第94話 ごちそう

 ドラゴン。竜。

 前世ではそりゃあもう定番のモンスターだった。

 ゲームでは必ず登場したし、ファンタジーものの映画でも大人気だった。

 だからCGのドラゴンは見飽きるほど見た。


 でも、目の前の光景に理解が追いつかない。

 火事の炎が未だ燃え盛る中、そいつは悠然と宙を舞っている。

 いくら大きな翼とはいえ、あの巨体が空を飛んでいるのが信じられない。魔法や魔力みたいなファンタジーでミラクルなパワーのおかげなのだろうか。


 そんな現実逃避を伴った思考は、竜が旋回したことで断ち切られた。

 ゴウ――と風が渦巻いて、竜の頭が地上を向く。


 風!? 火の粉が舞い上がってしまう、火事が広がってしまう!


 竜巻のように空高く上がった火の粉は、手の届きようがない。どうか燃え広がりませんように、そう願ったのも束の間、それ以上の災害が降ってきた。


「魔女様、危ない!!」


 消防隊の隊長さんが駆けてきて、私とティトを抱き込むようにして倒れ込んだ。

 彼の肩口の向こうに見えたのは、巨大な竜の牙。倒れた背中のすぐ上を通り過ぎて行った。


 あのまま突っ立っていたらただじゃ済まなかった……! 背筋にどっと冷たい汗が出る。

 次いで強風が巻き起こり、群衆たちが悲鳴を上げて吹き飛ばされたり転んだりしている。

 竜の頑強な体躯と翼が建物をなぎ倒して、瓦礫の山を作る。

 竜が上空に戻って風が弱まると、隊長さんは私たちが起き上がるのに手を貸してくれた。


「魔女様、お怪我は?」


「大丈夫です」


「すぐに避難して下さい。あの化け物は我々では手に負えない、軍の出動を待たないと」


「は、はい」


 見上げた夜空で竜がまた旋回している。先ほどと同じ動き、また降りてくる気だ!

 不気味な黄色に光る竜の瞳がこちらを向いて、視線が合った――ような気がした。


「お嬢様、逃げましょう!!」


 ティトに手を引かれて私たちは走り出した。

 周囲の人々はパニックを起こしながら通りを走っている。

 途中で建物の間の細い路地が目に入った。狭い場所の方が大きな竜から逃げやすいかもしれない、そう思ってティトと一緒に横道に飛び込んだ。


 路地に入ってからも立ち止まらず、そのまま走り続けた。

 振り返ったら怖いことが起こる気がした。

 そしてその予感は正しかったと、私は後になって知ることになる。





***


『彼』の吐き出した火球は建物に命中して、たちまち炎となって燃え広がった。火の熱気が上がってきて、彼は愉快な気分になる。

 足元には亀裂の入った石の建物。その周りに2本足たちが集まってきて、小さな矢を放ってきた。それは彼にとってはおもちゃのようなもので、ちっとも痛くない。

 少しうるさかったから前足を払った。すると2本足たちは血まみれになって、あっさりと死んでしまった。あまりに簡単に死んだため、彼がびっくりしたほどだ。


 前足の爪が当たらなかった2本足は、悲鳴を上げながら逃げていった。


 彼は爪に引っかかった、小さな肉塊を見た。ちょうど腹が減っていたところだったので、口に放り込んでバリバリと咀嚼する。

 魔力は薄くて物足りなかったが、肉の味としては悪くない。なかなかに美味しい。


 ――これで魔力が詰まっていれば、言うことなしなのに。


 そう思いながら火が広がりつつある街を眺める。

 すると、火を囲もうとするように一直線に岩壁が立った。最初は一枚、次にもう一枚。

 その近くから格段に濃い魔力の匂いがする。清冽でとても美味しそうな匂いだ。思わず唾がわいた。


 このごちそうは見逃せない。すぐに行って、しっかり味わおう。

 彼は翼を羽ばたかせ、夜空に舞い上がる。

 空から見るとたくさんの2本足たちが右往左往していた。数が多くてごちそうを探すのに少し苦労したが、見つけた。


 ――あれだ。褐色の頭の2本足。


 彼は旋回し、ごちそう目掛けて急降下した。

 口を大きく開けて、魔力がたっぷり詰まった肉を噛み砕く幸せを思い描く。ああ、よだれがあふれる。

 ところが幸せは実現しなかった。

 褐色頭が口に入る寸前、他の2本足が走ってきてごちそうを地面に倒したのだ。おかげで彼の口は、むなしく空振りしてしまった。


 彼は腹が立った。せっかくごちそうが目の前にあったのに!

 いや、まだ諦めるのは早い。もう一度食べに行ってやる。

 そう思って再び旋回、空からごちそうを探したが見失ってしまった。


 2本足の数が多すぎるのだ!

 数え切れないほどの2本足が、そこらじゅうで走り回っている。いくら空腹の彼でも食べきれないほどの数である。

 彼はため息をついて――風圧で建物の屋根が飛んでいった――褐色頭を探すのを諦め、手近な二本足を食べることにした。


 大きく開けた口を地面に近づけて飛べば、2、3匹の二本足が口の中に入った。軽く顎を動かすと簡単に骨が砕けて、口内が甘い血の香りで満たされる。

 ついでに足の爪に数匹を引っ掛けて、空に戻る際に口に入れる。

 全体的に魔力は薄くて物足りないが、たまにまずまず濃い者もいる。それなりに満足できた。

 彼はそれからも何度か旋回して、30匹ばかりを腹に収める。久しぶりの満腹だった。

 地へと降下するたび周囲の建物が壊れて瓦礫が飛び散ったが、彼にとっては草むらの草をかき分ける程度の感覚でしかなかった。


 満腹感を感じると眠気が襲ってきた。どこかねぐらにいい場所を探さなければ。

 空高く舞い上がると、遠くの西側に黒い影が見える。暖かい空気の気配がした。

 そちらに向かえば、大きな島の中央に薄っすらと煙を吐く山があった。火山だ。


 火口に降り立つ。そこはほどよく暖かくて、一段低くなっているために外からも見えない。なかなか良い場所である。

 彼は大あくびをして地面に腹這いになった。火山の地熱が心地よい。


 こんなにお腹がいっぱいなのは、生まれて初めてかもしれない。

 一眠りして腹がこなれたら、また餌を食べに行こう。

 そう思いながら彼は眠りに落ちていった。


***


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る