第97話 決戦前夜
「選ぶまでもない。俺がやろう」
軽い調子で言われた言葉に、一瞬だけ理解が遅れてしまった。
一呼吸置いて反論してみる。
「でも、ドルシスさん。魔力を流さないといけないんですよ」
「分かっているとも。俺はそれが出来るんだ」
「魔法使いでもないのに?」
魔力を指先から体の外に流すには、一定の魔力の素質と訓練が要る。そのための魔法学院のカリキュラムだ。
「ドルシスはもともと、私と同じくらいの魔力持ちなのよ」
オクタヴィー師匠が言った。
「魔法に興味がなくて軍人になったけどね」
「で、軍に入る前のガキの頃、オクタヴィーに付き合って魔力の訓練をしていた。もっとも魔力操作を身に着けだだけで、魔法は使えない。勉強が面倒だったのでな」
ドルシスさんはひょいと肩をすくめた。
そういえば師匠とドルシスさんは双子の姉弟だった。魔力を含めて体質が似ているのだろう。
「呪文の詠唱は必要ないんだろう?」
「はい。記述式呪文は魔力を流すだけで起動します。竜に槍を突き立てる何秒かの間、魔力を流せば大丈夫です」
「なら、やはり俺が適任だな」
「……ドルシス」
ティベリウスさんが静かに弟の名を呼んだ。
「あえてお前がやる必要はない。ゼニスの言う通り、軍の魔法使いから人材を選べばいい」
「兄上、そうは言うがな。魔法使いどもはあまり体術を鍛えておらんぞ。竜に使う槍は長さが必要だろう、そうなると重量が増える。
重い槍を担いで竜の背中までよじ登って、突き刺すんだ。そんな荒業が出来る魔法使いは、少なくとも俺は知らん。
今から鍛える時間もない。であれば、すぐにでも実行可能な俺が最適だ。
――それとも兄上は、弟の命を惜しんでくれると?」
最後の言葉は冗談めかした口調だったけど、瞳は強い光を放っていた。
――命惜しさに怖気づくのは許さない。そう聞こえてくるようだ。
ティベリウスさんはそんな彼の眼光を正面から受け止めた。
「無論、惜しいとも。だがそれだけではないよ。
お前を、引いては我がフェリクス家を第二のソルティクスにしてくれるなと言っている」
「…………」
ソルティクスは、100年ほど前の戦争の英雄だ。かつての南の大国・ソルティアを征服した者という意味の称号で呼ばれる英雄は、突出した個を嫌う元老院によって排斥されて、若くして不本意な隠居生活を強いられた。晩年まで不遇に過ごし、そのまま死んだという。
ティベリウスさんは続ける。
「ただでさえフェリクスは、冷蔵運輸で他の大貴族よりも頭一つ抜け出た存在になった。
さらにゼニスが『神の雷の魔法』で竜を倒す。
その上、お前が竜殺しの栄誉を浴びるとなれば――お前自身はもちろん、家門までいらぬ詮索を受けかねない」
彼は僅かに視線を逸らした。
「成功すれば、過度の名誉によって痛くもない腹を探られる。失敗すれば死ぬばかり。割に合わないよ」
沈黙が落ちた。皆、言葉を失って黙っている。
やがて静けさが心に痛いほどになった頃、ドルシスさんが口を開いた。
「あー、まったく! つまらん、つまらないことこの上ない! 元老院の頭の固いジジイどもめ、あいつらから先に竜に食わせてやればいいものを。豚の代わりに、次はあいつらを竜に差し出してやろうか」
あっけからんとした声だった。ちょっと大げさな動作で両手を広げている。
オクタヴィー師匠が眉を寄せた。
「ドルシス、言い過ぎでしょ」
「うむ、すまん。つい先日執政官が戦死したばかりだった。いささか不謹慎だったな。
――だが俺はやるぞ。ジジイどもはともかく、市民たちを竜から守るのは貴族であり軍人である俺の使命だ。俺以上の適任者がいないのであれば、この役を降りるつもりはない。
フェリクスにとばっちりが行かないよう、兄上の手腕に期待している」
フェリクスに。それはつまり、彼自身については諦めるという意味だ。
「ドルシス。それで、いいのかい?」
ティベリウスさんの言葉に、彼は苦笑して頷いた。
「よくはないが、やむを得んだろう。俺の進退よりも速やかに竜を退治する方が余程重要だ。1日でも早く、僅かでも確実に。そうすればそれだけ、被害を出さずに済む」
そう言って彼は私を見た。
「頼むぞ、ゼニス。お前の雷の魔法が切り札になる。それ以外のことならば、全て最善を尽くすと約束しよう」
「……はい!」
本当は言いたいこともあった。でも、ドルシスさんがこう言い切る以上は私に口を挟む権利なんてない。
だからうなずいて、この作戦を成功させることだけを考えるようにした。
それからは急ピッチで物事が進んでいった。
まずティベリウスさんが元老院に作戦を提案して、承認を受ける。同時に蒸留器や銅の槍の作成が進められた。
先の戦いで大量に燃やされてしまった攻城兵器も、再び集められた。足りない分は新たに建造もされた。
私は落雷魔法の精度と威力のさらなる向上を、シリウスは記述式呪文の効果アップをぎりぎりまで行った。
ドルシスさん以下、作戦に携わる軍人たちと打ち合わせを繰り返して、お互いの認識をきっちりとすり合わせる。
その間に一度、豚肉に飽きた竜が首都まで来て暴れた。火を吐き、建物を蹴散らして人々を食べて行った。
けれど攻城兵器で痛い目に遭った記憶はしっかり生きているようだった。スコルピオから大型矢を射出したら空高く舞い上がり、矢の届かないはるか上空から火を吐いてきた。やはり知能があるようだ。
集めていた攻城兵器の多くは、首都郊外の倉庫に隠してあったので無事だった。
でも市民を守るのは出来なくて……飛び出していって落雷魔法を使ってやりたいのを、我慢するのに苦労した。
やがて蒸留器が出来上がった。確保した大量のワインを次々に蒸留していく。
竜が酒の匂いを嗅ぎつけるといけないので、首都から離れた場所で作った。
槍も何度かの試作と改良を経て完成した。3メートルにもなる長槍で、かなりの重量だった。竜の体格を考えると、このくらいの長さは必要であるらしい。確かにこれは鍛えていないと扱えそうにない。
『鋭』の白魔粘土を組み込んで威力を試すと、分厚い鉄板をあっさりと貫通した。さすがに皆でびっくりしてしまった。
これ、人間同士の戦争で使われたらまずいのでは……と頭をよぎったが、今さら止めるわけにもいかない。
後でオクタヴィー師匠やティベリウスさんとよく相談して、門外不出にできるならしないと……。
そう、後で。後があるなら、だ。
この作戦、槍の役目を担うドルシスさんはもちろんのこと、私自身も危険度が高い。
落雷魔法はそこまで射程が長くない。竜にかなり近づかないとならないのだ。仕留め損なえば、反撃をもろに食らうだろう。
そして竜が何度目かの眠りに入って、数日後。
テュフォン島に上陸した私たちは、戦場となる予定の火山の麓に攻城兵器を配備した。兵器には布をかぶせ、木の枝や葉っぱを乗せてカムフラージュする。
蒸留酒の樽も揃えて、竜用の巨大な桶の横に並べておく。
あとは竜が目覚める頃合いを見計らって、桶に蒸留酒を注ぐ。そうすれば酒の匂いを嗅ぎつけた竜がやって来るはずだ。
決戦の日は、近い。
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