第八章 テュフォン島の災厄
第87話 ゼニス、15歳
***
『彼』はいつも腹を空かせていた。彼は同種の仲間たちの中では小さく弱く、いつも餌を横取りされていたので。
――ああ、今日も空腹だ。
彼は思う。一度でいいから満腹になるまで食事をしてみたい。できれば上質な魔力がたっぷり詰まった肉を、好きなだけ食べてみたい。
そう考えながらぼんやりと遠くを眺めていると、ちらりと何かが見えた。
白い、いや、透明な輝きが、美味しそうな魔力の光が、噴き上げている。
どこから?
ふらふらと近くまで行ってみるが、どうにもはっきりしない。
よくよく目を凝らしてみれば、どうやら『下』から光を感じる。
迷いはほんの一瞬だけ。もとより住処に未練はなく、さらに言えば彼には疑問を深く吟味するだけの知性もなかった。
行こう。行って、お腹いっぱい食べよう。
彼はそれだけを考えながら、下へ下へと降りて行った――
***
初夏の爽やかな日差しが差し込んで、気持ちのいい風がカーテンを揺らしている。
私は机の上から視線を外して、うーんと伸びをした。
私ことゼニス・エル・フェリクスは、もうすぐ15歳になる。
北西山脈で魔力石の大鉱脈を発見してから、一年と半年ほどが経過した。
あれから発掘事業は順調に進んで、今では魔力石も豊富に出回っている。
私も何度も現地に行って確かめたけど、今のところは大きな環境破壊もない。
掘り出した掘削土がたくさん出ているが、色々と工夫して消化中だ。
例えば「小石を砕く魔法」で砂状にした上で、レンガにして、採掘現場の資材に使うとか。そのレンガを各地に輸出するとか。レンガではなく火山灰を混ぜてセメント化とか。
あとは河川工事用の土のうにして、馬車で運んでいくとか。
資材がたくさん余るから、いっそ北西山脈を越える新しいルートを開拓して、ユピテル式の街道を敷設してはどうかなどという話も出ている。
正直言えば、どれもそれぞれ問題がある。
例えばレンガ工場は火を使うから、薪をいっぱい必要とする。伐採が進んじゃう。
セメントや土のうは輸送コストがだいぶかかる、など。
薪については、間伐材を積極的に利用したり、植林を進めたりして対応中だ。
あとは日干しレンガも織り交ぜて、火の使用頻度を減らしたり。
輸送コストは、環境保護のための必要経費として割り切ってもらうしかない。ティベリウスさんはともかく、実務レベルの担当者にすんごい嫌な顔をされたけど、千年後2千年後にこのありがたみを思い知るといいわ!と思いながら進めているよ。
ユピテルは街道を始めとする土木工事が得意な国だから、採掘自体は問題なく進んでる。素人の私が口を挟むようなことは、一つもなかった。
街道はもちろん、ユピテルは上下水道も橋梁も高度な技術で作っている。特に精密な傾斜の計算が必要な水道橋は、見事なまでな完成度だ。
そりゃあ前世のような建築重機や3DCADとかのソフトウェアもないけど、人間の知恵はすごいと再確認した日々だった。
と、こんな感じで、魔力石の発掘事業はなんとかなっている。
私個人の話をすれば、以前開発していた脳に作用する魔法は結局うまくいかず、諦め気味だ。睡眠とか幻惑系のね。
代わりに殺さず無力化できる魔法はないか、引き続き試行錯誤中である。
それから、昔の魔法学院の卒業生が作った「小石を砕く魔法」がかなり役に立ったので、既存の魔法のまとめと再研究もしている。
シリウスの魔法文字辞典のおかげで、他の人たちも冊子形式の使い勝手の良さを認め始めた。
これ幸いとばかりに、個人単位でごちゃごちゃしていた資料を体系的にまとめ直して、冊子に書いている。
図書室の目録も作ったよ。この辺もだいぶ、整理できたと思う。
なんか説明ばかりになってしまったね。その他、ティトとかマルクスとかの周りの人たちの話はまた今度、しよう。
初夏の風に揺れるカーテンを手で避けて、窓から外を眺める。
活気のある街並みは、白い漆喰塗りの民家の壁が午後の陽光を反射して眩しいくらいだった。
北の方を見ても、首都からでは北西山脈は見えない。
旅立ったシリウスは、1年を目処に戻ってくると言っていたけれど、1年半経過した今でも不在のままだ。手紙も届かず、無事でいるかどうかすら分からない。
「考えても仕方ない、か」
私は呟いて、出かけることにした。今日はもう講義もないし、こんなに気持ちのいい日だから。
「ティト、散歩に行こう。ミリィもいたら誘いたいな」
「ミリィは今日はいませんよ。マルクスと一緒に公衆浴場の店に出ています」
「あら、そっか。じゃあ2人で行こうか」
ティトと研究室を出た。廊下は窓が少ないので、ちょっと薄暗い。
その薄暗い向こう側に、誰かが立っていた。
背の高い男性で、もじゃもじゃの金髪とヒゲ。身なりは簡素で薄汚れている。
髪色からしてノルド人だろうが、こんな研究室のある場所まで入り込んでくるとは。
「どちらさまですか? 外部の方のご用は、入り口の受付で受けていますよ」
そう声をかけるが、返答がない。しかもよく見ると私たちを睨んでいる。なんだよ。
押し売りや泥棒のたぐいか? 私はこっそり、口の中で攻撃呪文を唱え始めた。火は火事の心配があるから、氷にしておこう。
男が一歩踏み出したと思うと、ずんずんと大股で歩み寄ってきた。ティトが私をかばうように前に出る。
「なぜだ……」
そいつがやっと口をきいた。かすれたような低い声だった。
「なんで、そんな言い方をするんだ」
「止まりなさい。それ以上近づかないで」
ティトが警告するが、相手は聞く耳を持たない。
「なんでだよ!」
同時だった。
相手が私に掴みかかるのと、私が氷のつぶての魔法を発動させるのは。
「僕だ、シリウがふっ」
氷の塊をもろに腹に受けて、金髪もじゃ野郎はひっくり返った。
このひっくり返り方には見覚えがある。
……確かに、運動神経ゼロのシリウスだった。
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