第121話 出発前に

 出発に備えて早寝をしようと思ったのだが、興奮しきった脳みそはなかなか眠りに入ってくれなかった。

 寝付けずにベッドの上でゴロゴロしていた深夜、どうやら雨が降り始めたようで、石畳の道に雨粒が落ちる音がする。

 その雨音を聞いているうちに、私はようやく眠りに落ちた。







 翌朝、窓から身を乗り出して外を見ると雨は止んでいた。

 薄曇りの空だったが、西の端は明るい。これ以上は降られずに済むだろう。


 私は張り切って身支度をして、昨夜のうちにまとめておいた荷物の再確認をする。

 いつもの採集セット(ナイフ、小瓶、紙束)に、スケッチ用の大判紙も入れた。記述式呪文を仕込んだ各種魔道具と、シリウス謹製の魔法文字辞書もだ。あとは護身用の剣。

 道中、途中までは街道を進む。その間は街道沿いの宿に泊まれる。

 北西山脈の麓以北は、野営をしながら進むだろう。天幕やその他の野営道具は、ミリィが軍で用意すると言っていた。


 ティトが迎えに来たので、彼女と一緒に忘れ物の最終チェックをして、魔法学院に行った。

 ミリィたち軍団兵の他、何人かが見送りに来てくれている。その人たちの中にラスを見つけて、私はまごまごした。


「おはようございます、ゼニス」


「あ、うん。おはよう、ラス」


 ラスはいつも通りの透明な笑顔を浮かべて、近づいてきた。


「魔法の遺跡が見つかったと聞きました。しばらく会えなくなるから、見送りに」


「一ヶ月半か、長くても二ヶ月くらいで一度戻ってくるよ。わざわざありがとね」


「二ヶ月。あなたとそんなに会えないなんて、長いです……」


 彼は表面上はいつもと何も変わらない。でも前は、こんな風にストレートに別れを惜しむ言葉は言わなかった気がする。

 私は精一杯普段どおりに振る舞ってみせた。


「二ヶ月なんてすぐだって」


「ゼニスにはそうでしょうね。大好きな魔法の研究で夢中になっていたら、すぐ時間を忘れるでしょう」


「その通り! 好きこそ全ての情熱のモトだからね」


「ふふ、そうですね」


 ラスはまぶしそうに目を細めた。少し雑談をして、オクタヴィー師匠と学院長にも挨拶に行く。


「眠いわ……」


 師匠は不機嫌そうだった。彼女は宵っ張りで早起きが苦手なのだ。サロンもよく深夜までやっている。


「朝早くにすみません。寝ていてくれても良かったのに」


「そういうわけにも行かないでしょ。新しい魔法の遺跡なんていう大発見に、弟子を送り出すんだから。

 ゼニスがいない間のことは、任せておきなさい。

 あぁ、兄様とリウィアから旅の無事を祈る言葉を預かってるわ。ついでに甥っ子と姪っ子たちからも」


 師匠はあくび混じりで言ったが、私は気遣いを感じてほっこりした。

 大発見というが、師匠は元々研究畑じゃないし最近は魔法の実技もほとんどしてない。だから『魔法の師匠』という立場は薄れてしまった。

 けれど魔法学院の新しい経営方針とか、卒業生たちの進路相談とか、魔道具の販路開拓とか、そういうところはきっちり対応してくれる。頼れる師匠に変わりはない。


「学院長も朝早く、ありがとうございます」


「どういたしまして。年をとると朝、目が覚めてしまうのですよ。だから負担ではありません」


「まだお若いですよ」


「いやいや……。もう50歳の坂を超えました。生涯現役でいたいですが、どこまで頑張れますことやら」


 と、ここで彼は辺りを見回した。


「ところで、シリウスはまだ来ていないのでしょうか」


 そういえばシリウスの姿が見当たらない。まさか寝坊した? でもカペラがそばにいるようになってからは、遅刻やすっぽかしはほぼなくなってたのに。こんな大事な日に限って?

