第124話 黒い遺跡1

 今日はとうとう目的の遺跡に到着する。

 昨日は興奮と期待と妄想が爆発してあまり眠れなかった。それまで色々悩んでいたことも吹っ飛んで爆発である。


 朝、まだ日が昇りきらないうちに目が覚めてしまった。ミリィと従者さんは眠っている。

 2人を起こしたくなかったので、物音を立てないようにそうっと天幕を這い出た。


 早朝の森は薄蒼い霧に覆われていた。木々の枝の向こうに見える空は紺色で、東から徐々に明るい白が滲んできている。

 天幕のほど近く、焚き火の前に寝ずの番をしていた兵士が座っている。小声で挨拶した後、私は少し離れた場所に立った。


 深呼吸をする。緑の匂いをふんだんに含んだ森の空気が、肺いっぱいに満たされた。

 寝起きの身体に血流が巡っていくのを感じながら、私は魔力循環を始めた。

 まずは脳。小さな青白い火花、極小のスパークをイメージすれば、頭の奥に魔力の明かりが灯った。

 チリチリと放電を始めた魔力とその通り道――魔力回路を意識して、脳から心臓へ、心臓から下腹部へと魔力を回す。

 体中を巡る魔力はだんだんと勢いを増して、身体を内側から温めてくれる。


 今回の旅は順調だった。危険もなく、兵士たちが武器を抜くこともなかった。

 私の今までの人生で、武力が必要になった時はそんなに多くない。

 でも少ないそれらの機会では、いつも命がけだった。13歳の時の北西山脈、狼。そして15歳の時の竜。


 だから今回も念のため、戦闘用の魔法を開発してきた。

 落雷魔法は威力が大きすぎる上に、呪文の詠唱も長い。もっと使い勝手のいい魔法が必要だった。


 それにもう一つ。不測の事態で声が出せない時を想定して、攻撃の手段を用意した。

 発声できなければ呪文は唱えられない。口を塞がれたとか、喉を潰された時でも何とかするために考えたのだが、これは成功半分失敗半分というところか。まぁ浪漫枠である。


 どちらも使う機会がなかったので、本当に良かったと思っている。







 魔力が身体を回ってゆく。9歳の時に魔力循環の方法を編み出してから、毎日欠かさず訓練を続けてきた。

 今ではごく滑らかに魔力回路を起動できる。

 可能であれば常時起動状態にしたかったが、今のところ達成できていない。身体に負担がかかるのと、しばらくすると集中力が切れてしまうのが問題だった。

 某少年漫画の超野菜人が日常生活でも超状態をキープする修行をヒントにやってみたけれど、難しいものだね。


 魔力が十分に巡ったので、訓練を終了した。

 辺りはすっかり明るくなっており、木々の梢の間からオレンジ色の朝陽が見えた。

 夜番の兵士が立ち上がって、眠っている仲間たちを起こしている。


 身支度と朝ごはんを終えて出発した。何事もなければ、お昼頃には到着する予定だ。

 私はもう落ち着かなくて、足元がそわそわしちゃう。そんな様子を見て、ミリィがくすくす笑っていた。







 森を数時間歩いて、そろそろ目的地が近づいてきた頃のことだ。


 ふと――空気が、変わった。


 上手く説明できない。でも確実に、何かが違う。

 喩えるならば、ごく薄い水の膜を通り抜けたような。空気と水とが混じり合って、波紋を描いているような……?


「ミリィ」


 名前を呼ぶと、彼女は振り向いた。


「今なにか、違和感があったよね。何だろう?」


「……気のせいかと思ったわ。でもゼニスが言うなら、あったのね」


 気のせい? 違和感はそれなりに強い、気のせいってことはないと思うが。

 開拓村の若者や兵士、従者に聞くと「特に何も感じない」と言う。


 どういうことだろう。魔力のあるなしが関係しているのだろうか。

 違和感は徐々に弱くなっている。しかしそれは消えたのではなく、強い匂いを嗅ぎ続けると鼻が麻痺するように、この状況に身体が慣れていったせいではないかと思った。

 しばらく立ち止まって辺りを伺うが、何事も起こらない。特に危険はなさそうだ。また進み始めた。

 奇妙な緊張感の中をさらに歩く。


 そして、時刻は昼過ぎ。ついにその場所へ――到着した。







 森の木々が開けた中に遺跡が見えた。高さは2階建て、大きさは戸建ての民家より少し大きいくらい。円筒形の建物だった。

 屋根はドーム状になっている。全体が黒っぽい石材でできていて、そんなに風化もしていない。

 外側は苔が生えたり土や砂で汚れているが、特に文字などが刻まれている様子はない。魔法語は内側にあるのだろう。


 魔法語が! 内側に! あるのだろうー!!

