第95話 竜とユピテル

 竜が去った後の街並みは、ひどい有様だった。

 大通りに沿うように崩れた建物と、大量の瓦礫が散らばっている。そして、竜に襲われたり瓦礫に埋もれたりして息絶えた人々……。

 とても正視に耐えない光景だった。


 一歩間違えば私も食われていた。生死を分けた偶然を思うと、理不尽さに胸が苦しくなる。

 死んでしまった人と生き残った私、一体何が違ったというのか。

 こんな状況の中でたった一つマシなのは、火の粉が広がらず火事が鎮火できたこと。それも他の被害が大きすぎて、素直に喜べなかった。


 竜は突然、本当に何の前触れもなく唐突に現れて、大神殿の丘に降り立った。神殿の屋根に陣取って火を吐き、街に炎を放った。

 それから神殿の警備兵たちをたくさん殺して、街にやって来たという話だった。


 竜が去った先は、西。

 同時にユピテル半島の西、テュフォン島で目撃情報もある。

 どうやら奴はテュフォン火山の火口に陣取っているようだった。


 以下は市民に公表された情報と、ティベリウスさんやドルシスさん経由で聞いた情報をまとめた話になる。







+++



 竜の襲来後、緊急で元老院が招集され、テュフォン島にて竜討伐のための軍団を編成する決定がなされた。

 総司令官は現在の執政官。軍団長を始めとする幕僚が選定され、テュフォン火山に向かった。


 結果は――惨敗。


 軍団が火山まで進軍した当初、竜は火口で眠っていた。

 首都へ竜が来た日から10日余りが経過していたが、その後は竜の目撃情報もなく、奴はずっと眠っていたらしい。

 けれど大勢の人間の気配を察知して、竜は起き上がった。

 火口から飛び立って火山の中腹に着地、その場所で戦いが始まった。


 まず、通常の弓矢や投げ槍、対人用の剣は全て通じなかった。竜のうろこは固く、武器の全てを通さなかったのだ。

 それは想定できたので、ユピテル軍は攻城兵器を用意していた。

 主力はバリスタやスコルピオといった据え置き型の大型弩弓クロスボウ。これらはねじりばねを利用し、非常に強い力で矢や石を射出する。特に最新型のスコルピオの威力は高く、射程距離は1キロメートルに達する。


