第85話 ティトとマルクス2

 結論から言うと、浮気は勘違いだった。

 ピナはマルクスの昔からの知り合い。アパートの最上階に住んでた頃のご近所だったが、結婚を機にもっとマシな場所に引っ越したそうな。

 そして彼女は花屋の店員である。

 マルクスはティトに花を贈ろうとして新規オープンの花屋に来たら、彼女と再会した。


 そう言われてみれば、先ほどのやり取りも客と店員のものといえる。


「ピナさんを見て『よく似合う』なんて言ってたじゃない!」


 と、ミリィが噛みついたけれど、マルクスは全力で否定した。


「ティトに似合うって意味だよ! ほら、ティトとピナは髪色が似てるだろ」


「じゃあピナさんが言ってた『嬉しい』は……」


「店員としてお花が売れてよかったなーって」


 まぎらわしい!


「誤解だというのは分かったよ。でも、ティトが誤解したまま走って行っちゃったの」


 私が言うと、マルクスは顔色を変えた。


「ティトもいたのか! それを先に言ってくれよ! くそ、俺、運が悪すぎだろ!」


 まあ確かに同情するシチュエーションではある……。

 私たちがたまたまここにいなければ、彼はかわいい花輪を買ってティトにプレゼントしたんだろう。

 マルクスは頭を抱え、次にはっとしたように顔を上げた。ピナから花輪を受け取って、急いで代金を渡している。


「ゼニスお嬢様、俺、ティトを追いかける! 午後の仕事に間に合わせるようにするけど、どうしても間に合わなかったら、休むって伝えてくれ!」


 そう言い残してすごい勢いで駆けて行った。


「ちょっとマルクスさん! ゼニスは貴族で上司で雇い主でしょ! 使い走りに使ってどうするのよ」


 ミリィが抗議するが、彼はもう人混みの向こうだ。聞こえていないだろう。


「あら、お嬢さんは貴族様でしたか。でしたら、この流行のお花をいかがですか? 花束や花輪も人気ですよ」


 うん、ピナは商魂たくましいね。

 もともと花屋を見に来たのだ。ティトは心配だけど、マルクスは心当たりがあるようだし任せておこう。

 私はまだぷんすかしているミリィをなだめながら、小さい花輪を作ってもらって買った。かわいくできたよ。




+++


【三人称】




 フェリクスの屋敷の屋根裏部屋。普段は物置に使われているその場所に、ティトは膝を抱えて座っていた。

 先ほどの花屋での光景が目の前にちらつく。彼女の想い人、マルクスが知らない女に向けている笑顔が。

 彼と付き合い始めてまだ数ヶ月だが、知り合ったのはもっと昔。だから気心は知れている。

 ふたりとも成人したことだし、近いうちに結婚しようかなどという話も出ていたくらいだった、のに。


「やーっぱり、ここにいたな」


 床の戸板ががたんと鳴って、ハシゴに登ったマルクスが顔を出した。

 

 この屋根裏部屋は、ティトの隠れ家だった。

 11歳で首都に出てきた彼女は、年下のゼニスの子守・世話係という名目上、主人の前で弱音は吐けなかった。

 ホームシックにかかったり、他の使用人に叱られたりして気持ちが落ち込んだ時は、ここでよく一人で泣いていたのだ。

 そのことを知っているのは、彼女自身の他にはマルクスしかいない。


 そのマルクスに向かって、ティトは無言で近くにあった物を投げつけた。古びて錆びたろうそく台だった。


「うお、あぶね! お前、いきなりそういうのやめろよ」


「いきなりじゃない。あんたが浮気なんてするから」


「それ、誤解だから。ゼニスお嬢様とミリィには話した」


「……誤解?」


 彼女はのろのろと顔を上げる。その頬に涙の跡を見つけて、マルクスは深く息を吐いた。


「そう、誤解。ピナとは――花屋の彼女とは、なんでもねえの」


 また物を投げつけられてはかなわない。彼は床板から顔を出した格好で、手早く説明した。


「……誤解……だった、の……」


「おうよ。で、そっち行っていいか? そろそろこの体勢、きつい」


 返事がなかったが、マルクスは構わず屋根裏に上った。ティトの横に座る。

 そして、うつむいたままの彼女の髪に花輪を掛けてやった。薄暗い室内に明るい光が差し込んだように、花々が煌めいている。


「ほら、これ。お前に似合うと思って、さんざん迷いながら選んだんだぜ。――うん、やっぱ俺のセンスは間違いないわ。すげえ良く似合ってる」


「……馬鹿じゃないの」


「いやー? 馬鹿はティトだろ、遠目に見ただけで勘違いしてさぁ。問い詰めるなりしろよ。お前、俺のことどんだけ信じてないの」


 平手が飛んでくるかと思ってマルクスは身構えたが、何もなかった。


「あたしは……」


「うん?」


「あたしは、いつまで経っても田舎っぽさが抜けないし。頭に血がのぼると、すぐ手が出ちゃうし。今日だって誤解して、話も聞かずに逃げちゃった……」


「いいんじゃね? 誤解はともかく、それ以外は全部好きだもん」


「……は? あんた頭おかしいの?」


「心外なんだが」


「田舎じみてるのはまだしも、すぐ罵ったり殴ったりするのは反省してるのよ」


「ティトらしくていいだろ」


「…………」


「なんだよ」


「……あんた、罵られるのが好きな変態だったの……?」


「激しく心外なんだが」


 2人ともしばらく黙った後、どちらともなく吹き出して笑い始めた。ひとしきりげらげらと笑いあった後、目尻の涙を払いながらティトが言う。


「あーあ、馬鹿みたい! 笑ったらなんだか、全部どうでも良くなったわ!」


「俺も、俺も。だからさ、これから先もなんかあっても、こうやって笑って過ごして行こうぜ」


「うん。今日のこと、ごめんね。それと……ありがと」


「おうよ。さて、それじゃ午後からの仕事に行かなきゃだけど」


 言いながらも、マルクスは腰を上げない。


「俺のティトが俺の選んだ花輪をつけてて、可愛すぎるから、もうちょっとサボってく」


「不真面目は嫌いなんだけど?」


「今日くらいいいじゃん。もう何年も皆勤してるからな。平手一発で許してくれるなら、喜んで頬を差し出すぞ」


「やっぱり変態じゃないの」


 今度はくすくすと笑う。花輪がさらりと揺れて、花びらが髪に落ちかかる。


 結局マルクスは、その日の仕事をすっかりサボってしまった。





+++


【ゼニス視点リターン】




 ……と、いうような事の顛末をティトから聞きまして。

 春になったら正式に結婚するんだって! めでたいね!

 結婚式のデザートに、私が腕をふるって特製アイスクリーム作るよって言ったら、全力で拒否された。解せぬ。


「結婚しても何も変わりません。ゼニスお嬢様とアレク坊ちゃまのお世話は続けます」


 と言ってくれたけど、そのうち子供が出来たりしたらどうなるだろうね。

 まあ、その時に考えればいいか。


 今年はミリィが虎視眈々と狙ってる、ガイウスの一時帰郷もあるし。めでたいラッシュですな。

 今後が楽しみだね!


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