第77話 地下の川べり

 どこからか、ごうごうと音が聞こえる。まるで地鳴りのようだ。

 頬が冷たい。体のあちこちが痛い。

 何がどうなったんだっけ――


 ぴちょん、と、顔に水滴が当たって、意識が少し鮮明になった。 


(そうだ。狼に襲われて、馬車から放り出されて。地面の穴か何かに、落ちたんだった)


 ゆっくり目を開けると、目の前に岩の地面がある。地面に片方の頬をつけて倒れていたようだ。


「……! ラス、アレク!」


 大事な弟2人を思い出し、身を起こす。手足も背中も痛かったが、激痛というほどではない。ちゃんと動けた。


 2人は私のすぐそばに倒れていた。

 近寄って確かめてみると、2人とも息をしている。外からざっと見た限りでは、骨折などのひどい怪我もしていないようだ。


「ゼニス、姉さま?」


 怪我がないか触って確かめていたら、ラスが目を覚ました。


「ラス、よかった、目を覚ましてくれて。どこか痛いところはない?」


「大丈夫です……」


 彼はゆっくり起き上がって、顔をしかめている。


「無理に我慢しないで言ってね。魔法で治してあげるから」


「……足首が痛いみたいです」


 ブーツを脱がせてみると、かなり腫れていた。少しだけ歩いてもらったら何とか歩けたので、骨折ではなく捻挫だと思う。

 私は患部にそっと手を触れて、呪文を唱える。


『命に宿る大いなる力よ、我が手に触れるこの者の、損なわれし肉の再生を促し、新たなる芽吹きをもって、健やかなる肉体を取り戻せ』


 淡い光の粒子が生まれ、腫れた足に吸い込まれた。

 ゲームの回復魔法みたいに一瞬で全快するものではないが、相当マシになるはずだ。


「どうかな?」


「痛みがずいぶん良くなりました。ありがとうございます」


 ラスは弱々しく、でも頑張って笑顔を作ってくれた。

 足に巻かれていた包帯を一度外して、足首を固定するように巻き直した。

 そうしているうちに、アレクも意識を取り戻した。彼はこれといって目立った怪我はないようだった。良かった。







 改めて現状を確認する。

 私たちが倒れていたのは、洞窟のような岩場。ずっと上の方に薄い光が見える。あれが、落ちてきた穴だと思う。

 あそこまで登れないか試してみたが、とても届きそうになかった。


 岩場の片側は下り坂になっている。

 真っ暗だったのでリュックから魔法のライトを――『光』の白魔粘土を仕込んだ発明品――取り出して照らしてみると、どうやら川が流れている。最初に聞こえたごうごうという音は、川の水音だったみたい。

 魔法ライトはガラス玉にヒビが入っていたが、問題なく使える。割れていなくて良かった。


 他に進む道はない。

 たとえこのままここで待っていても、救助が来る可能性は低いと思う。馬車が暴走してかなりの距離を走って、馬が倒れた後は山の斜面を転がった上に穴に落ちた。こんな場所を見つけてもらえるかどうか、不明である。

 だから川のところまで降りて、上流か下流に向かって歩くしかなさそうだ。


「川の上流と下流。どっちを目指したらいいと思う?」


 アレクとラスに聞いてみた。


「落っこちてきたんだから、上に戻ったらどうだ?」


 と、アレク。

 ラスは考えながら違う意見を言った。


「下流の方がいいと思います。川を下っていけば、外に繋がっているかもしれない」


 うーん……。どちらの言い分も一理ある。

 ただ、下流の方が分があるように思えた。山の中の川だから、登っていっても地上に出られるかどうか分からない。それならば下って行って、川が外に出ていく場所を探す方が可能性としてはマシか?


