第108話 アレクとラス2、それからドルシス
◇登場人物紹介
ドルシス:
フェリクスの直系で当主の弟。オクタヴィーとは双子。軍人としてキャリアを積んできた27歳。
2年前に竜殺しを成功させるが、突出した英雄を嫌うユピテル共和国の方針で名誉職にて飼い殺しにされている。
それを逆手に取り、北のノルド地方で一旗上げるべく出奔の準備中。
+++
アレクが帰ってきたのは、夕食の時間が終わってずいぶん経ってからだった。
よほど楽しく騒いだのか、もしくは誰か意中の女の子が出来たのか?
そんなことをラスは考えていたのだが、予想は外れた。
アレクはドルシスと一緒に帰宅したのである。
フェリクスの屋敷のリビングで彼らを出迎えると、2人ともどっかりとソファに座った。奴隷を呼んで夕食は不要の旨を伝えている。
「マルクスの店でかき氷食べ終わって、次どこ行くか相談してたら、ドルシスさんにばったり会ってさ」
と、アレクが言う。
「そしたらさー、ひどいんだぜ。聞いてくれよ、ラス。直前まで俺にキャーキャー言ってた女子たちが、手のひらを返したようにドルシスさんに群がってんの。ついでに男子も」
ラスは思わず吹き出してしまった。
「ふふふっ、短いモテ期でしたね、アレク」
「まったくだよ。竜殺しの英雄相手じゃ勝ち目ないじゃん」
「大人の魅力というやつだな」
ドルシスは笑って、アレクの茶色の髪をくしゃっとかき混ぜた。彼の髪は姉のゼニスよりも少し色味が濃い茶色である。
「で、悔しかったから全員分の晩メシを英雄様にたかってやった」
アレクは何故か得意顔だ。師であり兄のようでもあるドルシスから、一本取った気になっているのかもしれない。ラスは呆れた。
「たかるって……」
「将来有望な若者たちにおごってやっただけだ。神祇官の給料はけっこう高いし、何も問題ないぞ」
ドルシスは笑顔のままだったが、少年2人は顔を曇らせた。彼らも神祇官が実権のない名誉職だと知っている。ユピテルの脅威であった竜を排除した偉業に対して、あまりにも釣り合わない地位だと。
気遣うような視線を受けて、ドルシスは苦笑いをした。ガシガシと頭を掻く。
「お前たち、そんな顔をするな! この俺が不遇に甘んじているように見えるか? だとしたら、ずいぶん舐められたものだな」
「でも……」
ノルドに行くつもりだとは、少年たちには言えない話だ。――その先に国を揺るがす大計画が控えているので。
「小僧っ子どもに気を遣わせるとは、俺の立場がない。そんなことよりも、お前たち自身の心配をしろ。
貴族学校を卒業した後、2人はどうするつもりなんだ?」
アレクとラスは視線を交わした後、ラスが口を開いた。
「僕は成人まで勉強を続けます。修辞学と弁論学の教師を、ティベリウスさんが手配して下さいました。
勉強以外にもティベリウスさんの秘書官見習いとして、少しずつ実務を覚える予定です。
17歳で成人したら、正式な秘書官の身分で元老院に出入りする手筈です」
「そうか。異国からの留学生は、だいたい20代前半から半ばで帰国になる。それまでしっかり励んでくれ」
「はい!」
ラスの返事に続いて、アレクが言った。
「俺は実家に帰って、家業を覚えます。父さんも母さんもまだまだ元気だけど、そろそろ安心させてやりたいから」
「アレクの家の領地は、ブドウ栽培とワインの醸造が主産業だったな」
「はい。俺んちのワイン、毎年いい出来なんですよ。最近は氷雷の魔女の実家だから、有名になってるみたいです。姉さんの名誉のためにも、質のいいブドウとワインを作り続けるって両親が張り切ってます。俺も続かないと」
ドルシスが愉快そうに笑う。
「ははは、そうか。お前の家のワインは、リス退治の絵の壺に入っているだろう。あれはすっかり定着したな」
「はい、フェリクスの兵士とオクタヴィーさんがリス退治してる絵です。俺、あの時のリスの骨をまだ持ってるんですよ」
ここら辺りで話題が脱線して、3人は昔話に興じた。特にアレクとラスが10歳の時の、北西山脈の旅は話が尽きない。
