第76話 急転
それからも石ころだらけの中を川沿いに上流へ向かった。
小休憩とお昼休憩を挟んで、太陽がだいぶ西に傾いてきた辺りで、今日の行程は終了になる。
明日の午後には、魔力石の採集地に到着するのだそうだ。
採集隊の人たちは食べられる野草などを採りに森の中へ入っていった。
「狼や熊なんかは出ないんですか? 危なくないですか?」
「この辺りは大丈夫ですよ。狼はもっと山を登った場所、熊は森の奥の方に住んでいますから」
そんな会話をしながら、私はドルシスさんと採集隊の女性に付き添ってもらって、森の素材を見て回る。
兵士たちと子供2人は河原で火起こしの準備だ。魔法でぱぱっと着火してもよかったけど、アレクとラスの訓練も兼ねてやらせることにした。
秋の森は木の実や草の実が色づいている。ドングリや松ぼっくりが地面にいくつも落ちていた。他の木に巻き付いたツルに、山ぶどうが実をつけているのも見えた。
いかにも毒です! という感じの真っ赤なキノコも見かけた。
目についたものに白魔粘土を押し当ててみるが、これといった反応はない。
あまり川から離れると危ないので、適度なところで戻った。
採集隊の人たちはもう戻っていて、それぞれ獲物を手にしていた。
「山鳩が穫れたぞ」
リーダーが羽をむしりながら、得意げに言う。
火起こしは完了していて、鍋の水が湯気を立て始めていた。
その横ではラスとアレクが、兵士に教えてもらいながらおっかなびっくり包丁を使っている。採ってきた野草を刻んでいるようだ。
「今年は森の恵みがちょいと不作のようだな」
「ああ。腹をすかせたイノシシが、街の畑を荒らさなきゃいいが」
そんなことを話しているのを聞きながら、私は河原の石にも白魔粘土を当ててみる。
瑪瑙みたいな縞の入ったオレンジ色の石が、うっすらと魔力の反応を示した。この程度では、素材として使えるかどうかは微妙だな……。一応、拾って袋に入れておいた。
夕食は山菜と山鳩、干し肉のごった煮鍋だった。温かい汁物と、干し肉の塩味が疲れた体に効く。
食後は採集隊の人たちが手早く天幕を張る。アレクとラスも手伝っていた。
私も何かやるべきではと思ったが、ドルシスさんとリーダーの人いわく「貴族令嬢らしくゆったり構えているように」。
なんていうか、今までの人生で令嬢らしかったことってあんまりないんだけど……。
日が暮れると、周囲は一段と冷えた。
明日の予定を簡単に確認して、早めに就寝となる。
明日も一日移動して、採集地に着いたところで野営だそうだ。ただ、その採集地も魔力石がだいぶ減ってしまったので、そろそろ次を探さないといけないとのこと。
天幕の内部を簡単に区切って、男性陣と女性陣に別れて眠った。
寝袋などはなく、各自毛布にくるまるスタイルだ。
夜の見張りは採集隊メンバーと兵士が交代でやってくれた。
川の水がざあざあと流れる音、森の葉擦れの音、それに虫や獣、ふくろうの声。夜の森は案外騒がしい。
その自然の音を聞きながら、私は深い眠りに落ちていった。
翌朝、冷え込んだ空気の中で目が覚める。
寝ぼけまなこで起き上がると、他の人たちも順次起き始めていた。
天幕の外に出たら、吐く息が白い。首都とはずいぶん気候が違うね。
空を見ると秋晴れの快晴だ。晴れているおかげで、放射冷却で冷えたのかな。
朝日に照らされた川の水が、ちらちらと光を反射していた。
「ゼニス様、魔法でお湯を出すことはできますか?」
「できますよ。どのくらい必要ですか」
「この鍋に沸騰直前の熱いのをお願いします」
採集隊の人が鍋を差し出したので、呪文を唱える。
『優しき水の精霊よ、炎の精霊とともに踊り、その交わりの果実を我が手に注ぎ給え』
手のひらからお湯が注がれた。暖かな湯気がふわっと立ち、頬を撫でる。
お湯の温度は『炎の精霊』のくだりで指定する。もっとぬるいお湯なら『小さき炎の精霊』という具合だ。攻撃に使うくらい高温なら『業火の精霊』。
「助かります。朝、火を起こすのも一苦労で」
彼は鍋にお茶っ葉を入れて、温かいお茶にしてくれた。
朝食自体は堅パンとチーズだけの簡単なものだが、お茶があるおかげで温まる。
その後はすぐに片付けをして、出発となった。
昨日と同じ編成で進んでいくこと、数時間。お昼手前くらいで、河原に人影を見つけた。4人ほどの男性だった。
「よう! 調子はどうだい」
採集隊のリーダーが気さくな声をかける。どうやら知り合いらしい。
「いまいちだなぁ。ここらはもう、諦めるべきかもしれん」
相手も笑顔で気軽に答えた。
「俺らはもう半日分、上流に行くよ。何か新しい情報があったら、交換しようぜ」
「ああ、了解だ」
10分程度話して、私たちはまた進み始めた。
「彼らもフェリクスの依頼を受けた採集隊ですよ」
と、女性メンバーが教えてくれた。なるほど、複数チームで回していたんだね。
それからも順調に行程を消化し、太陽はだんだん西に傾いて、夕方になった。
赤みを帯びた空を、カァオ、カァオと高い声で鳴きながら渡り鳥が飛んでゆく。
地面に視線を落とせば、私たちの影が長く長く伸びて、夕日に照らされた河原に不思議な影絵を投げかける。
すぐ横手の森はもう夕闇に沈み始めていて、黒ぐろとしたシルエットを描いていた。
――と。
先頭のリーダーが足を止めた。
今日の野営地に着いたのだろうか?
