第106話 オクタヴィー

※ちょっと下品な場面あり


◇登場人物紹介


オクタヴィー:

ゼニスの魔法の師だったが、最近は魔法の実技よりも経営や人脈づくりに力を入れている。

大貴族フェリクス家の直系で、当主ティベリウスの妹。27歳。



◇用語紹介


ユピテル共和国:

物語の舞台。古代ローマをモデルにした国。寡頭制で元老院が国政を執り行っている。

古代の流れを汲む多神教の文化で、男女間の関係についてもおおらか。




+++



 

 オクタヴィーは最近、フェリクスの自宅でサロンを開いている。

 当初は友人の女性たちを中心に、自作の化粧品を披露していた。

 ゼニスのアドバイスを受けて、オクタヴィー自身が開発した美容グッズの数々だ。

 始めは鉛や辰砂を使わない安全なメイク用品。さらに、ある時ゼニスから乳化の知識と技術を引き出した後は、肌のお手入れのための基礎化粧品も作っている。

 ハーブや精油を混ぜた化粧水の他、蜜蝋やオリーブオイルを配合したクリームも開発した。


 ハーブの調製には、エール醸造を担っているミリィの母の力も借りた。彼女はエール作りの名人で、秘伝のレシピでハーブ類を調合する。その豊富な知識を見込んでのことである。

