第109話 マルクスとティト
脇キャラたちの話は今回まで。次回から視点がゼニスに戻ります。
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◇登場人物紹介
マルクス:
以前は小さな屋台を切り盛りしていた男性。21歳。
商才と美的センスを見込まれてフェリクスの飲食店部門を取り仕切っている。
ティト:
ゼニスの小さい頃からの侍女。21歳。
マルクスと当初はケンカ友達だったが、なんだかんだで結婚まで至った。
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マルクスとティトは現在、フェリクスの使用人部屋を出て暮らしている。
場所はマルクスが店長を務めるレストランの2階。職場と自宅がすぐ近くになった。
ティトの主な仕事はゼニスとアレクの身の回りの世話だった。
けれどゼニスは成人に伴いやはりフェリクスの屋敷を出て、アパート暮らしを始めた。アレクも実家に戻る。
そうなると、ティトも使用人部屋にいる理由がなくなったのだ。
ちなみにマルクスの母は健康を取り戻し、フェリクスの屋敷で働いている。
夫婦が引っ越しする際に同居を誘ったのだが、「もうしばらく夫婦水入らずで過ごしなさい」と断られてしまった。
マルクスは毎朝早起きして、下階のレストランに出勤する。
掃除係の奴隷たちを監督し、店内を整える。
マルクスはこのレストランを「平民向けのちょっとだけ特別な時間」を提供する場にしたいと考えている。
料理も酒も少しだけお高いが、値段分以上に質のいいものを。
味だけではなく、目で見て空間そのものを楽しめるように。
料理の彩りを工夫して、店内の装飾にも趣向を凝らす。
そんなコンセプトでもって運営していたら、大当たりした。
料理と酒の味や目新しさはもちろんのこと、居心地が良く、ほどよく上品で丁寧な接客をしてくれる店として定評が生まれた。
平民はもとより、お金はあるけど成り上がり者の騎士階級や、下級貴族たちにも評判のいいレストランになった。
今ではマルクスはフェリクス当主の信頼も厚い、有能な支配人だ。騎士階級への昇格も夢ではないと言われている。
掃除が終わったので、マルクスは軽食を持って上階の自室に戻った。
「おはよ、ティト。朝メシ持ってきたぞ」
「おはよう。ありがとう、じゃあ食べましょうか」
身支度を済ませたティトと食卓を囲んで、朝食を食べた。いつもは簡素に堅パンとチーズの切れ端程度だが、最近は時々ゆで卵や果物をつけている。平民のユピテル人としては、けっこう豪華な内容だ。
「しっかり食って栄養つけろよ。お腹に子供がいるんだから、2人分食わなきゃ」
卵の殻を剥いてティトの皿に乗せてやると、彼女はジト目で夫を見た。
「食べ過ぎも良くないわ。あんた、あたしを甘やかしすぎなのよ。殻くらい自分で剥けるのに」
「いいの、いいの。俺がやりたくてやってんだ。愛する奥さんを思いっきり甘やかすのが、俺の幸せなの」
「相変わらずおかしな人だわ」
ユピテルは家父長制度の国だ。男女の地位は差が大きく、女性は男性に従うのが当たり前とされている。
ティトの両親も仲の良い夫婦だけれど、夫が妻の世話をするなんてことは全く無かった。
そのため彼女は世話を焼かれると落ち着かない。でも、マルクスが楽しそうにしているのでなるべく黙っている。
食事が終わるとマルクスは再びレストランに行く。
ティトは家政婦役を任せている女奴隷に掃除と洗濯を頼んでから、ゼニスの家に向かった。
ゼニスの家に合鍵で入ると、部屋の主は予想通りまだ寝ていた。
「お嬢様! もういい時間ですよ。起きて下さい!」
「むー、あと5分」
「駄目です。5分の後は『もう3分』とか言ってキリがないでしょ」
「ああああ、私の愛しのお布団さんが……」
ティトが掛け布団を引き剥がしても、ゼニスは往生際悪く仰向けになったカブトムシみたいな格好で手足を縮めている。
寝起きが悪いのは子供の頃から変わらない。
ティトはさっさと布団を畳み、魔法の研究資料で散らかっている食卓をざっと片付けた。
「ゼニスお嬢様。魔法の資料は書き物机で広げて、食卓に乗せないように言いましたよね? なんで毎日こうなんですか」