 他の人に聞いてみるも、やはり誰もシリウスを見ていない。

 仕方ないので家まで様子を見に行くことになった。彼の家は魔法学院からほど近いアパートである。

 私とミリィでシリウスの家まで行こうと進みかけた時、息を切らせたカペラが走ってきた。


「ごめんなさい、遅くなりました!」


「まだ大丈夫だよ。シリウスは?」


 カペラは深呼吸して息を整え、ひとつうなずいてから言った。


「……風邪を引いて熱を出しました。とても同行できる状態じゃありません。申し訳ないのですが、兄は放置して出発して下さい」







 何やってんだ、あのアホは。

 最初に思ったのは、そんな身も蓋もない感想だった。


「兄は昨日、ものすごくはしゃいでいました。旅の準備はちゃんとやったけど、ずっと興奮状態で。

 夜になっても眠れず、深夜に『散歩に行く』と言って出かけていったんです」


 カペラは疲れた顔で続ける。


「そうしたら雨に降られて。それなのに兄はすぐに帰らず、濡れたまましばらく歩き回っていたんです。

 帰ってきた時は冷え切っていました。深夜じゃ公衆浴場もやってないし、温まるのも出来なくて、朝になったら高熱が出ていたんです……」


「…………」


 高熱は気の毒なんだけど、なんていうか、経緯が自業自得すぎる。あいつもう26歳なのに、いつまでも何やってんだ。

 一応言っておくと、私の治癒魔法は病気には効かない。あれは怪我専用。

 病気用の治療魔法は複雑すぎて、未だに成功していないのだ。


「あー、一応お見舞いに行った方がいいかしら?」


 ミリィがこめかみを押さえながら言ったが、カペラは首を振る。


「いえ。兄はふらふらのくせに、『絶対に僕も行くんだぁぁ』と騒いでいました。さっき無理やり薬を飲ませたらやっと寝たので、知らせに走ってきたんです。下手に起こすとまた騒ぎます。もう放置で出発して下さい」


「そうして下さい。学院長として、シリウスの伯父としてお願いします」


 学院長が頭を下げている。別に彼は悪くないのに。アホな身内を持つと苦労が絶えない、いい例である。

 ミリィがため息をついた後に、うなずいた。


「じゃあ、そうさせてもらうわ。悪いけど、シリウスのフォローはお願いします。……みんな、出発するわよ!」


 ミリィは微妙な顔で部下に号令をかけた。部下たちもしょっぱい表情で「はい!」と返事をする。

 荷物を積んだ馬車は郊外で待機しているとのこと。そこまで徒歩で行くことになった。

 私もリュックを背負って、見送りの人たちに手を振る。


「行ってきます! 成果をどっさり持ってくるので、どうぞお楽しみに」


「行ってらっしゃいませ」


「行ってらっしゃい。どうか無事に戻って下さいね」


 最後のセリフはラスだ。安心させたくて、私は笑ってみせた。


「大丈夫、大丈夫! 護衛の人もついてるもの、危険はないよ。ラスも元気でね!」


「はい!」


 こうして私たちは北の森林地帯へと旅立った。







「ま、まってくれーーーー!」


 ……旅立った直後に、悲痛な叫び声で引き止められた。

 振り返ると真っ赤な顔をしたシリウスが、寝間着のままふらふらと道を歩いてくる。


「僕も、僕も行く、魔法の遺跡、行きたいぃ~……」


 言いながらバタリと倒れた。力尽きるっていう表現がぴったりの見事な倒れっぷりだった。

 ちょっと心配だったけど、カペラと学院長が走り寄って抱き起こしたから大丈夫だろう。ていうか、このタイミングで風邪うつされたらかなわんわ。


 何とも締まらない形であるが、今度こそ本当に私たちは出発したのだった。



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