第127話 死闘

 カツン――と靴音が聞こえて、消えかけていた意識が僅かに戻る。


 右耳を床につける格好で倒れたせいだろうか、あの男が歩いている音が聞こえた。

 歩む方向は、ミリィが倒れている所。

『一匹ずつ確実に仕留める』。そう言っていたっけ。あいつ、殺す気だ、ミリィのことを。


 ……やめてよ。ミリィは大事な友だちなんだよ。長い付き合いで、もう10年にもなる。

 ミリィは頑張り屋で、肉食女子で、欲しい物があったら努力を惜しまない人。夫のガイウス一筋の一途な子だ。

 興味範囲外はぶん投げがちの私と違って、バランスの取れた性格で、私にとっていい友だちなんだ。明るい人柄に助けられたこともいっぱいあった。

 エール作りから始まった縁が長く続いてくれて、私は嬉しかった。失いたくない。


 それに彼女に万が一のことがあったら、ご両親やガイウスがどれほど悲しむか、実感として分かってしまう。彼らも私の友人だ。胸が締め付けられる。

 他の兵士さんたちだって、この旅の間ずっと一緒だった。せっかくちょっと打ち解けた所なのに、手を出すのやめてよ……。


 ミリィと兵士たちに意識を向けたおかげで、少しだけ思考力が回復した。

 考える力が戻ったとたん、今の状態に疑問が生じた。







 だいたいなんで私、急に倒れたのさ。息もできないし神経麻痺でも起こした? そういう魔法? え、なにそれ想定外なんですけど。

 あいつ魔法語ネイティブっぽいけど、何でもありなの? ずるくない?

 だいたい、人体干渉系の魔法なら私も試したっての。で、上手くいかなかったんだよ。私の医学知識が素人なのがいけないのかもだけど、幻覚見せるとか脳神経に干渉するやつはどうも難しい。

 対人で一番触りやすかったのは魔力なんだよね。魔力は魔法使う時に体の外に出てくるし、感覚として掴みやすかった。


 おや、私、死ぬ瞬間だってのに魔法のこと考えてる。笑える。我ながら魔法オタクだねえ。


 ……いや、ちょっと待って。なんか変だ。魔法、魔力、……そうだ。

 さっきから、倒れた瞬間から体内魔力の動きが不自然に止まってる。魔力回路を起動していなくても、魔力は体の中で多少は動いている。ここまで石みたいに凝っているのは不自然だ。

 なぜ? よく観察しなければ。間に合わなくなる前に。


 ……分かった。魔力の流れ道、魔力回路にめちゃくちゃな外圧がかかってる。押しつぶされてる。この圧力、たぶん魔法だ。

 解除しなきゃ。どうやって? どうやって? ああもう、思考が鈍ってきた。やばい。間に合わないかも。

 方法、わかんない。じゃあどうする。なんにも出来ずに死ぬなんて、前世だけで十分だ。


 そうだ。押し潰されて魔力が流れないなら、無理矢理にでも流す!!

 相手がものすごく強いなら、自分はその2倍強くなればいいってなんかの少年漫画でも言ってた!

 もうやけくそだ! どうせいい考えなんて浮かばねえ。

 まず脳! 次に心臓、それに肺! この順番で無理矢理むりむり魔力を流す。潰れていた魔力回路がめりめり言う。

 あの男の魔法は桁違いに強力だけれど、私の体内であればいくらか私に分がある。

 心臓が弱々しく鼓動を再開して、かすれた息が僅かに口から漏れた。


 でもまだ、足りない。







 ……そうだ、あれがある。魔力回路の強制過剰励起。

 某国民的RPGの犠牲魔法をモチーフにした、自爆上等の暴走魔法。残りの魔力を全部使って、足りない分は体力でも生命力でも全て注ぎ込んで、魔力回路を暴走させる。その過剰な熱量を攻撃に変換する。

 思いついた時は、「呪文が唱えられない時でも攻撃できるし、何より浪漫、自爆は浪漫~!」とか言って能天気に浮かれていたっけ。我ながらアホである。


 でも今こそ、役に立ちそうだよ!


 循環時の魔力の流れを何倍にも、何十倍にも、何千倍にも早める。体の中の魔力であれば、呪文を唱えなくても操れる。

 脳を起点に心臓へ。下腹部へ。全身へ。潰れてぺったんこになっていた魔力回路に高圧の魔力を注ぎ込む。外圧と内圧とが拮抗し、やがて内圧が勝った。膨れ上がった魔力は、私の身体を蝕むように巡っていく。

 体が動く。いける。


 視覚が回復して焦点を結んだ。体に暴力的な熱と魔力が満ちて、今にも破裂しそうだ。長くは保たないが、今は確かに私を満たしている。


 私は跳ね起きた。あの男はすぐ横に立っていて、ミリィに止めを刺そうとしていた。さっき倒れてから1分も経過していない。

 間に合った! まだ誰も殺されていない、間に合ったんだ!


 男は私を驚いた目で見ている。

 今にも暴発しそうな魔力を必死で押し留めて、右手に集中させる。熱い。血管が破れ、皮膚が溶けて魔力回路がむき出しになったような感覚がある。熱い。痛い。苦しい。けど、あと少しだけ。強く食いしばった奥歯が、ぎりぎりと鳴った。


 男の左肩口を掴んだ。本当は頭に指を突き立ててやりたかったのに、こいつ、とっさに体をひねりやがった。奴の長い銀髪が、スローモーションのように翻っていた。


 でも、いい。ここは心臓に近い。

 私の魔力を全部、一滴残らず注ぎ込んで心臓を止めてやる。さっきのお返しだ。


 むき出しになった魔力が燃えて白熱し、融解し、相手の皮膚と肉を溶かして、めり込んだ。

 視界の端に倒れたままのミリィが映る。手足がまだ少し痙攣している。生きていると信じたい。

 生きて、ちゃんと家に帰ってくれると信じたい。待っている人たちのもとへ。


 そのためにはこの男を始末しなければ。

 溶けて流れ出た魔力が相手の心臓に触れた。こいつと私には大きな差がある、でも私の全身全霊とこの男の心臓一個だけなら、けっこう釣り合い取れる感じじゃない?


 もう魔力を制御する必要はない。暴走して溢れ出るままに、魔力回路を破裂させて飛び散るままに、全てを解放する。

 魔力が、命そのものが溶け出すのが分かる。暴発する熱と同時に、ぞっとするような寒気を感じる。

 でも、これでいいんだ。こうでもしなければ、この男に届かない。皆を守れない。

 この場で私だけがそれを出来るのだから、実行するだけだ。


 確かな手応えを感じて、私は笑った。少なくとも笑ったつもりだった。




「さあ。私と一緒に死のう……!」




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