「だって、食べながら読みたいじゃん。もちろん机に向かって集中するのがメインだけど、だらだらとながら読みする時だけに得られる喜びってものがあるの」
「意味不明なこと言ってないで、朝ごはんを食べて下さい。遅刻しますよ」
「……はい」
ゼニスはようやく起き上がって、食卓に座った。ティトが持ってきたマルクス作の朝食をもそもそ食べる。メニューはティトたちと同じものだ。
一人前をすっかり平らげたら、顔を洗って歯を磨く。
ゼニスが住んでいるのはアパートの2階。
ユピテルの物件はたいてい、1階が何らかの店で2階以上が住居になっている。そして下層ほどお金持ちが住み、上層ほど貧乏人が住む。
2階はかなりの高級物件で、上下水道も使える。蛇口をひねれば水が出るし、トイレだって水洗だった。
歯磨きの習慣はユピテルにもあるが、ゼニスは歯ブラシを特注で作っている。木製の柄の先に豚の毛を短くして植えた、ユピテル人には馴染みのない形のものだ。
歯磨き粉は塩と粉末ハーブを配合したもの。これも特注である。
ゼニスは「芸能人じゃなくても歯は命なんだよ!」などと言いながら熱心に磨いている。
ティトはゼニスのおかしな行動にも慣れたもので、スルーしてテキパキと掃除を進めた。
「お嬢様、他に洗濯物はありますか?」
「ううん、そこにあるだけ」
「では、洗濯屋に出してきますね。それから魔法学院に行きますから」
「うん、お願い。ごめんねティト、妊婦さんに色々やらせちゃって」
「これがあたしの仕事です。それに妊婦だって、ある程度は動いた方がいいんです」
とはいえ、臨月や出産後しばらくは動けないだろう。
ティトが働けない期間のゼニスの世話は、フェリクスの屋敷から奴隷を借りるか、マルクスの母に代打を頼むかで相談中だった。
「お嬢様も奴隷を買ったらどうですか? お金はあるでしょう。美人ではない女の奴隷は安いですよ」
ティトの言葉に他意はない。力仕事に不向きな女奴隷は、値段が安くて当たり前だった。
若くて美しい容姿の女が高価なのは、いわゆるベッドの温め係として人気が高いからである。
ユピテル人の常識としては、奴隷は身近な存在。悪だと思っている者はいない。
けれども、ゼニスは首を横に振った。
「私、自分で買うのは嫌なんだ。奴隷制度そのものにどうこう言うつもりはないんだけど、お給料払って使用人を雇う方が気楽でいいや」
「普通、反対ですけどね。奴隷の方が気楽でしょうに」
ゼニスは時折、このようなヘンテコなこだわりも見せる。ティトは慣れているが、それでもたまに不思議に思うことがある。
ゼニスはユピテル人でありながら、ユピテル的ではない価値観で生きているようだ。
(まあ、今さらですけどね)
ティトは内心で思う。
(どれだけおかしなことをしても、素っ頓狂なことを言い出しても、小さい頃よりはマシ。あの頃は本当にひどかったから……)
もうずいぶん昔の思い出は、今でもティトの心に焼き付いている。
ゼニスは当時を「イカレポンチ時代」と自称しているが、全くそのとおりだとティトも思った。
身支度を終えたゼニスが指差し確認をした。
「よし、着替え完了。持ち物オーケー、行ってきます!」
「待って下さい、寝癖が直ってません!」
「えっ!? さっきちゃんとクシで梳かしたのに」
「梳かし方が雑なんですよ」
出て行きかけたゼニスの肩を掴み、ヘアオイルを手に垂らして寝癖の部分に撫で付けてやる。ささっとクシを通せば、すっかり直った。
「それじゃ今度こそ、いってきまーす」
「いってらっしゃいませ。また後ほど」
そそくさと出ていくゼニスを苦笑で見送って、ティトは残りの掃除を終わらせる。
あんな様子で、それでも間違いなく当代随一の大魔法使いなのだから、世の中は不思議なものだ。
「あたしのご主人は変な人なのよ。あんたにも早く会わせてあげたいわ」
大きくなってきたお腹に手を当てて、語りかけてみる。
答えはなかったけれど、わずかに赤子が動いた気がして、ティトはにっこりと笑顔になった。
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