 一見違う分野でも、組み合わせれば役に立つのだとオクタヴィーは実感している。


 オクタヴィーの化粧品は大きな評判を呼んで、いつの間にか人が増えた。

 女性だけではなく若い男性まで交じるようになった。魔法使い志望者や芸術家を志す者など、強い後ろ盾を持たない小貴族や騎士階級の若者たちが多い。

 彼ら、彼女らは魔法やその他の新しい文化に挑戦しようとする気概のある若者たちで、けれど後ろ盾がないばかりに行動が制限されていた。


 オクタヴィーは彼らに目をかけ、サロンの一員として迎え入れて才能を磨く機会を与えている。雑多な分野の多様な能力が、分野の垣根を超えて花開いていくさまは興味深い。

 中には宝石の原石のような者もいて、そうした若者を見出してやるのは楽しい作業である。




 サロンの女主人となったオクタヴィーは、兄ティベリウスとは違うチャンネルで情報を集めている。

 女たちのおしゃべりも馬鹿にできない。男の表向きの仕事だけでなく、裏の家庭事情やゴシップなどにもよく通じている。

 一つ一つはパズルのピースのように断片的でも、組み立てれば全体像が浮かび上がるものだ。


 さらに兄嫁リウィアの実家、運送業の商会で得たものと突き合わせれば精度は上がる。

 ティベリウス夫妻とオクタヴィーは、こうして張り巡らせた情報網で何度もフェリクスへの悪意を察知しては、その芽を摘んできた。

 また元老院に不満を持っている者を炙り出して、自陣営に引き込んでいった。







 それはそれとして、オクタヴィーは自分が作り上げたサロンが気に入っている。

 皆から称賛を浴びるのは気分がいい。好みの男も勝手に寄ってくるので、一時の愛人にも困らない。

 もちろん、彼らに下心があるのは承知の上だ。多くの者は大貴族フェリクスの威光にあやかりたがる。

 大貴族の立場にいる以上、下心のない関係はありえないとオクタヴィーは考えている。問題はそれをどう活かすかだ。


「でもね、最近気にかかることがあるのよ」


 サロンとして使われている一室で、寝椅子にゆったりと身を横たえながらオクタヴィーは言った。結い上げた赤毛の後れ毛が、優美に首筋に落ちかかっている。


「はあ。何ですか」


 答えるのは彼女の弟子ゼニスだ。ゼニスも寝椅子に横になっているが、落ち着かない様子だった。


「私のかわいい、かわいい弟子のことよ。あの子ったら今年で17歳の成人を迎えたのに、結婚どころか恋人の一人もいないの」


 答えはない。この話題で勝ち目はないとゼニスは知っているので、だんまりを貫いているのだ。


「困ったわねえ。神殿の巫女でもないのに、かたくなに処女を守っているんですもの。さっさと男の味を知って、人生の楽しみを増やして欲しいのに」


「黙秘します!」


 ゼニスは不満そうに一言だけ答えて、また黙った。


「いつもこれよ。だから今日は趣向を変えるわ」


 オクタヴィーが軽く手を叩くと、3人の男性が寝椅子のそばにやってきた。

 1人は20歳ほどの濃い茶色の髪の青年。整った顔立ちに優しそうな目をしている。

 2人目は10代後半の少年。短く刈った亜麻色の髪、いたずらっぽく笑っていた。

 最後は20代前半に見える男性。ノルド人のようで背が高くて体格が良く、髪は明るい茶色。緑の目に挑戦的な光を宿していた。


 1人目はもちろんのこと、全員が見目麗しい美青年である。

 彼らを満足そうに眺めてから、オクタヴィーは弟子に言う。


「どう? 各種タイプを揃えてみたわ。誰でも好きなのを選んで、寝所で可愛がってもらいなさい」


「はい!?」


 師の言葉にゼニスは飛び起きた。


「なんてこと言うんですか! マジ信じらんない! ありえないー!!」


 座った状態で頭を抱える。


「あら失礼ね。この子たちは全員、床上手よ。処女相手でもちゃあんと優しくしてくれるわ」


「そーいう意味じゃないです! 寝るうんぬんはもっとお互いに仲を深めて、心を通じてから……うぉへらっ!?」


 最後の奇声は亜麻色の髪の少年が肩を抱き寄せたからである。


「氷雷の魔女様、俺じゃ不満ですか? 精一杯努めます。どうぞ、俺を選んで下さい」


「おいお前、抜け駆けするな。魔女様のお相手は俺が相応しい。魔女様、俺の身内は魔法使いが多いんです。俺にも多少の魔力があります。是非、手ほどきを」


 と、ノルド人の青年。


「2人とも、魔女様が驚いているじゃないか。不躾な男は嫌われるよ」


 茶色の髪の青年がおっとりと言って、ゼニスの手をそっと握る。


「氷雷の魔女様、いいえ、ゼニス様。あなたの花園に、ぜひ僕を招待して下さい。必ずや満足させてみせます」


「むりーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」


 部屋中に響く声でゼニスが絶叫した。

 がばっと立ち上がって男どもを振りほどく。

 前世32歳プラス今生17歳、合計で49歳アラフィフの年齢イコール彼氏いない歴のゼニスにとって、この展開はあまりに酷であった。


「無理ですっ! 師匠、デリカシーなさすぎ! さすがドルシスさんと双子!!」


「ちょっと、そこでドルシスを出さないで頂戴。私がよっぽど配慮に欠けるみたいじゃない」


 オクタヴィーも起き上がって、肩で息をする弟子に相対する。


「欠けまくりです! むしろ欠けてないところがない!」


「欠けてるのはきみでしょ! あのね、夜の営みはウェスタ女神からの贈り物なの。それが出来る健康な大人の体を持っているんだから、大いに楽しまないと女神への冒涜になるのよ!」


 オクタヴィーの言葉は、ユピテル人の価値観として正しい。彼女は本気で弟子を心配しているだけなのだ。

 そうと察したゼニスは言葉を詰まらせ、また肩を抱かれて「ウニョゲラりあばばばっ」と奇声を発した。

 その様子を見たオクタヴィーは、ふと思いついて言った。


「ああ、もしかして、1人選ぶのが駄目だった? もちろん2人でも3人全員でもいいわよ。きみ、リウィアに剣を習っていて体力あるものね。その子たちは私の選りすぐりだけれど、他の子が良ければ――」


「そういう問題じゃないんでっ! 私もう帰りますね!!」


「こら、待ちなさい!」


 ゼニスは顔を真赤にしながら、ものすごい勢いで部屋を突っ切って出ていってしまった。

 まるで猛牛の突進みたいねとオクタヴィーは思う。


「申し訳ありません、オクタヴィー様。僕たちが至らないばかりに」


 茶色の髪の青年が眉を下げる。オクタヴィーはため息をついた。


「きみたちのせいじゃないわ。どうしてあの子は、ああ潔癖なのかしらねえ」


 まったくおかしな子だとオクタヴィーは思う。

 ゼニスを小さい頃から知っているが、どの年齢においても「変わっている」としか言いようのない人間だった。

 子供の頃は早熟な天才ゆえに、価値観のバランスが揺れているのかと思った。

 でも、もう成人の年なのに相変わらず。妙に潔癖だったり、現実的でないほどに理想家だったりといった面が垣間見える。


 ラス王子の件もそうだ。何年も前から真っ直ぐな好意を向けられているのに、まるで気づいていない。オクタヴィーとしてはとても信じられなかった。


「ま、それも含めてあの子かしらね」


 でも結局、そう思ってしまう。

 普段は好きなことばかりやっていて、逆境になると驚くほどの底力を見せる。そんなゼニスをずっと、嫌いになれなかった。


 これからも師の立場で見守って、時にはおせっかいを焼いてやろう。

 オクタヴィーはそう考えて、またゆったりと寝椅子に身を横たえたのだった。


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