第102話 後日談3

 ティベリウスさんの年齢は今、30代前半。ドルシスさんは20代半ば。

 2人ともまだ若い。でも10年後はまだしも、20年後になるとそれなりの年になる。決行するだけならともかく、ノルドを征服した上でその後の国政も見据えると時間が足りない。何せこの国の平均寿命は、60歳程度なのだ。


「後継者ですか。それは、ゼピュロスくん……息子さんを?」


 リウスさんの長男ゼピュロスは今年、3歳。利発な子だけど、まだ才能やら何やら言える年ではない。


「あの子が役目に相応しい力量の持ち主ならね。そうでなければ他の役割を振るさ。我が子は可愛いが、こればかりは親の欲目で判断を誤るわけにはいかない」


 夫の言葉にリウィアさんもうなずいている。

 そうなると、血縁に関係なく後継者探しをするんだ。血統主義の貴族なのに、すごい割り切ってるなぁ……。それだけ真剣だということなのだろう。


「後継者とユピテル国内の基盤作りは兄上に任せて、俺は新天地で自由にやって来るよ。

 実のところ、腕一本でどこまで出来るか楽しみでな。腹の探り合いばかりの議員や制約の多いユピテル軍人より、よっぽどやりがいがある」


 ドルシスさんがニヤリと笑った。その表情には本当に楽しみにしている様子が感じられた。


「で、話は戻るが、そんなわけだからゼニスは気に病む必要はない。その時が来たら、快く送り出してくれ。俺が望むのはそれだけだ」


「……はい!」


 表面だけ見れば、ドルシスさんは不遇の末にユピテルから追い出されるようなもの。というか、そう見えるように調節するのだろう。

 その裏で周到に準備をして、未来のために動いていく。


「この話は、もっと具体的に固まってからするつもりだったんだがなあ。我が家の女傑たちが恐ろしくて、つい秘密を吐いてしまった」


 そんなことを言う。オクタヴィー師匠が鼻で笑った。


「格好つけようとするからよ。そんな柄じゃないんだから、せいぜい地道に頑張りなさい」


「ああ、そうするさ。神祇官を拝命して直後に辞職するのは、さすがに不自然だ。2年かそこらは大人しくして、水面下で準備を整えておくよ」


 皆、未来を見据えている。思わず私も口に出して言った。


「私も何かできることがあれば、お手伝いさせて下さい」


「うん、これからは魔法が重要になる。ゼニスにも期待しているよ」


 いつもの温和な表情に戻って、ティベリウスさんがそう言ってくれた。







 魔法は使いようによっては、強力な兵器になってしまう。

 でも出来れば、私は戦場以外の場所で魔法を役立てたい。

 この古代文明では人の命は軽くて、戦争もあちこちで起こっている。お金で命を売買される奴隷もいる。


 それらを根本的に変えるのは、私にはとても無理だけど。

 せめてこれから魔法を学ぶ人には、命の大切さを教えていけるようにしたい。魔法の力を野放図に殺戮に使わないようにしたい。

 子供じみた綺麗事かもしれないけど、手の届く範囲で頑張って行きたいと、切に思った。









 ++++



【あるかもしれない未来の話】



 ――竜退治の年から16年後。

 ノルドではその一部族、ノクリム族が勢力を拡大し、北西山脈のユピテルとの国境線をたびたび侵すようになった。

 これを重く見たユピテルはノルド平定を決定。総司令官として元老院の重鎮、ティベリウス・フェリクスを選出し、最高軍事指揮権インペリウムを与えた。


 ティベリウスは軍団を編成して、ただちに遠征に出発。その傍らには、若き嫡子ゼピュロスの姿もあったという。

 ノルド平定は長い時間がかかるとの見方に反し、ユピテル軍は破竹の勢いで進軍した。

 途中で合流したブリタニカ王ドルシスの助力も大きかったと言われている。ドルシスは多数の精鋭兵や物資の供出の他、ノルド各部族の内情や地理に精通しており進軍の要となった。


 ユピテル軍はノクリム族を下した後、ノルド全土をも征服した。わずか5年に満たない短期間でのことだった。


 しかしここで一つの悲劇が起こる。

 ユピテルに引き上げる最中、ティベリウスが病にかかり帰らぬ人となったのだ。高齢になってから気候の違うノルドで戦い続け、体の負担が大きかったためと言われている。享年50代前半の波乱に満ちた人生だった。

