第130話 名を名乗れ

 それから数日を、私は眠りと覚醒を行き来しながら過ごした。最初はほとんど眠ってばかりだったが、徐々に起きていられる時間が長くなる。

 目覚めると必ず銀髪野郎がいた。まさか付きっきりなのか。深く考えるとすごい怖いので、なるべく気にしないようにした。


 起きている時は、出来るだけ情報収集を心がけた。寝起きのぼんやりした頭で魔法語会話はなかなか大変で、すぐに適切な言葉が出ずにもどかしい。

 まずは現在地を確認した。


『ここはどこなんだ?』


『うん? 私の家だよ』


『違う。地図の場所。地名』


『ああ、そういう意味か。魔界の東部、シンロンだよ。私の所領』


 ……魔界!? シンロンなんていう地名も聞いたことがない。

 魔界なる場所が単に私の知らない地域名で、ここは北部森林のどこかという線も考えたが。

 魔法語を日常的に使う民族がいるなど、全く想定外。詠唱せずに魔法らしき力を使う上、あの黒い遺跡の所有者と推測されるわけで、やはり通常の人間とは思えない。変身(?)した狼の件もある。


 これは、どう確認を取るべきか。下手に『魔界ってなあに?』と聞いた所で、『魔界は魔界だよ』とか言われそうだし。

 常識が違うのに加えて言葉の壁もある。大変やりにくい。

 そもそも、私はコミュ障なのである! 荷が重いわ!







 私は何としてでもユピテルへ帰りたい。こんな訳の分からん場所で拉致監禁されたままでいられるか。

 1ヶ月も昏睡状態だったから、本来の帰宅時期はもう過ぎている。皆、心配していると思う。

 ミリィたちも死んではいないとはいえ、あんな森の奥地で怪我をして、無事に帰られただろうか。


 ミリィ、オクタヴィー師匠、ティト、マルクス、シリウス。それにラス。実家のお父さんとお母さん、アレク。他の人たちもみんなみんな、心配してるだろうな。

 魔法学院の仕事はちゃんと回ってるかな。私の業務持ち分を減らして共有する方向にしたのが、こんな所で役に立つとは。

 でも、奨学金制度はまだ始まったばかり。既に入学した奨学生たちはもちろん、これから新入生になる人たちの募集と選考、世話と教育は私がメインでやらなきゃなのに。


 毎年行っていた、北西山脈の魔力石鉱の様子はどうだろう。ユピテル人は環境保護とかの概念がそもそもなかったから、放っておいたら掘削土を川にそのまま流してしまったり、木も伐採するばかりだった。

 とはいえこの何年か、私が口を酸っぱくして「環境大事! 植林必須! その方が結局、長く資源と付き合える」と言い続けたので、それなりの対策と対応をしてくれている。


 ユピテルの人たちを思い浮かべたら、急に心細くなった。

 ああ、帰りたい。早く帰って、みんなに会いたい。

「心配かけてごめんね。ただいま!」と言って、また日常に戻りたい。


 そのためには、ちゃんと体を治してここを脱出しなければ。

 やたら丁寧な看護と唐突すぎるプロポーズ(うへぇ)に心が折れそうになっている場合ではない。

 銀髪野郎がなんぼのもんじゃい。しっかり魔法語会話マスターして情報引き出してやるわ。

 そんでもって、隙を見て華麗に逃亡キメてやる。今に見てろ。







 日を追うごとに目覚めていられる時間が増えてきた。回復しているのだろう。

 銀髪は相変わらずべったりと近くにいて、甲斐甲斐しく世話を焼いてくる。


『何かして欲しいことはない? 聞きたいことはないかな?』


 そう言って甘やかしてくる。寝たきりの怪我人相手とはいえ、なんでここまでしてくるのか不気味である。

 結婚云々はあえて意識の外に押し出している。そうじゃなきゃ心の健康が保てそうにないからだ!!


『では一つ聞く』


 思いついて、私は言った。魔法語会話はまだ不慣れで、口調が直訳になりがちだ。


『うん、何でも言って』


 やけに嬉しそうなのがウザい。


『名前を教えて欲しい』


 すると奴はピタッと固まった。フリーズ状態だ。

 何だよ。私はただ、そういや名前聞いてなかったなあと思っただけなんだが。なんかの地雷だったか? いつまでも名無しの銀髪じゃ不便だろうが。


『どうした?』


『ごめん、何でもないよ。私たちはもうずっと昔から知り合っていた気がしていたのに、よく考えたら名前も知らなかっただなんて。驚いたんだ』


 あっそう、そんなんでいちいち驚かないで欲しい。どんなロマンチストだよ。

 あと伏し目で頬を赤くするのもやめて欲しい。睫毛が長くてムカつく。こいつの赤面ポイントは真面目に分からんな。

 で、肝心の名前をさっさと言えよと思いながら待っているのだが、奴はモジモジするばかりで答えない。

 どんだけ乙女思考なんだ、もう知らんわと思った所で、手を握ってきた。未だに感覚が戻らない右手だ。

 私の右手を奴の左胸にそっと押し当て、目を覗き込むようにして言った。


『グレン。私の名はグレンだ。……あなたの名前も教えて欲しい』


『ゼニス』


 フルネームは言わない。まだまだ状況に不明な点が多い以上、相手に渡す情報は少ないほどいい。

 偽名でも良かったが、呼ばれた時に反応が遅いなどで怪しまれても面倒である。


『ゼニス。ゼニス』


 銀髪野郎改め、グレンは何度も私の名を呟いている。

 大好きな味の飴玉を口の中で転がしてるみたいに。……ぞわぞわする、やめてくれ。


『ゼニス。素敵な響きだ。あなたに相応しい』


 そりゃどうも。


『結婚の件は、さすがに性急過ぎたと反省している。これから体を回復させて、ゆっくりと仲を深めたい』


 だが断る。私は出来るだけ早く、故郷に帰りたいのだ。

 けれど口には出さない。警戒されるより油断させておいた方がいい。


 この場所のことも、グレンや狼のことも、分からない点はまだまだ多い。

 ユピテルへの帰り道だって一筋縄ではいかなそうだ。

 気に入らないが、コミュニケーションを重ねて情報を引き出さなければなるまい。




 グレンの言う結婚だの仲を深めたいだのの言葉がどこまで本気か知らないが、好意を宣言しているのだから、本当はそこにつけ込んだ方が効率的なのだろう。

 誘惑なり篭絡なりしてさ。色仕掛けとかさ……!!

 でも残念ながら、喪女歴半世紀の私にはとても無理です。そもそも、やり方が分かりません。

 色仕掛けってどうやればいいの? お手本がルパンのふじこちゃんくらいしか思いつかないよ。恋愛経験値が低すぎるのを後悔しても、もう遅いッ!


 なので、いわゆる「お友だちから始めましょう」くらいの気持ちで頑張ります。


 はぁ……気が重い。

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