 それからハルパックスという武器も用意された。ハルパックスはバリスタと基本構造は同じだが、鉤爪のついたロープを発射する。

 本来は海上戦用の武器で、敵船に鉤爪を引っ掛けて動きを止めたり引き寄せたりするためのものだ。竜の飛行能力を封じるために持ち込まれた。


 攻城兵器はある程度、竜にも通用した。

 各隊長の号令の元、一斉にスコルピオから矢が射出される。唸りを上げて飛ぶ大型矢は竜のうろこを突き破り、体のあちこちに突き刺さった。

 続いてハルパックスの鉤爪も放たれ、何本ものロープが竜の体に巻き付いた。……そこまでは良かった。


 傷の痛みに怒り狂った竜が暴れて、ロープはあっという間に引きちぎられてしまった。

 火球が見境なく吐き出され、軍団兵も兵器も炎の海に沈んだ。


 竜討伐のための軍団は壊滅。兵士だけでなく、執政官を始めとした多くの幕僚が戦死した。


 竜は逃げ惑う兵士たちを何十人も食い破り、やがて満腹になったのか、再び火口に戻っていった……。







***


『彼』は大変腹を立てていた。せっかく心地よいまどろみの中にいたのに、武装した2本足がたくさんやってきて攻撃してきたのだ。

 2本足の武器なんか平気だと侮っていたら、痛い目に遭ってしまった。体に何本も矢が突き刺さって、とても痛い。

 腹いせに食べた兵士も美味しくなかった。金属の鎧を着込んでいるせいで、食べにくくて仕方がない。


 ねぐらにしている火口に帰って、体内魔力を高める。体温が爆発的に上がり、刺さっていた矢が融解して落ちた。

 たくさん火を吐いて魔力を使ったせいもあり、また腹が空き始めている。

 もう2、3日寝て休んだら、また2本足の街で食事をしてこよう。そう考えて眠った。




 そうして数日経過した夜、傷はすっかり癒えていたが空腹がひどくなっている。

 火口から飛び立つと、この島にも街があることに気づいた。


 ――ちょうどいい、手近な所で食事を済ませよう。


 2本足の街は大きさの割にあまり住人がいなかった。どうやら彼を恐れて、街を捨てて逃げたり隠れたりしているようだ。

 それでも爪や尻尾で建物を壊すと隠れていた2本足が出てくるので、捕まえて食べた。


 いくつめかの建物を壊したら、ふわりといい香りがした。魔力の匂いとはまた違う、芳醇で魅惑的な香り。

 何だろう? と首をかしげながら壊れた建物を覗き込む。

 中には腰を抜かした2本足と、横倒しになった樽がいくつか。その樽から赤紫色の液体が漏れて、いい匂いを放っていた。ぶどう酒だった。


 彼は長い舌を伸ばして、こぼれた液体を舐めてみた。美味しい!

 夢中になって舐め取り、他の樽も壊してまた舐める。すぐになくなってしまった。

 がっかりした彼は近くに居た2本足を食べようとしたが、逃げてしまったようで見当たらない。


 彼は少しムッとしたが、それまでに腹八分目にはなっていたし、美味しい液体のおかげで気分が良かった。

 まあいいか、と思い直して、またねぐらに戻っていった。


***







+++


【三人称】


 ユピテル人は逆境に強い。

 あれだけの被害を出したのに、決してくじけずに次の手を考えている。


 ユピテルは今でこそ比類ない大国だが、建国初期は戦争に負けてばかりいた。その度に敗因を分析し、相手国の技術や戦術を盗み、自らの力を高めることで勝利してきた。

 その不屈の精神は、今でも彼らに宿っている。


 今も先の大敗で得られた情報を元に、再度作戦が議論された。

 そんな時、テュフォン島の街クロクサに竜が来襲したとの急報が入った。

 テュフォン島の各街では住民の避難が進んでいるが、全員が街を離れられるわけではない。そして、街に残っていた住民の一人から情報が寄せられた。


「竜は酒を好む」


 住民は酒場の主で、年老いた母親を連れて逃げるのが難しく街に残っていた。

 そこへ竜がやって来て死を覚悟したが、奴は酒場の主そっちのけでぶどう酒を夢中で舐めていたという。


 この話にヒントを得たティベリウスが、竜を酔い潰せないかと提案した。動けなくなるほど潰れれば、あるいは討伐も可能だろうと。

 とはいえどれだけ大量の酒を飲ませればいいのか、見当がつかない。ならば試してみようということになった。


 荷馬車に大量のぶどう酒の樽を乗せ、竜が飲みやすいように巨大な桶も作った。

 軍の兵士が火山のふもとまで馬車を引いて来て、桶にぶどう酒を注いだ。ついでに竜の空腹対策にと、豚も何匹か繋いでおいた。その場を離れて様子を見る。


 夜になると竜が火口から飛んできた。酒の匂いを嗅ぎつけたようだ。

 最初は警戒するように上空を旋回していたが、やがて降りてきて酒を飲み始めた。ガブガブと勢いよく飲んでいる。

 竜はあっという間に大量のぶどう酒を飲み干して、満足そうにげっぷをした。キーキー鳴いている豚に気づいてぺろりと平らげ、また飛び立って火口に消えた。


 飛び立つ時も飛んでいる時も特にふらついたりはせず、かろうじてほろ酔いの雰囲気が出ていた程度。竜を酔い潰すには並大抵の量では難しいようだ。


 酔い潰す作戦は不発に終わったが、酒と肉とを与えておけば時間稼ぎになることも分かった。

 竜の眠りの周期は長く、一度満腹になって眠り始めると10日程度は大人しくしている。

 稼いだ時間を使って、ユピテル人たちは知恵を総動員させる。


 知恵と力の供出要請は、魔法学院にも出された。


 そしてフェリクスの氷の魔女、ゼニスはいくつかの意見をティベリウスに伝える。




 一つは酔い潰し作戦の改良と再実行。

 もう一つは彼女の秘蔵の魔法による、竜の討伐だった。


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