第112話 木版印刷

 実はもう一つ、開発したい技術がある。印刷だ。

 魔法学院の学生数も教科書の数も増えてきたので、写本が大変なのだ。

 特に魔法文字はシリウス作の辞書が図書室にあるものの、いつも人気でなかなか全員に回らない。


 これからさらに学生が増えるなら、早めに手を打ちたい。

 自分専用の教科書や、できれば辞書もあれば学習効率が段違いだもの。


 活版印刷でなくていい。江戸時代のかわら版みたいな、版画でいい。

 ユピテル文字はともかく、文字数が膨大な魔法文字を活版対応させるのは大変そうだし。

 小学校の図工でやった芋版や木版刷みたいな凸版画か、銅版画のような凹版画か、どっちか出来ないだろうか。

 文字主体で単純さ重視なら凸版かしら。


 さっき忙しくて困ると言った舌の根が乾かないうちにあれだが、奨学金制度が本格的に始まる前にぜひとも実現しておきたい。

 ていうか私ももっと本や辞書が欲しい。

 ユピテル人は貴族は当然として平民もなかなか識字率が高いので、江戸時代と同じく印刷物は人気の娯楽になるのではなかろうか。

 そして娯楽として行き渡れば、さらに文字を学ぶ人も増えて識字率アップ。好循環である。


 ……あれ、でも、仮にこの分野で成功を収めたら、元老院によるフェリクス叩きに拍車がかかるか?

 うーん、まあいいや!

 困ったことはティベリウスさんに相談だ。なんとかうまいことやってもらおう。







 善は急げとばかりにティベリウスさんに案件を持っていくと、天を仰がれてしまった。場所はいつもの執務室である。


「また影響の大きいアイディアを持ってきたね……」


 呆れたように言うので、私は形だけ恐縮してみせた。


「いえいえ、それほどではありません。ほら、印鑑があるでしょう。あれをちょっと発展させただけの、単純な思いつきですよ」


 ユピテルは印鑑文化だ。ユピテルのハンコは指輪を兼ねているタイプが多く、金などの貴金属で作る。

 金の印鑑指輪は持ち歩ける身分証、兼、財産てとこだ。

 ユピテル人は大事な契約ごとがあると、サインの代わりに印鑑を捺す。


 あとはずいぶん昔、ユピテル軍がまだそんなに強くなかった頃、他国に大敗したら兵士の指輪を略奪されていた。いちいち指から外すのは面倒なので、指ごと切り落として。


 閑話休題。


「やっぱり例のフェリクス叩きに引っかかりますか?」


 私が聞くと、ティベリウスさんはうなずいた。


「間違いなく、ね。印刷とやらを活用すれば、短時間で同じ内容の書物を大量に作れるのだろう?

 貴族向け、平民向けを問わず情報戦においてどれだけの力を発揮することやら」


 プロパガンダですな。ティベリウスさんは予想通り、印刷の有用性を一瞬で理解してくれた。

 私は言ってみる。


「でも、魔法と違って単純な技術なので、すぐ模倣されると思います」


「それでもしばらくは先行者利益が得られる。利用しない手はないよ。

 目立たない貴族家か騎士階級の商家を介して、間接的に着手しようか」


「元老院にバレませんか?」


「バレるさ。が、表立って文句を付けられなければそれでいい。

 竜退治から2年、俺たちだって黙って手をこまねいていたわけではないからね」


 ティベリウスさんは不敵な笑みを見せた。ちょっとこわい。


「版画を作るには、何が必要かな?」


「木板とインクと紙くらいです。木板に印刷したい文字や絵を彫って、インク塗って、紙に写します」


 あとはバレンだっけ? 紙をこする丸い道具があった。あのくらいならすぐ作れそうである。


「ふむ。それならば木工職人や彫刻師が近い。職人を手配しておくから、詳細は彼らと詰めてくれ」


「はい。よろしくお願いします!」


 こうしてサックリと印刷業もスタートした。







 木版印刷の原理は至って単純である。

 木の板を用意し、印刷したい部分を残して残りの部分を彫る。

 彫り終わったら、木板の上にインクを塗る。

 その上に紙を乗せて、擦ってインクを写したら完了!


