第125話 黒い遺跡2

 壁の魔法文字は複雑な書式で、読み進めるのに苦労した。

 縦書きや横書きが入り混じり、さらに渦巻きみたいな形の一文もある。

 どうにか少しばかり読んで、要約するとこんな内容だった。


『魔力の滴る地より雨粒が落下する時、底はその恵みを受けて、大地を潤わせる。

 此処は境界線。彼らの邂逅は偶然であり、また必然でもある。遠ざかれば引き寄せ、近づけば押し留める』


 ……うーん。意味はよく分からない。

 これらは碑文ではなく記述式呪文と思われるので、文章としてはあまり系統立っていない気がする。


 シリウスがいればなぁ、と思った。

 借り物とハリボテの私と違って、彼の才能は本物だ。私じゃ出来ない読み解きをしてくれただろうに。

 今からでも呼び寄せられないだろうか? ここまでの行程を考えると難しいか……。


 いない人をどうこう言っても仕方がない。私が力を尽くそう。

 帰還までに全部模写するつもりだが、今はもう少し読み解きを進めたい。

 魔法ライトをかざして上を見上げたら、従者さんが脚立を持ってきてくれた。助かる。


 それにしてもすごい文量だ……。記述式呪文として新しい書き方が山ほどあるのはもちろん、魔法文字自体にも見たことないのがある。

 魔法文字はずいぶん昔から研究されていて、もう新しい発見はないと思われていたのに。大発見の連打で感覚が麻痺しそうだ。

 今までの知識になくて読めない文字は、文脈と文字の形――漢字でいうところの「へんとつくり」――から推測していく。


 夢中で作業していたら、時たま従者さんがお水のカップを持ってきてくれたり「少し休憩しましょう」と言ってくれたりする。

 集中を乱されたくないと思うものの、根を詰め過ぎると体力を消耗してしまう。大人しく従うことにした。







 ふと、目の端に赤い光が見えた。振り返ると、開け放たれた扉から夕焼けの光が差し込んでいる。

 集中していて気づかなかったが、日没が近づいているようだ。

 扉から入る茜色の光は徐々に角度を低くして、だんだんと弱まっていく。魔法ライトがあるとはいえ、遺跡内も薄暗くなってきた。今日はもう潮時だろう。


 私が「うーん」と伸びをすると、模写作業をしていた従者さんが立ち上がって近づいてきた。


「ゼニス様、そろそろ引き上げましょう」


「そうだね、分かった。ミリィたちの所に戻ろうか」


「はい」


 私が素直に作業を中断したので、従者さんはほっとした顔をした。どうやら駄々をこねると思われていたらしい。心外である。

 2人でざっと道具類を片付けて、出口に向かう。夕焼けの赤はもうほとんど空の向こうに行ってしまって、森に宵闇が降りようとしていた。

 中央の台座を通り過ぎ、もう少しで出口へ。


 ふと。


 正体不明の悪寒を感じ、私は立ち止まった。うなじの毛がちりちりと逆立っている。思わず握りしめた手のひらに冷や汗がにじんだ。

 この遺跡に近づいた際に感じた違和感を、思いきり不快にしたような空気が生まれている。


「ゼニス様? …………!!」


 数歩先を歩いてい従者が振り返り、硬直した。

 しかしそれも一瞬のこと。彼女は素早く足を踏み出し、私を押しのけて「それ」に立ちはだかった。


 空っぽの台座にいつの間にか黒い球体が生まれていた。

 そして、やはり真っ黒の何かが床にうずくまっている。その中心に赤い2つの光が灯っている。

 それが両の目だと認識した途端、そいつがゆっくりと身を起こした。


 それは、巨大な狼に見えた。身を伏せた状態で私の身長ほどもあり、黒い毛は金属質のぬめった光を放っている。

 従者が腰の剣を引き抜いた。扉から入る僅かな残光を反射して、刀身がギラリと光る。

 私の剣は使わないと思って、馬の荷に積んだまま。よりによってこんな時に!


 赤い双眸が細められて、まるで細い月のようになった。黒い毛に覆われた口元が少し動き、尖った犬歯がちらりと見える。


 ……こいつ、嗤ってる。剣を構えた従者の気概と、呆然としている私を嘲って笑ってるんだ。

 そう思ったら怒りが湧いてきて、腹に力が込められた。唾液を飲み込んで喉を湿らせ、従卒にささやく。


「ゆっくり出口に行こう。大声を上げると刺激してしまうかもしれない。外に出て、ミリィたちと合流を」


「分かりました」


 幸いなことに、黒い巨狼はすぐに襲いかかる素振りを見せていない。私たちはじりじりと後退して出口を目指した、が。


 轟!


