した。

 これは雷の魔力だ。先程の幼稚な風と比べるまでもなく、よく洗練されている。出力が低いのはいただけないが、雷はそもそも扱いが難しい。我らの中でも自在に操れる者は限られる。


 しかもこの雷、直接私の体内に発生しようとした。なかなか面白い真似をする。狼がやられたのはこれだな。

 魔力で生み出された雷が現象の影であるうちに、こちらも魔力を練って相殺した。本物になれなかった魔力が消え失せる。

 雷の不発を驚いたのだろう、術者が驚愕の色を浮かべている。


 また先程の枯れ草色の女だった。


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