第111話 奨学金制度

 奨学金といっても前世の多くの人が利用していたローン型ではなく、給付型を想定している。その代わり、学院卒業後は一定期間を魔法使いとして指定の場所で働くこと、との条件をつけて。


 草案を作ってオクタヴィー師匠に相談しに行く。場所は魔法学院の彼女の部屋だ。

 フェリクスのお屋敷のサロンに行くと、前みたいにめんどくさいことを言われるから……。


「奨学金ねぇ。要するにパトロンかしら」


 私の説明を聞いて、師匠は形のいい顎に指をかけた。手元の資料に視線を落とせば、自慢の赤髪がひとすじ額に落ちかかる。


「それなら、私が既にやっているわ。サロンに来た若い子の中で、魔力持ちがいたら入学を推薦してるの」


「師匠のパトロン活動をもっと広げるイメージです。中流やそれ以下の平民を男女問わずです。

 サロンは騎士階級以上の子弟ばかりですよね。

 もっと下の平民たちは、フェリクスの屋敷に行けませんから」


「魔法使いの人材不足は、確かに深刻よ。でも貧しい平民? そんな階層を受け入れて、魔法学院の質と品位を保てるかしら」


 師匠は疑い深そうな目で私を見ている。

 確かに貧しい平民となれば、読み書き算術の基礎教養すら身に着けていない人も少なくない。

 でも、それならこの機会に学問を身に着けてもらえばいいじゃない。

 基礎教養分も込みで奨学金を出すのだ。出す金額が多くなる分と学習期間が長くなる分は、卒業後の仕事で多めに返してもらうとかにして。


 その旨を話すと、師匠はますます難しい顔をした。


「そこまでする必要、ある? 基礎教養程度、自発的に学ばないのは自己責任でしょう。

 そんな質の低い連中を拾い上げたって、大した役に立つとは思えないわ。むしろ問題を起こすんじゃない?」


「師匠は大貴族だからそう思うんですよ。環境に恵まれないせいで、埋もれてしまう人はたくさんいます」


「そうかしら。例えばマルクスやミリィのように、貧乏でも上り詰めてくる平民はいるわ。何ならきみもそう。貴族とはいえ下流で、しかも女子。埋もれなかったのはきみ自身の素質と、両親を含めた意識の有り様よね。

