第98話 決戦


***


 いつも通り目覚めた『彼』は、すぐに濃厚な酒の匂いに気がついた。

 今まで用意されていたそれよりも、何倍も濃くて魅惑的な匂い。

 寝起きだったにも関わらず、思わず舌なめずりをしてしまった。


 早速、翼を広げて夜空に飛び立つ。薄く雲がかかった月が、柔らかい光で辺りを照らしている。

 前に2本足たちの群れを燃やし尽くした場所からさらに麓に下ると、見慣れた巨大な桶が置いてあった。中にはなみなみと液体が満たされている。いつもの赤紫色ではなく、澄んだ透明な色の酒だった。


 ――何か、妙だ。


 降り立とうとして、彼は奇妙な胸騒ぎを覚えた。もう一度羽ばたき旋回して、地上を眺める。

 火山の麓に雑木林が広がっていて、途中で木々が途切れている。その開けた場所に桶が置いてある。食べ慣れた4本足のキーキー鳴く獣もいた。

 少なくとも近くに2本足は見えない。特段、何も変わらない。


 本能的な危機感が警戒を呼びかけていた。けれど同時に、やはり本能的な快楽を求める衝動が濃い酒の匂いに惹きつけられていた。

 彼は2本足たちも無力ではないと知っている。とはいえ、あの大きな矢を撃つ武器にだけ気をつければ他は気にしなくてもいいだろう。


 結局、彼は誘惑に勝てなかった。

 地上に降りて羽を折りたたみ、桶に鼻面を近づける。ひと舐めして目を見開いた。

 今まで飲んできたぶどう酒よりも、格段に美味い!

 非常に濃い酒精が舌を焼いて喉を滑り落ち、胃の腑をカッと熱くした。その熱にうっとりする。それでいて、僅かに残る果物の香りが爽やかである。


 ――うまい! うまい!


 彼は夢中で大口をあけ、舌を伸ばして、透明な酒をガブガブと飲んだ。


***






 桶の蒸留酒を飲み始めた竜を確認して、私は気を引き締める。

 少し離れた木立に隠れて、私たちは様子を伺っていた。

 作戦の第一歩は完了。まずは引っかかってくれた。あとはなるべく酔いが回ってくれるよう祈る。


 次に頃合いを見計らい、攻城兵器の覆いを取った。

 竜の巨体が地上に降りる場所を確保する以上、近くに隠れる場所はない。

 槍を携えたドルシスさんができるだけ確実に竜の背に登れるよう、攻城兵器と兵士、それに魔法で援護する。


 攻城兵器を全て引き出して、大型矢をいくつも発射した。

 同時に兵士たちが走り出て、竜へと近寄る。

 酒桶から顔を上げた竜は、すぐに飛び立とうと翼を広げ――――よろけた。酒が回っている!


 回避が間に合わず、竜の体に何本もの大型矢が突き刺さった。苦悶の咆哮が響く。

 今回の矢は特別製だ。やじりの部分にくぼみを作り、そこにたっぷりとトリカブトの毒を入れてある。

 トリカブト毒は大さじ3杯で巨熊を殺す。竜に毒がどこまで効くのか不明だけれど、やって損はない。

 トリカブトの毒は即効性があるので戦場でも効果を期待できる。


 竜の動きが明らかに鈍い。

 大きく口を開けて炎を吐こうとして、その横っ面に攻城用の投石機の石がぶつかった。石といっても人の頭ほどの大きさがある。ダメージ自体はそこまで大きくなさそうだが、火を吐く動作が中断された。

 これも今までの観察の結果だった。火を吐く際は多少の予備動作がある。妨害を狙って各方向から投石機を準備していた。

 もっとも、本当は口の中に石をぶち込んでやるくらいのつもりだったが、そこまで上手くは行かなかったというところ。


 ドルシスさんと兵士たちがさらに進んでいったので、矢の射出は中断。次にロープ付きの鉤爪を撃ち出した。

 鉤爪も形を変えて、やじりに近くしている。引っ掛けるのではなく、肉に食い込むのを狙った。やじりの返しを大きくして、抜けにくくなるよう工夫を施している。


 四方八方からロープで拘束され、思うように動けなくなった竜が苛立ちをあらわに吠えた。

 力任せに引きちぎろうとしている。でもロープはびくともしない。

 それもそのはず、このロープには『硬』の白魔粘土を付与している! 固定が終わったロープに魔法使いたちが手を添えて、魔力を流し続けている。長いロープのため効果はやや落ちているが、それでもこれだけの数だ。そう簡単に振りほどけるものではない。


 ドルシスさんたちが竜の足元に到達した。銅の槍が薄い月明かりを反射して、キラリと光る。


 と、固定が甘かった尻尾の拘束が解けて振り回され、兵士が幾人か跳ね飛ばされた。太い尻尾が叩きつけられ、兵士の1人が片腕を残して潰される。思わず目をそらした。


 でも今は……怖気づいてる場合じゃない!!