 夫を心から愛していた妻リウィアは、亡骸となって帰還したティベリウスに取りすがって泣き、その悲しみの深さは見る者全ての涙を誘ったという。


 20代半ばになっていたゼピュロスは、父に代わって全軍を統括する。

 亡き父の遺志を継いだ彼は、国法を破って首都を軍勢にて包囲。主だった元老院議員たちを拘束し、独裁官ディクタトル就任を宣言した。

 反対勢力を問答無用で叩き潰して、独裁官の強権を以て各地の腐敗を一掃し、新しいユピテルへの道を拓いた。


 ゼピュロスはそのまま終身独裁官になるかと思われたが、任期が切れると大人しく引き下がった。

 旧来の元老院議員たちは胸を撫で下ろしたが、これは彼の予定の一つだった。


「私が独裁官になったのは、あくまで各地にはびこる不正を正すためである。今、ユピテルを覆う混迷の霧は晴れた。であれば私は、一元老院議員としてユピテルのさらなる発展に尽くす所存である」


 彼はこう言って、元老院議員たちの支持を集めた。

 けれどその頃には、もうゼピュロスの敵になりえる勢力はほとんど全て潰されていた。実質上、支持をしない者がいなかったのである。


 けれど彼は、このまま王政なり皇帝政なりに移行するには、貴族も平民もショックが大きすぎると考えた。


 元老院に敵はもはやいなかったが、平民たちが蜂起する事態は避けたい。征服したばかりのノルドもまだ不安定。これ以上の混乱を起こして、東のアルシャク朝につけ入れられるのも困る。潜在的に残った反ゼピュロス派が暗殺などのテロに走ってもやっかいだ。

 そこで名目だけは従来の共和制を宣言し、実権はしっかりと握ったのである。一種の欺瞞だった。

 けれどそのおかげで、ユピテルは安定して国力を蓄えた。


 ゼピュロスの方針転換は、暗殺を予知した氷雷の魔女ゼニスの助言もあったと言われているが、その点は定かではない。


 そしてゼピュロスは生涯、欺瞞を貫いた。元老院から『元老院とユピテル市民の第一人者』の称号を贈られたくらいだから、彼の根気強さと演技力は相当なものであった。


 ゼピュロスが71歳で没すると、彼の娘婿が後継者となった。義父ほど傑出していないものの有能な人物だった。

 彼は義父の称号『元老院とユピテル市民の第一人者』を用いて、実質上の皇帝となった。初代皇帝を彼とするかゼピュロスとするかは、歴史家の間でも意見の分かれるところである。




 こうしてユピテルは帝政に移行した。

 ティベリウスから始まった改革で、ユピテルの国家としての寿命は500年伸びたと言われている。




 ――それは、まだ誰も知らない未来の話。







 **********


 作者補足。ゼピュロスの行動は古代ローマの偉人、スッラ、カエサル、アウグストゥスの3人をまぜこぜにしたものです。

 以下、やたら長いローマうんちくです。本編に関係ないので読まなくてもOK。



・独裁官になって強権を振るうも任期後は権力返上→スッラ。


 スッラは共和制後期の人で、平民派の台頭などで元老院の基盤が揺らいでいた時、ガチガチの元老院派として活躍しました。数々の内乱を制し反対派を大量に粛清して、元老院による国政をもう一度強固なものにしました。

 スッラが作り上げた元老院体制は、内乱で疲弊しきっていたローマに一時的とはいえ秩序を与えました。

 スッラは冷酷無比な虐殺と粛清を行った上、それまでのローマ人が誰もしようとしなかったレベルで独裁官の強権を行使した人物です。そのため無慈悲な殺戮者と捉えられがちですが、彼が行った改革は、後のアウグストゥスまで引き継がれるものも少なくありませんでした。

 ローマの独裁者アレルギーは彼に由来する面も多いです。あまりに残虐に、血も涙もなく大粛清を行ったので、非常に恐れられていました。



・ノルド地方をスピード平定、国法を破って首都に進軍→ユリウス・カエサル。


 カエサルです。FGOのおデブ化絶対許さぬのカエサルです(私見です)。

 カエサルはスッラの一世代下の年齢で、平民派の家の生まれの上にスッラに反抗したため、若い頃は首都ローマを追われて逃げ隠れる生活をしていました。

 その後はすごい。語り始めたら止まらないから省きますが、もうすごい。

 とにかく40歳を超えて執政官になり、ほどなくガリア(作中のノルドのモデル)攻略に乗り出します。

 現在のフランス全土、北イタリア、ドイツの一部に渡る広い地域を7年で征服しました。めちゃくちゃゴチャっとしていたこの地域を7年で平定したのは、相当なスピードです。

 その後は有名な「賽は投げられた」のルビコン川超え。当時のローマ国法はルビコン川を境界線として首都側で軍団の武装保持を禁じていました。カエサルはそれを破り、元老院と対立を決定的にします。