 衝撃を感じるほどの咆哮が放たれた。巨狼は私たちを逃がすつもりなんてなかったのだ。

 旋風のような速さで前足が閃き、金属の折れる音、次いで赤いものが視界に飛び散った。折れた剣を抱えて従者が崩れ落ちる。肩口から腰までばっさりと、鎧を貫通して鮮血が吹き出している。

 崩れ落ちた彼女を抱きとめたら、暖かい血が流れ出て私の腕を濡らした。


「ゼニス! 何事!?」


 咆哮を聞きつけたミリィたちが駆け込んでくる。

 私は従者を抱えたまま、遺跡の奥の獣を睨んだ。


「あいつが急に現れて襲ってきた! それ以外は分からない!」


「……っ!? 総員、戦闘態勢! 従者は負傷者の保護!」


 ミリィが素早く指示を飛ばす。


「はっ!」


 兵士たちが剣と盾を構え、巨狼を半包囲した。


『命に宿る大いなる力よ、我が手に触れるこの者の、流れる血を固め、小さきものの献身にて傷口をふさぎ、やがて芽生える新しき肉と皮をもて、健やかなる肉体を取り戻せ』


 もう一人の従者に怪我をした彼女を引き渡す際、私は治癒魔法を使った。

 だがこれは治癒力を高めて傷の治りを早くする効果であって、重傷が一発で完治するには程遠い。それでも多少は効いたのだろう、従者の体がピクリと動いた。


「ゼニス、あなたも退避して!」


「冗談でしょ。氷雷の魔女様を舐めないでよ」


 私は唸るように言った。あの従者にあんな怪我をさせたのは、私の責任だ。様子見なんてしないで先制攻撃をしてやればよかった。

 あの従者は、彼女は私を守ろうとしてくれた。そのせいであんな怪我を。


 巨狼は今や立ち上がり、窮屈そうに身を震わせた。この建物は二階分の高さがあるが、巨狼の頭の部分は一階の天井の高さを超えているだろう。扉をぎりぎり通れるかどうかの大きさだった。

 巨狼は自分を取り囲んだ兵士たちを睨めつけ、喉の奥で低い声を漏らした。次いで打ち振るわれた爪を、兵士は盾で受け流す。ギャリギャリ――と、金属同士がこすれる嫌な音が響いた。


『凍てつく氷の精霊よ、その鋭利なる穂先にて、我が敵を貫き給え!』


 ミリィが魔法を放った。つららのような尖った氷を投げつける中級魔法だ。攻撃魔法は火が王道だが、ここは森の中。山火事に発展したら目も当てられない。ミリィの選択は妥当だろう。

 氷の槍は巨狼の肩の辺りに命中した。が、分厚い毛皮に阻まれて砕けてしまう。巨狼の動きは鈍らず、効果があったとは考えにくい。

 兵士たちも爪と牙を掻い潜って剣を振るうものの、刃が通っていない。あの黒い毛皮はなまじっかな鎧よりも防御性能が高いらしい。


 ――ならば。


「ミリィ、あいつに効きそうな魔法がある。巻き込むといけないから、合図をしたら兵士たちを下がらせて」


「分かったわ」


 やってやろうじゃないの!

 私は呪文を唱え、完成直前に手を振った。察したミリィが兵士を下がらせる。


『あまねく満ちる雷の力よ。二つに分かれ、惹かれ合う、その望みを奔流として、彼の者の肉に流れ込め!』


 雷の魔法の応用版、高電圧の電流を相手の体内に発生させる魔法だ。いわばスタンガンの強力版。外装が強力でも直接体内に発生させれば関係ない!


「ガアアァァッ――!?」


 巨狼が悲鳴を上げて痙攣した。四肢を震わせた後に硬直し、どうと音を立てて倒れ込む。半端に開いた口元からは舌が垂れ下がり、涎が泡となってこぼれた。


「目を狙って、止めを!」


 ミリィが叫ぶ。兵士の一人が巨狼の頭に取り付き、開かれたままの目に向かって逆手に剣を振りかぶる。毛皮や筋肉がいくら頑丈でも目は守りようがない。巨狼の赤い瞳が引き攣るように見開かれる。瞳孔が限界まで引き絞られる――







 ――と。


 台座の上の黒珠が鈍く光った。遺跡の中の空気が揺れる。音叉を間近で聞いたような、脳を揺さぶられる目眩。私だけではなかったようで、ミリィも兵士たちも膝をついている。黒狼の目を狙っていた兵士は滑り落ち、床に転がっていた。


 起こるはずのない揺らぎは瞬く間に一点に収束し、黒い影を紡いだ。


 黒い――否、白く銀色に輝く髪をなびかせて、一人の青年が巨狼のそばに降り立った。風変わりな黒い衣装を着ている。

 そのしなやかな手が伸びて、倒れ伏した巨狼の毛先を撫でる。何事か呟くと、巨狼は身を震わせてクゥ……と小さく鳴いた。


 青年が視線を上げる。巨狼のそれよりも鮮やかな紅の双眸が、私を射抜いていた。


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