 ドルシスさんが竜の尾を足がかりに、背へと登っていく。ロープで拘束されながらも、竜は体に力を込めて暴れようとしている。

 酒と毒で相当に弱らせているのに、なんて馬鹿力だ。


『あまねく満ちる雷の力よ――』


 私は呪文を唱え始めた。位置はドルシスさんの後方、竜から見ればほんの数歩の距離。

 脳に灯った魔力が体を巡り、だんだんと速度と熱量とを増していく。

 これから唱えるのは雷の発生のメカニズムである。プラスとマイナスの電子、それぞれの挙動を指定する。


『其の力を正負に分かち、正の力は天の上層に。負の力は天の中層に。しかして地に近い下層は、正の力にて――』


 薄曇りだった夜空に風が渦巻き始めた。上空で垂直に風が吹き上げて上昇気流となり、みるみるうちに積乱雲へと発達して行く。

 そして雲の中ではそれぞれの電荷が動く。プラスは上層に、マイナスは中層に。さらに上空との気温差で下層はプラスになる。

 この辺り、前世の科学番組「夏休みこども科学教室☆おしえて先生」で見たから間違いない!


 ここで竜がロープを一部、引き千切った。自由になった片翼が猛烈に動いて、戦場に強風を起こす。私の褐色の髪も風に煽られ、夜空に激しくたなびいた。

 ドルシスさんは暴れる竜の背でバランスを崩しかけ、槍と反対の手に持った短剣を竜に突き刺し、転落を防いでいる。あれも『鋭』を付与した武器だ。


『小さき負のいかずち、密かに進み――』


 偏った電荷を中和しようと、プラスとマイナスの移動が始まる。積乱雲の中層から下層に下がった小さな電流が、無数に地上へと降り注ぐ。

 本来であれば目には見えないが、術者である私には魔力に導かれた電子の流れがはっきりと感じられた。


 ドルシスさんは体勢を立て直して、竜の背骨まで一気に駆け上がった。両手で槍を逆手に持ち、背の真ん中より少し左、心臓があると思われる場所へと深く突き立てた!


 ――ガァァアアァァァァアァァッッ!!!


 耳をつんざくような悲鳴が上がった。

 穂先から三分の一ほども突き刺さった槍は、のたうつ竜の背で今なお立っている。


 ドルシスさんが支えを失って、竜の背から放り出される。けれど落下のスピードが上がり切る前に、地面がせり上がってきて彼はそこへ着地した。軍の魔法使いが岩壁の呪文を応用して使ったのだ。


 そして、私には視えた。

 魔力で生まれたマイナスの電荷が地に満ち、次いで空へと逆流して、竜の背まで、銅の槍の先端まで到達する!

 そう、一般的に「落雷」と呼ばれている現象は、実は上から下に落ちるのではなく、地上から空へと駆け登る電流なのだ。


 さあ――今だ!!


『引かれ合う正負の力のままに、経路を開いて柱と成せ――!!』


 ありったけの魔力を注いで、呪文の最後の一節を唱え終わると。

 ぱりん、と小さく音がした。


 次の瞬間、雲と地上とに開いた放電経路に巨大な紫電の柱がそびえ立った。

 同時、雷鳴が轟音となって辺りの空気を揺るがせた。







 誰もが立っていられず、倒れたり耳を押さえて座り込んだりした。私も例外ではなかった。

 一度に大量の魔力を消費した反動と、間近で雷にさらされた衝撃に膝をついたまま、しばらく立てないでいた。


 竜、竜は仕留められただろうか。

 雷の閃光でかすむ目をそばめて、必死で前を見た。


 前方に黒ぐろとした影が見える。雷の魔法が終わって雲が晴れた空から、月の光が差し込んでいる。

 黒い――黒焦げになった竜が、背中から槍を生やしたまま動かないでいる。

 背中の刺し傷は裂けるように広がり、露出した肉も炭化しているのが見て取れた。


 徐々に兵士たちも起き上がって、竜に近づいた。剣で軽く斬りつけても反応がない。

 やったか……!?


 ふらつく足を叱咤して、私も立ち上がった。一歩、二歩と進む。


 と、その時。

 竜の眼球がぎょろりと動いた。まぶたが焼け落ち、半ばむき出しになった目玉が。

 低い唸り声を上げながら這いずるように動き、私目掛けて大口をあけた――







***


 痛い。苦しい。体中が熱くて寒くて、どうにかなってしまいそうだ。

『彼』は生まれて初めて味わう苦痛の数々に、心の底から悲鳴を上げた。


 どうしてこんなことに。自分はただ、美味しい酒と餌を味わっていただけなのに。

 苦しい。悲しい。悔しい。怖い。死ぬのは嫌だ!

 体内魔力を燃やして傷を治さなければ。ああでも、もう体が動かない。


 死の淵にいることを自覚した彼は、ふと覚えのある魔力の気配を嗅いだ。


 ――あいつだ。最初の夜、大きな街で見かけた褐色頭の2本足。


 彼は急に理解した。ああそうか、この雷はあいつの魔法か。

 こんなに強い魔法を使うなんて、見た目以上の魔力の持ち主だったようだ。


 ――食えば、さぞかし旨いだろう!


 彼の最後の夢。上質な魔力がたっぷり詰まった肉を噛み砕くという、願い。

 それを叶えようとして、彼は力を振り絞って地べたを這いずり……


 けれど届かず、力尽きて倒れた。


 それが、彼の最期だった。


***


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