第86話 ある日の元老院
【三人称】
ユピテル元老院は、首都にいくつかある丘のうち最も中心に近い場所にある。
その丘は呼び名を「フォロ・ユーノ」。ユピテルの中枢機能が集約されている場所だ。
中央部分には巨大な列柱回廊が配され、各種の建物がその周りに建ち並ぶ。バジリカと呼ばれる大きな会堂は、裁判所や官公庁の事務所が入っている。これが2基。
さらに全てのユピテル街道の基点とされる、黄金里程標。
主だった神々の神殿に、過去の偉大な指導者たちを称える凱旋門など。
これらの建物のさらに奥に、元老院議事堂があった。
ティベリウスは長い列柱回廊の中を歩いて、元老院議事堂へと向かった。
歩きながら、側付きの秘書官たちが今日の予定を細かく伝えてくる。
本日は彼にとって重要な日だ。
すなわち、白魔粘土の製造法と一部の流通網を国と軍に譲渡する枠組みを決定する日。
冷蔵運輸は、大貴族とはいえフェリクス家一つで扱うには巨大になりすぎたと、彼は考えている。
この技術は軍事物資の運搬に際しても大きな効力を発揮する。今は平時で目立った戦乱の兆しはないが、だからこそ今のうちに有利な条件で譲渡を済ませておくべきだった。
21世紀の日本人などからすれば意外だろうが、ユピテルでは「独占は悪」という考えが根強い。役立つ技術は無償で皆に分け与えてこそ、公益となるとユピテル人は考えている。著作権や特許と相反する考え方だろう。
この考えとユピテル独特の「ある思想」によって、ティベリウスはフェリクス家が出る杭とならないように気を配っていた。
ティベリウスが目を上げて周囲を見やると、朝日の逆光の中に、ソルティア戦役の凱旋門が視界に入った。
ソルティアは100年ほど前にユピテルが攻め滅ぼした国。かつては南部大陸の広い地域を支配した大国だった。
その戦争の際、一人の英雄が非常に大きな功績を上げた。ソルティアを征服した者という意味の称号、「ソルティクス」を持つ男だ。
彼なくして勝利はなかったとまで言われる存在は、しかし、晩年は不遇のうちに死んだ。
ソルティクスは戦役当時、まだ20代の若さでありながらユピテルの全軍指揮権を得て戦った。ユピテルの国力を一点集中させなければ、ソルティアとの戦争に勝ち目がなかったからである。
ソルティクスは戦争終結後、自身に付与された特権を全て元老院に返上した。けれども彼のあまりに大きな功績は、彼を救国の英雄に祭り上げた。
ユピテルは寡頭制、共和制を敷く国である。元老院議員としてプールされた多数の人材が、それぞれの背景勢力の利益を代弁し、バランスを取りながら国を治めてきた。
バランスを取る、すなわち突出した個が出ないように何重にも仕組みが決められている。
例えば、元老院議員の役職就任はおおむね年功序列。それぞれの役職の任期も一年から数年程度と短い。より多くの人材が十分な経験を積むことで、たとえ平凡な才能ばかりであっても相応の国政の質を担保するやり方だ。
大きな戦争などでやむを得ず個人に権力を集中させる際も、制約が定められている。
臨時の権力はあくまで非常のものであると法律に明記。戦乱終結の暁には、特権・権力を全て返上することなど。
ユピテルは独裁者を嫌う。もはやアレルギーと言ってもいい。
独裁者はバランスの破壊者。そう信じられている。
だから救国の英雄・ソルティクスは、元老院から疑惑の目を向けられた。
――彼は英雄の名声を利用して、独裁者になるつもりではないか?
強権を以て反対者を許さず、元老院を弱体化させるつもりではないか?
軍権を掌握して軍閥を作り、武力でもってこの国を手に入れるつもりではないか?
そんな疑念が芽を吹いて、すぐに巨木のように成長してしまった。
結果、英雄だったはずの男は弾劾を受け……各方面からの嘆願もあり、明確な罪にこそ問われなかったが、元老院議員の資格を剥奪されて隠居を余儀なくされた。
彼の死は世を嘆いての自死であったとも、国を恨んだ末の病死であったとも言われている。
輝かしい戦績と裏腹の、寂寥たる最期だった。
ティベリウスは視線を戻して、過去から現在へと思考を切り替えた。
フェリクス家門をソルティクスの二の舞いにはさせない。戦乱の英雄と物流の新技術、分野の違いはあれどユピテルでは出すぎる杭は過剰なまでに叩かれる。それこそ杭が根本から折れるまで、だ。
やがて列柱回廊は終わり、元老院議事堂が見えてきた。
正面の大きな青銅門は開け放たれており、ティベリウスは歩みを止めずに中に入る。ユピテル各地から選りすぐられた大理石で出来た床が、美しい光沢を放っていた。
彼に気づいた子飼いの議員たちが、口々に挨拶をしてくる。それに軽く片手を上げて応えた。
議場内部はすり鉢のような構造で、中央の演壇を取り囲むように議員たちの席が並んでいる。
今日、彼はあの演壇で演説を行う。
フェリクスの潔白と国への忠誠心を示し、冷蔵技術の肝となる部分を明かして譲渡する。今のところ、それ以外にフェリクス家門の生き延びる道はない。
だが――とティベリウスは思う。
だが、今回はそれを良しとしても。
いずれユピテルが、元老院主導の国政が機能不全に陥る日は遠くないのかもしれない、と。
今、既にユピテルは歪な国になりつつある。類を見ない広大な領土、あらゆるものが揃う豊かさの反面、元老院はあまりにも矮小だ。古来から増員は何度かなされたものの、この小さな元老院が大きな国の全てを決めるのは、もはや無理がある。
(まるで巨人の体に小人の頭部が乗っているようだ)
いずれ限界が訪れるだろう。そう、例えば、北のノルドや東のエルシャダイ王国、アルシャク朝まで領土が拡大するようなことになれば……。
「おお、ティベリウス・フェリクスよ。壮健かね。今日の議題は貴殿の事業についてだったな」
「恐縮です。何事も全てはユピテルのため、つつがなく終わるよう願っております」
他の年配の議員に話しかけれられ、ティベリウスは微笑を浮かべて応じた。
それからも何人もの議員と挨拶を交わし、腹の探り合いを続ける。根回しは済んでいるから、感触は悪くない。
やがて時間になり、彼は着席していた席から立って、演壇へと降りる。
将来の課題と目先の問題。どちらも疎かにはできない。全てはユピテルのため――その言葉に嘘はなかった。
国のため、家門のために。よりよい未来を掴み取るよう、貴族の責務を果たす。
内面を支える思いを新たにして、彼は一歩を踏み出した。
*************
これで第七章は終わりです。次の第八章はまた少し雰囲気を変えて、シリアスな場面が多くなります。一般人のモブに人死の被害が出たりなど。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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