そう声がけをしようとして、ドルシスさんに手で制された。
どうしたんですか、と言おうとして、見上げた彼の顔に走る緊張に気づいた。
「狼がいる。まずいな、囲まれた」
リーダーが唸るような低い声で言った。その言葉を受けて、ドルシスさんが素早く指示を出す。
「ゼニスとガキ共は馬車に乗れ! 御者は馬の引き具を外せ! 他は密集陣形、馬車を守るぞ!!」
「え、え、狼?」
狼はここらには出ないのではなかったのか。急な事態に私がおろおろしていると、アレクに腕を引っ張られた。
「姉ちゃん、早く!」
「う、うん」
ラスと一緒に3人で馬車に飛び乗った。ドルシスさんたちが武器を抜くのが見える。白刃が夕日にギラリと光る。
御者が台から降りて、馬と馬車を繋ぐ引き具を外そうとしている。
「どうしてこんな所に狼が! 普段はもっと山の上にいるのに!」
そんなことを呟いている。緊張と焦りのためか、彼の手元は落ち着かない。何度もがちゃがちゃと金具を鳴らして、上手く外せないでいる。
そして、狼の方が一歩早かった。
大きな影がいくつも、夕暮れの森から飛び出してくる。そのうちの一つが矢のような素早さで、御者に飛びかかった。
「うわあぁっ」
頭をかばった彼の腕に噛みついて、引き倒す。狼の白が混じった灰色の毛並みが、夕焼けを反射して赤く染まった。
同時、驚いた馬が悲鳴のようにいななき、後足立ちになった。馬車が大きく引かれ、私たちはバランスを崩して転びそうになる。
「くそ! ゼニス!」
揺れる視界にドルシスさんが走ってくるのが見える、でも、馬は恐慌状態のままでたらめに走り出した。
激しい回転音を立てて車輪が回る、河原の石を跳ね上げる度に馬車が上下に大きく飛び上がる。
私たちは馬車の縁に捕まって振り落とされないようにするのが精一杯だ。
高速で流れていく景色が、いつの間にか様子を変えた。河原を抜けて山肌を登り始めたらしい。
必死で後ろを振り返ったら、低い位置に川が見える。遠く小さくなってしまった仲間の人たちが、懸命に狼の群れと戦っている。
なんとかしなきゃ。このまま馬車に乗っていたら危ない。
そうだ、風の魔法を地面に放ちながら飛び降りれば、衝撃が殺せるのでは。
何とか手を伸ばしてアレクの腕を掴んだ。
「魔法で、飛び降りる、から、ラスの手、を」
激しく揺れる馬車の上では、喋るのもままならない。それでもアレクに意味が通じたようで、彼もラスの腕を握った。
『荒れ狂う風の精霊よ、その吹きすさぶ力を、我が手から――』
魔法語の発音は失敗できない。私は苦労しながら呪文を唱え……
ガクン、と衝撃が走った。
片側の車輪が大きな岩に弾かれて、馬車が大きく傾いた。そのまま横倒しになって、私たちは空中に放り出される。馬が悲痛な叫び声を上げている。
『――放ち給え!!』
呪文の最後の
けれど完全に勢いを殺しきれず、私たちは地面に叩きつけられた。一瞬、息が止まる。
3人でもみくちゃになって、土の上をごろごろと転がっていく。何度もアレクの手を離してしまいそうになって、その度に死にものぐるいで握り直した。
やがて転がる勢いが弱まり、やっと止まりそうになった時。
「……え」
体の下の地面が、急に崩れて消え去った。
私たちは為す術もなく、崩落した地面に飲み込まれていった――
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