 せめて自分から私のサロンに来てやる気を見せるくらいじゃないと、世話してやる意味もないと思うわ」


 うむむ……。師匠の言い分にも一理はある。

 魔法は大きな可能性を持った技術だ。使いようによって有用にも害悪にもなるだろう。

 これがただの基本的な教育だけの話であれば、私もどんどん推し進める。

 でも力を伴う技術だから、慎重に教えないといけない。悪人に教えて悪用されると大変だ。


 でもさ、そんなこと言い出したら、現状で悪人が混じってない保証はないじゃない。

 それでもって前世の例を見るに、魔法みたいな学問なり技術は、裾野を広げていかないと頂点も高くならないと思う。

 よく「10万人に1人の天才」とか言うでしょ。

 その分野に携わる人が10万人しかいなければ1人だけの天才が、20万人いれば2人になるし、30万人なら3人。以下略。

 裾野の人材が多ければ多いほど、天才も多く出てくるんだ。そして彼らは技術に進歩をもたらしてくれる。


 マルクスやミリィは本当に偉いと思う。決して恵まれた環境じゃなかったのに、それでも諦めないで頑張ってた。

 でも、みんながみんな、そこまで偉くなくてもいいはずなんだ。

 あまりにアホだと困るけど、それなりに頑張ってそれなりに善人であれば、後押しする価値は十分にあるはずだ。


「最低限の線引きは必要だと思います」


 考え考え、私は言った。


「明らかにやる気が見られないとか、素行が悪いとかであれば弾いた方がいいでしょう。

 でも生まれ育ちが良くなくても、教育次第で変わる可能性は大いにあります。読み書きだけじゃなくて、倫理面や意識面を含めて教養になると思うんです。

 心のあり方もきちんと教えられれば、たとえ平民でも質の高い魔法使いに育つと、私は信じています」


 言い終わって師匠を正面から見つめる。


 甘いだろうか? ……甘いだろうな。

 この古代世界は前世の日本より過酷で、セーフティネットも少ない。

 借金のカタに奴隷落ち、娼婦落ち、あっさり殺されて打ち捨てられる、そんな話もゴロゴロしてる。

 だからこそ生きて行くのに必要な知識や技術の習得機会を、身分とか財産の多い少ないで簡単にふるい分けたくないんだ。チャンスくらいあってもいいじゃないか。

 ただでさえ魔法は、生まれ持った魔力がなければスタートラインにさえ立てない。

 であれば、魔力を持った人はできるだけ多く拾い上げたい。そこに余計な条件は、なるべくつけたくなかった。


 師匠もこちらをしばらく見た後、気怠いため息をついた。


「はぁ、また出たわ、ゼニスの謎の理想論。きみだって貧民街の悲惨さは見ているでしょうに、どうしてそう理想ばかり語るのかしら」


 謎の理想論て。


「いいわよ、やってみなさい。きみは言い出したら聞かないものね。

 でもやる以上は責任を持ってやり遂げるように。やっぱり駄目でしたじゃ許さないわ」


「……! はい! ありがとう、師匠!!」


 思わず笑顔になってガッツポーズをしたら、呆れられた。


「あとね、すぐには無理じゃない? ただでさえ魔力循環の教師はゼニスしかいないし、記述式呪文の研究だってあるでしょう。

 私のサロンの子たちも何人か入学させた上に、他所からも入学希望が多く来ているから、今年の新入生はいつもの倍以上よ」


「新入生たちに魔法使いとしての心構えは、しっかり教えたいです」


「で、読み書き算術の教師は手配するとしても、心のあり方とやらはきみにしか教えられない。

 今までとは違った方法で平民を募集するから、手法と条件も考えないといけない。

 集めた魔力持ちの平民たちを、どこまで世話するのかも決めなきゃね。自宅から通わせるのか、それとも住み込みの使用人のように衣食住全て見てやるのか」


 やばい。具体的に挙げられると問題山積してる。


「他にもまだまだあるわね。どうする?」


「ええと、その、これからじっくり考えます……」


 師匠のジト目が痛かった。

 焦って拙速に走ってコケても馬鹿みたいだから、一度落ち着いて取り組まなければ。


 私は深呼吸を何度かしてから、改めて師匠と相談を始めた。







 オクタヴィー師匠と話し合いの結果、今年は奨学金制度の準備にとどめて、実際に平民を募集するのは来年となった。

 今年だって過去最高数の入学者なのだ。学生の人数が増えた結果、どういう問題が起こるか様子見しながら対応に当たることにする。


 それから、私の業務量が増えすぎなのも問題だった。


 魔法学院の講師として、魔力循環の指導。

 魔力や魔法へ理解を深めるための、基本的な自然科学の講義。これはだいたい前世の小中学校レベルの内容を、ユピテルの常識に沿う範囲で教えている。算数・理科(科学・化学・生物)辺りね。

 あとは一部の三年生の担当受け持ち。卒業論文の査読と採点。さらに記述式呪文の研究。

 もちろん従来の詠唱式呪文だって、まだまだ研究したい。


 次にフェリクスの冷蔵運輸関連で、年2回ほどの北西山脈の視察。

 魔力石の採掘現場の安全点検と、掘削土の処理状況の確認、伐採地の植林事業監督などだ。

 また、新しい呪文や技術が開発された際は、雇われの魔法使いたちにレクチャーに行ったりしている。魔法学院卒業後はまとまった学習の時間がなかなかない。後進の魔法使いと能力の差が大きくならないよう、知識の更新が必要なのである。


「実際の所、一番時間を取られてるのは研究じゃない? 少し減らしたら?」


 と、師匠が言った。

 私はいい笑顔で答える。


「何言ってるんですか? それ、一番削られませんよ。そこを削ったら私、ストレスで爆発しちゃいますよ?」


 というわけで、削るとしたら講師としての仕事になるだろう。

 魔力循環は9歳の時に指導を始めて、はや8年。ずっと修練と改良を繰り返してきた。

 最初は二年生のカリキュラムに組み込まれていたが、今は早めに魔力操作を覚えた方がいいという方針になって、一年生にも指導をしている。

 魔力循環が出来る卒業生もずいぶん増えたので、他の誰かと受け持ちをシェアしてもいいと思う。

 あるいは講師の仕事をもっと他の人たちに振り分けて、私は副担任みたいな形で見守るとか。


 自然科学の講義は、誰かに分けるのはまだ難しいかな……。

 年々手応えは感じるから、いずれ次の講師が生まれそうではある。







 さて、私の受け持ち業務を少し減らして時間に余裕を持たせた所で。

 もう一つ実現させたい技術があった。


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