 再び興奮が爆発しそうになってきた。

 さっきの違和感? まぁ気になるけど遺跡の比ではないですね。

 はやる心を必死になだめて、ミリィや兵士たちと一緒に周囲をぐるりと一周した。


 北側の壁に扉があった。両開きの二枚戸だ。わずかに開いている。


「中がどうなってるのか気になって、俺が開けました」


 扉の隙間を指さして、開拓村の若者が言った。


「扉は重かったけど、鍵とかはかかってなかったっす」


「内部の安全確認をするわ。少し待って」


 ミリィが言って、部下の兵士が2人がかりで戸を開けた。重い音を立てて扉が外側に引き出される。

 中は薄暗い。従者が差し出した魔法ライトに、ミリイが明かりを灯す。武器を構えた兵士が中に入り、円形の室内の壁に沿って回って戻ってきた。


「問題ないわね。じゃあ、」


「行ってきます!!」


 私は食い気味に言って足を踏み出した。

 ざり、と足元で砂を踏んだ音がする。床にうっすら積もった砂と埃は、先程の兵士の足跡で乱れている。もう一つ足跡があるが、これは発見者の若者のものだろう。

 床はやはり黒っぽい石材で、タイルのように敷き詰められていた。床は文字の形跡はない。


 そして。

 魔法ライトに照らされた暗がりの向こう側、円のカーブを描く壁。

 その壁には、びっしりと魔法文字が刻まれていた。







「――――」


 私は声も出せないまま、吸い寄せられるように壁の近くに立った。夜の闇を思わせる深い黒色の石壁に、隙間もないほどの密度で魔法文字が刻まれている。

 ただの碑文ではない。しばしば装飾や特殊な言い回しがされている。何らかの記述式呪文なのだろう。

 指でなぞれば、こびりついていた砂がぱらぱらと落ちた。


 改めて全体を見る。円形の建物のうち奥の半分、半円形の部分に魔法文字。手前の半分は何も書かれていない。

 それから部屋の中央に台座があった。腰丈ほどの高さで、太さは直径30センチ程度。材質は建物自体と同じ黒い石と思われた。

 台座の上は何も載っておらず、空っぽ。

 台座の支柱部分には折れ曲がる直線のような彫り物が施されている。文字ではない。何かの記号か、意匠かもしれない。


 建物の真ん中、台座の前に立って改めて遺跡を見渡した。

 これは……これは、予想以上の大当たりだ。


 私は興奮で頬が熱くなるのを感じた。


「……ゼニス。聞いてる?」


 ミリィの手が肩に乗せられ、私は我に返る。


「ごめん、聞いてなかった。もう一回お願い」


「まったく……。私たちは外で野営地の準備をするから、ゼニスは遺跡を調べていて。彼女を補助につけるわ」


 女性の従者さんが、ミリィの横でうなずいた。

 見ればいつの間にか、魔法ライト用の燭台や脚立なども準備されている。お手数かけてすみません……。


「ゼニスは夢中になると寝食を忘れるから、水分補給や休憩を気をつけてあげて」


「分かりました」


 なんて言ってる。申し訳ない。

 しかし今は魔法文字の山を早く読み解きたい欲望でいっぱいで、そわそわしてしまう。

 そんな様子の私に、ミリィが苦笑した。


「今日はとりあえず、日没まで調査をお願いね。それまでに野営地を整えておくわ」


「了解」


 ユピテル軍の兵士たちは土木工事が得意だ。一晩だけの野営地でもしっかりと柵を巡らせて土のかまどを作り、川があれば丈夫な橋をかけて進軍する。

 今回は二週間程度、滞在予定だ。地ならしから始めて、本格的な拠点を作るのだと思う。


「じゃあまた、後で」


 ミリィの言葉に、私は大好きな散歩に出かける犬みたいな勢いで、壁面にかじりついた。


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