しばらく話し込んだ後、アレクが言う。
「あの時、ドルシスさんに叱られて良かった。甘えた気持ちのままで魔力石の洞窟に行ったら、姉さんの足を引っ張ってしまって、生きて帰れなかったかもしれない」
「そうですね。あの時の僕たちは、本当にお子様でした」
ラスもしんみりしている。
が、ドルシスはぶはっと吹き出した。
「おいおい、小僧っ子が『あの時はお子様でした』ときたもんだ! ……すまん、お前たちが真剣なのは分かるんだが。叱ったのをありがたがられると、こう、むず痒くてな」
「ひどいよ、ドルシスさん! 俺らあと3年で成人だぜ?」
「いつまでも子供扱いは不本意です!」
少年たちの抗議に、ドルシスはまだ笑っている。
「そんなことを言っているようじゃ、まだまだだ。
何、それでいいのさ。大人なんぞ、その時が来たら嫌でもなるもんだ」
ドルシスの微妙な声音の変化に、アレクは気づかない。
「そうなの? まあいいや、ドルシスさん、俺が実家に帰るまで剣の稽古続けてよ。秋が終わるまでは首都にいるから」
「ふむ。そうしてやりたいのは山々だが、ちょいと難しい」
「え、なんで!?」
「旅に出るつもりだ。冬になる前に首都を発たねば、移動がままならんだろう」
「旅……」
少年2人は言葉を詰まらせた。
竜退治から約2年。そろそろノルド行きを実行に移す頃合いだと、ドルシスは考えていた。
この2年でノルドでの情報網を強化した。入ってくる情報によると、頭角を現しつつあったノルド人の一部族、ノクリム族が予想以上の勢いで勢力を拡大している。
そう遠くない将来、必ずユピテルとの国境を脅かしてくるだろう。
ノルドとの戦争は必至だったが、時期はよく見定める必要がある。
ノクリム族が大きくなりすぎると、ユピテルの被害も大きくなる。かといって先手を打って攻めるのは、弱腰の元老院が承知しない。
ノルドの情報網は有能な協力者が増えたおかげで、相当に精度が増した。
ドルシスが介入して勢力を立てられるであろう場所も、既に目星がついている。
ある一族の協力もあって、兵の確保も一定の見通しが立った。
となれば、もはやぐずぐずしている理由はない。
冬の到来の前に北西山脈を越えて、いずれ来る新時代の橋頭堡となる。それが今のドルシスの使命だった。
立場は変わっても、彼がユピテルの国と市民たちを思う気持ちは変わらない。
全てはユピテルの国としての延命のため。内乱を可能な限り短期間で終わらせ、同胞同士で流す血を最小限にするため。
ドルシス自身も兄のティベリウスも、骨の髄までユピテル貴族としての責任感と使命感、それに大きな野心が根付いている。時代が変わろうとする時に生を享けた幸運を、最大限に活かすつもりだ。
少年たちに今は真意を告げられないが、いずれ伝わる日も来るだろう。
弟のように思っている、アレクとラス。最後に話す時間があってよかったと、ドルシスは思った。
――ドルシスが僅かな私兵だけを連れて首都を出たのは、それから間もなくのことだった。
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作者補足。
ノルドの新しい協力者はシリウスとカペラの両親。兵士を集める土地はブリタニカという裏設定です。
ドルシスは1年ほどかけてノルドを一通り自分の目で見て回った後、アルヴァルディ一族(シリウスの血族で魔法使いを多く輩出している家系。遡ると古代王国の王家にたどり着く)の協力で挙兵。空白地帯だったブリタニカの王になります。
北国のブリタニカにお風呂文化を導入したり、蒸留酒を持ち込んで名産品にしたり、現地の女性とロマンスがあったりしながら勢力を拡大。同時に魔法の保護と遺跡の発掘にも力を入れて、後の魔導王国の基礎を作ります。
ノクリム族を牽制しながら情報収集を続けて、十数年後のユピテル軍のノルド遠征に合流。兄と甥と再会を果たすのでした。
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