「下流に行ってみようか。川幅が広くなれば、外に繋がっている可能性も高くなりそう」


 2人はうなずいた。


 次に各自の持ち物をチェックする。

 みんなリュックをしっかり身につけていたおかげで、荷物は無事に手元にあった。

 共通の荷物として、事前に渡されていた1日分の食料と、銅のカップ。

 私は採集セット、それに『実行』の白魔粘土がいくつか。それからひざ掛けの小さい毛布。

 アレクは野外用の小刀とロープ。

 ラスはロウソクと火打ち石、包帯など。


 なんとも心もとないが、最低限は揃っているともいえる。


「まず、軽くお腹に入れておこう。どのくらい時間が経ったか分からないけど、夕食の時間はとっくに過ぎてるもの」


「うん」


 狼に出くわしたのは夕方だった。今は何時だろう。

 上を見上げると、空にあいた穴のように鈍い光が見える。あれは昼間というより、月明かりの明るさかもしれない。


 堅パンを一口だけかじり、干し肉と干しぶどうを一かけら食べた。大事な食料だから、計画的に食べないと。

 それから魔法のお湯でお腹を温めると、少し力が戻ってくる。


「さあ、行こう。きっと何とかなるよ。何があっても、私があなたたちを無事に帰してあげるから」







 魔法のライトで足元を照らしながら、慎重に川辺に降りた。

 ライトの高い光量と明かりの尽きる心配が無い点が、今はありがたい。


 川は案外激しい流れだったが、両側の川辺は一人ずつ歩くには十分なスペースがあった。

 頭の中で歩数を数えながら歩く。時間と距離を覚えておくためだ。今生の頭は出来がいいので、たくさん数を数えても忘れない。

 普通に歩くよりもゆっくりだから、5千歩ごとに小休憩を入れることにした。

 ラスの腫れた足も心配だった。

 ラスの足を途中で何度か確かめたが、だんだん良くなっていた。魔法がちゃんと効いたみたい。







 そうして何度目かの休憩の後、疲れと眠気が出てきたので眠ることにした。

 こんな場所に外敵が来るとも思えないが、みんなで爆睡して川に落ちたら困る。アレクとラスを先に数時間眠らせ、交代で私も寝ると決めた。


 3人で身を寄せ合って、ひざ掛け毛布を地面に敷いた。『温』の白魔粘土で暖を取る。岩も川の水しぶきも冷たくて、体が冷えてしまっていた。

 アレクとラスはすぐにうつらうつらとし始めた。疲れたよね。


「ゼニス姉さま、ごめんなさい……」


 眠気を浮かべた目でラスが言う。


「僕がわがままを言って、無理に付いてきたから、こんなことに」


「それは違うでしょ。そりゃあ勝手に来ちゃったのは駄目だけど、狼に襲われたのも、穴に落ちたのも、ラスと関係ないもの」


「…………」


「それにどうせ、アレクが言い出したんでしょう。ラスは巻き込まれただけで」


「違うんです」


 彼は首を振った。アレクもまだ起きていたから、何か言いかけてラスが止めている。


「僕が、ゼニス姉さまと離れたくなくて。アレクに頼んで、協力してもらったんです。だから悪いのは僕……」


「でも、俺も乗り気だったよ」


 苦しそうにしている2人の頭を、両手でぽんぽんと叩いてやった。


「問題をごっちゃにしないでね。勝手についてきたのは、ドルシスさんに叱られたからもういいの。今はみんなで協力して、ここから出て家に帰るのをがんばろう」


「ん……」


「……はい」


「じゃあ、もう寝てしまってね。体を休めたら、また歩くから」


 うなずいた2人を抱き寄せてやる。しばらくすると、すうすうと寝息が聞こえてきた。







 正直に言えば、私だって不安と恐怖でパニックを起こしそうだった。

 今も足元から、何か怖いものがぞわぞわと這い上がってくるような気がする。

 そして、それに心が負けそうになる。もう嫌だと何もかも放り投げて、うずくまって泣きわめきたい衝動に駆られる。


 でも、この子たちだけは何としてでも守ってやらないと。

 そう思えば力が湧いた。


 魔法のライトの光が、暗い洞窟を照らしている。

 その明るい光を――でも、暗闇を払うには心細い光――掲げて、外への道を探さなければ。


 そして必ず、みんなで無事に家に帰ろう。

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