第126話 遭遇、あるいは邂逅

『境界を侵した上、私の狼に手傷を負わせるとは。死ぬ覚悟はできているな?』


 青年が口を開いた。低く艶のある声だった。その声は黒くて狭いこの遺跡によく響いた。


「魔法語……!」


 ミリィが息を呑む。

 そう。白銀の髪の彼が発したのは、魔法語だった。

 ところどころ文法やイントネーションに違和感があるが、間違ない。あれは魔法語だ。


『境界とは何のことだ! 私たちは調査に来ただけ。狼は襲ってきた。だから反撃した!』


 私は叫ぶように答えを返す。魔法語を呪文以外で使うのは初めてなので、とっさに言葉を繋げられずもどかしい。

 青年は温度の感じられない眼差しで私を見た。


『知らないのであれば、それでいい。罪の重さは変わらない。死ね』


 やったね、初めての魔法語会話はちゃんと通じたみたいだよ!

 って、それどころじゃない!!


『荒れ狂う風の精霊よ、その吹きすさぶ力を我が手から放ち給え!』


 ミリィが魔法を発動させた。突風の魔法だ。私と銀髪の男が会話している間に呪文を唱えていたらしい。ミリィ、ナイス!!

 突風の魔法は瞬間的な効果しかないが、人間一人なら吹き飛ばすくらいの威力が出る。牽制なら十分だろう。

 ミリィは魔法の発動と同時に床に倒れた兵士――狼の目を攻撃しようとしていた彼だ――に駆け寄り、抱き起こした。そしてすぐに下がろうとして。


『何だ、これは』


 微動だにしていない青年と目が合い、動きを止める。


『魔法なのか? これが? 馬鹿馬鹿しい。しかもわざわざ***を発音してまで……』


 攻撃されて怒っていると言うよりは、なんだか戸惑っているようにすら見えた。呟くように言うものだから、内容がちゃんと聞き取れない。はっきり言えよ、こんちくしょうめ!

 我に返ったミリィがふらつく兵士を引っ張るように立たせながら、叫ぶ。


「ゼニス! さっきの狼を倒した魔法、もう一回やって!!」


 ――分かってる!


『あまねく満ちる雷の力よ。二つに分かれ、惹かれ合う、その望みを奔流として、』


 既に唱えかけていた呪文の最後の一句を開放した。


『彼の者の肉に流れ込め――!!』







 手応えはあった。魔法は確かに発動したし、プラスとマイナスの電子の動きに連動した電流が、彼の体内に流れ込んだはずだ。

 でも。


『……いかずちか。まともな使い手もいるようだ』


 平然と立っている男に効いたようには見えない。なんで!?

 この攻防の間に(本当は攻防とも言えないような時間だったけど)兵士たちは態勢を立て直し、再度半包囲の形を取った。

 けれど味方全員の顔は蒼白のままだ。得体の知れない獣に、さらに底の知れない男。喉がひりつく。生命の危機が物理的な圧力になってのしかかっていると錯覚してしまいそうだ。


 勝てる気はしない。でも、撤退を見逃してくれそうもない。

 じゃあダメ元でもなんでも、攻撃して隙を作るしかない。兵士たちとミリィもじりじりと包囲を狭めて機を伺っている。


『大地の精霊よ、御身の一欠片を我が手に集め、彼の者を打ち砕け……っ!?』


 私は石つぶての魔法を発動したつもりだった。突風もだめ、電流もだめなら物理的な石つぶてならどうだと思ったからだ。

 だが、発動した瞬間に魔力回路に衝撃が走る。こんなことは初めてだ。

 現れたばかりのいくつかの石つぶての間に青白い火花が散って、そのまま霧散してしまった。

 けど、私がそれに驚く暇はなかった。

 石つぶてを飲み込んだ火花は広範囲に広がっていて、私以外の全員を打ち倒したのだ。


『ほう。相殺したか』


 男が言う。少し楽しげな笑みすら浮かべて。ミリィも兵士たちも痙攣しながら倒れている。肉が焦げるような嫌な臭いもする。

 あの青白い火花は、たぶん電撃。一瞬だったけど、放射状に伸びるスパークが見えた。


 私が無事なのはただの偶然。たまたまタイミングが合って、石つぶてが電撃を絡め取ったのだろう。

 もう一回やれと言われてできるものじゃない。


 男の背後で狼がくぐもった声を上げた。まだ体がうまく動かせないようだが、何とか立ち上がろうともがいている。回復しつつあるのだ。

 男は獣にあやすように言う。


『ああ、分かった。そう急かすな。外にも何匹かいるからな、逃げられたら面倒だろう? 一匹ずつ確実に仕留めた方が早く終るというもの』


 従者たちと開拓村の若者も把握されている。今すぐ逃げてと叫びたかったけど、声が出なかった。


『まずは――』


 真紅の目が私を捉えた。

 なにか、何か魔法を使わなきゃ。恐怖に引き攣る体と心を必死に叱咤して、何とか動こうとして。

 ひゅ、と自分の喉が息を漏らすのを聞いた。気がつけば床に倒れていた。身動きできない。呼吸ができない。見えない手に神経の全てを鷲掴みにされたみたいに、動けない。


 何が起きたかさえ分からないまま、急速に視界と思考とが白く塗りつぶされていく……

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