 文字メインの印刷を考えているので、鏡文字にする必要があった。

 また、魔法文字は特殊な形をしているから、監修が必須である。

 インクを塗るローラーという概念がなかったので、それも作った。ローラー部分はコルクの樹皮と海綿で上手く行ったよ。

 その他にも印刷に最適なインクの調合を試みたり、細かい調整は色々とあった。




 そういや言い忘れた気がするけど、ユピテルで主に使われているパピルスみたいな紙は、羊皮紙や前世の紙に比べて折り曲げに弱かった。だから当初、冊子にした時は耐久性にやや問題があった。

 くるくる巻く巻物なら問題なかったから、巻物は見た目のかっこよさ以外にも実用面で適していたようだ。

 でも、パピルスの材料の葦っぽい植物を以前より薄切りにして、繊維同士を接着する糊を工夫したら耐久度がアップしたよ。


 その発展形として現在では、葦の繊維を棒で叩きまくってほぐして、糊と水に混ぜた後に乾燥させたりしている。

 なんかこれ、ほとんど和紙の紙漉きじゃないかな?

 糊も最初は小麦粉のでんぷん糊だったのを、粘り気の強い植物の根っこに変えて作っている。

 今後、紙の需要が増えるのは確実。

 今のうちに紙も改良して、ついでに原料も確保して、質のいいものをしっかり生産できるようにしたい。




 さて木版印刷は手間はかかったものの、そんなに難航はしなかった。

 ただ魔法文字の辞書は文量が膨大なので、版木を作るのもチェックするのもとても大変。

 私とシリウスと、他にも魔法学院の講師陣や卒業生などを集めて、人海戦術で校正作業をやった。

 鏡文字だから余計に面倒だったよ。


 シリウスは自作の辞書が大量に印刷されると聞いて、興奮していた。


「こんなに素晴らしい技術があるなら、どうしてもっと早く世に出さなかったんだ!」


 と文句を言っていた。ごめん、単純に忘れてた……。

 あとはなんか、本の印刷に取り組むなら活版印刷じゃないといけない気がして勝手に気後れしていたんだ。

 

 とにかく魔法文字辞書はガンガン印刷されて、どーんと図書室に積まれた。

 私を含め、講師たちは自分用を買ったよ。今までの手書きの写本に比べると、驚くほどにお安い。それでいて字がきれい。

 もっと数を増やしたら、学生用の販売をする予定だ。







 辞書の次は教科書を作った。

 教科書は各講師の手作りで、前任者から引き継いだのを自分でアレンジしたりしている。要するにカオスである。


 せっかくの機会なので、各講師の講義内容を聞いて取りまとめた。

 お互いに改善策を議論したりもした。


 魔法学院の講師たちはよく言えば不干渉主義の独立独歩で、悪く言えば横の連携が全く取れていない。

 けれど校正作業から始まった一連の業務で、お互いの仲がだいぶ深まった。

 それぞれの担当範囲で重複していたり、逆に飛ばしてしまった箇所も何点か見つかったので、相談しながら新しい教科書を作った。


「やっぱり、ほうれんそうは大事だね」


 私が言うと、一年生の魔法語発音担当の講師が首をかしげる。


「何ですかな、ほうれんそうとは」


「報告、連絡、相談の略語です。同じ職場で働く者同士、お互いにコミュニケーションを取りながら仕事を進めましょうという意味ですよ」


「なるほど、ほうれんそう」


「ほうれんそう、いいですね!」


 こうして報連相は魔法学院の標語となった。

 ついでに相談したい話が出てきたら、「ほうれんそうお願いします」と声掛けをするのが習わしになってしまった。

 特に自分から話すことがなくとも、「ほうれんそうないですか?」と聞いて回るのも習慣化された。

 なんか、めちゃくちゃホウレン草が好きな集団みたいである。







 これから魔法学院は、学生も講師も人数が増えていく。

 今までは首都住みの裕福な市民が主な構成要員だった。ある意味で皆の価値観が似ていたので、軋轢も少なかった。


 けれどこれからは、もっと多様な人たちが入ってくる。そういった人々の間でトラブルを解決するには、お互いによく話し合うのが大事だと思う。

 報連相を合言葉に、些細なことでも共有するようにしていきたい。


 前世で過労死したコミュ障としては、おろそかにできない問題だものね。


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