 その後はなんやかんやあって(これがまたドラマチック)勝利し、終身独裁官に就任します。任期がない終身です。

 そして、暗殺。暗殺したのは元老院派の人たち。つまり少し前まで敵対して既に負けた人たちです。「ブルータス、お前もか」の解釈は幾通りかあるので省略。

 カエサルは寛容を掲げた人でした。彼は色んな敵と戦って全て勝ちましたが、敗者に対して寛容でした。ガリアの民にも、元老院派のローマ人にもです。スッラのように粛清はしなかった。

 カエサルは元老院主導の国政に限界を感じて、皇帝制への移行を計画していました。独裁者である皇帝と、敗者に対する寛容。矛盾するようですが、これがカエサルの方針です。

 しかし敗者たちは、敗北を寛容によって許されるのを受け入れられませんでした。表面的にはカエサルの寛容に感謝するフリをしながら、ねじくれた憎悪が積もっていきました。

 カエサルは自らの信念――敗者ですら寛容のもとに許し、他人もそうあるべきと信じる姿勢により、護衛を連れずに行動していました。その結果の暗殺。カエサルの行動を理想が高すぎて慎重を欠いたと見るか、それともそこまでの理想があったからこそ自らを律し、終身独裁官にまでなったと見るか……。カエサルはこうして50年と少しの生涯に幕を閉じました。



・実質、皇帝として権力を握りながら欺瞞を貫き通す→アウグストゥス


 アウグストゥスは称号。本名はオクタヴィアヌスといいます。

 彼はカエサルの姪の息子。小さい頃から親戚として交流がありました。

 カエサルが暗殺されたのは、アウグストゥスが18歳の時でした。カエサルの遺書が公開されてびっくり、後継者に何の実績もない若造のアウグストゥスが指名されていたのです。

 カエサル麾下の将軍たちは反発しました。その中でも後継者と目されていたアントニウスが、エジプト女王のクレオパトラと組んでアウグストゥスと戦争を戦います。

 アウグストゥスは苦戦の末にアントニウスに勝利。カエサルの正統な後継者として元老院のトップに立ちます。何の基盤もない18歳スタートの彼が、カエサル麾下のベテラン猛将であった相手によく勝てたものです。

 アウグストゥスは生来虚弱体質で、政治力はピカイチですが軍事才能は乏しい人でした。戦争に勝てたのは彼自身の政治家としての戦略と、戦術面で右腕の将軍が有能だったからです。将軍は名をアグリッパ、軍事面での弱さを見抜いていたカエサルによって配された、同い年の平民の兵士でした。彼は生涯、アウグストゥスの忠実な右腕かつ親友として、人生の全てを捧げました。後にアウグストゥスの娘と結婚して、孫をたくさん作っています。

 そんなアウグストゥスはカエサルのように暗殺されるのをとても恐れていて、そのため、独裁官になりませんでした。あくまで元老院から【第一人者】の称号を受けるに留めて、表面的には旧来の元老院体制を続けました。

 アウグストゥスはカエサルのような斬新な改革実行力や何百年も先を見据えた国策を作る能力にはやや欠けていましたが、その代わり非常に強い意思を持っていました。何十年もの間、決して軸をぶれさせずに元老院とローマ市民を欺き続けながら、長い内乱で傷ついたローマをもう一度繁栄に導きました。彼の晩年になるとローマの独裁者アレルギーは相当に弱まっていて、やがて皇帝制へと繋がっていきます。



 ものすごいかいつまんで書いたので、正直「わけわからん」と思われそうですね。

 スッラ、カエサル、アウグストゥスは共和政から帝政への過渡期に出現した偉人たちです。個人的にはカエサルは人類史上屈指の天才、スッラとアウグストゥスは普通にすごい天才だと思っています。

 カエサルは個々のエピソードがぶっ飛びすぎていて、常人には理解の難しい人です。スッラとアウグストゥスはまだ理解できます。



 蛇足ですが、アウグストゥスの実子は娘が1人しかいませんでした。妻の連れ子である義理の息子が2人いて、兄はティベリウス、弟はドルスス。ラテン語は表記ゆれが激しいので、ドルススはドルシスと読んでもまぁいいかな? という感じです。

 そして兄ティベリウスはアウグストゥスの後継として、第2代皇帝になります。そこに至るまでのドラマも山盛りですが、長すぎるので省略します。



 以上、かいつまんだと言いながらめちゃくちゃ長いローマの話でした。

 最後まで読む人はいるだろうか……。

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