第72話 旅の準備

 翌日、私は魔法学院に行って、シリウスに北西山脈で素材を集めてくる件を伝えた。

 すると彼は難しい顔をして、口を開いた。


「僕もブリタニカ行きを決意した」


「えぇ、大丈夫? ちゃんと旅、できる?」


 いらぬお世話かもしれないが、心配になる。シリウスは運動神経ゼロの上にかなりのコミュ障だ。旅先で現地の人と喧嘩をして、身ぐるみ剥がされたりしないだろうか。


「1人で行くわけじゃない。昨日、伯父さんに相談したら、知り合いのノルド人を案内につけてもらうことになった」


 それならまだ安心だ。とはいえ、その案内人に失礼な態度を取りまくって見捨てられたら大変。早急にシリウスの取扱説明書を作って、その人に渡そう。


「冬が来る前に出発しようと考えていた。この際だから、ゼニスと一緒に発つ。そうしたら北西山脈の麓までは同行できるから」


「私の出発、5日後だけど大丈夫?」


「大丈夫だ。旅に必要な荷造りは、案内人がやってくれる。僕は身の回りのものと研究用の物資を用意すればいい。伯父も手伝ってくれる」


 シリウスは今、19歳。もう成人して立派な大人だ。最初の頃よりはコミュ障もマシになったと思う。

 本人が決心したのだから、私があまり口を出すものではない。


「うん、分かった。じゃあ5日後に一緒に出発しよう。出発までは私、学院に来るから。何かあったら知らせて」


「ああ」


 力強くうなずいたシリウスが、ちょっぴり眩しく見えた。

 ……でもやっぱり、取説は作っておこうと思う。







 北西山脈行きは、往復の行程も含めて1ヶ月程度を予定している。

 その間は魔法学院の講義もお休みだ。最後の講義で学生たちにその旨を伝え、事務室に行ってお休みの手続きを取った。

 とはいえ魔法に関する素材採取だから、仕事の一環でもある。オクタヴィー師匠から話が通っていたようで、すぐに手続きは終わった。


 旅には何が必要だろう?

 今の季節は、夏が終わって秋に入ったところ。首都はまだまだ残暑だが、北の方に行けば涼しいと聞いている。

 北西山脈の標高が高い山は万年雪が積もっている。そこまで登山をするつもりはないが、朝晩は冷えるかもしれない。


「よし、これを持っていこう」


 取り出したのは、『温』が刻まれた白魔粘土。これにちょいと魔力を流せば、人肌より少し高い温度でぽかぽかする優れものである。

 それに『光』の魔法ライトも荷物に入れる。

『実行』の記述呪文はごく僅かな魔力で発動できて、効果時間も長い。効果そのものも非常に安定している。単純な効果しか出せないけど、使いようによっては便利なのだ。


 あとは採集用の小刀とか手袋、丈夫な袋。ガラス瓶、それから模写用の紙束とペンも。

 何も刻んでいない白魔粘土をいくらか。魔力に敏感に反応してくれるので、素材の確認に必須だ。

 食料や野営に必要な道具は、ドルシスさんと採集隊で用意してくれると言っていた。


「こんなものかな?」


 思いつく一通りをリュックに詰めて、私は独りごちた。

 服装とか他に必要なものは、採集隊の人たちが首都に着いたら聞いてみよう。予定では2日後に到着予定だ。


 あとはシリウスの取説を書いて、研究室をきれいに片付けて。

 うん、特に問題ないね。

 じゃあとりあえず取説を書いてしまおう。片付けは明日やればいいや。

 そう考えて、気難し屋の特徴と対処法のコツをまとめるべく、紙とペンを取り出した。







 取扱説明書の下書きをざっくりと作っていたら、夕方になっていた。そろそろ帰宅の時間だ。

 夏に比べてもう陽が短い。暮れなずむ首都の街路を、ティトと一緒に歩いて帰った。


「姉ちゃん、北西山脈に行くんだって!?」


 帰るなり、茶色の目を輝かせてアレクが駆け寄ってくる。彼の後ろにはラスもいた。


 10歳になった彼らは、今年から貴族学校へ通学を始めた。

 アレクは勉強嫌いだが、とりあえず問題ない程度に基礎教養を終えている。おじいちゃん先生の苦労の結果である。

 2人とも学校は楽しいみたいで、毎朝一緒に元気よく登校していた。


「俺とラスも連れて行ってよ。別に危なくないんだろ?」


「だーめ。遊びに行くわけじゃないの。魔法の素材の採集だから、お仕事。子供はお呼びじゃないからね」


「姉ちゃんだって未成年じゃん。それに今の俺らの年には、アイス作ったりして働いてただろ」


 それを言われると返答に詰まる。実は中身が40代で、お父さんやお母さんよりずっと年上なんです~なんて言えないし。


「アレク、ゼニス姉さまが困っていますよ。僕たちは留守番していましょう」


 アレクの肩の後ろからひょっこり顔を出すようにして、ラスが言う。くるくる巻き毛が揺れている。


「ちぇー。俺らもう大きいのに、不公平だぜ。じゃあせめてお土産よろしく。俺、狼の牙がいい。北西山脈は狼がいっぱいいるって、学校で聞いた」


「向こうの街で売ってたら買ってくるね。ラスは何がいい?」


「僕はいいです」


「遠慮しなくていいから」


「……なら、毛皮のついた手袋が欲しいです。いいでしょうか?」


「もちろん!」


 ラスは今でも遠慮がちなところがある。弟同然に思ってるから、もっとアレクみたいに甘えてくれていいのにな。

 北西山脈は裾野が森になっていて、野生動物がたくさん住んでいる。アレクの言う狼の他、鹿やイノシシ、熊、狐などの皮革・毛皮製品が名産品だ。


「俺も手袋欲しい! そうだ、毛皮の帽子も欲しい!」


「そんなにたくさんは駄目!」


 前言撤回。アレクは図々しいわ。2人を足して2で割ればちょうどいいんじゃないだろうか。


「姉ちゃんのケチ! まあいいや、狼の牙をもらったら、リスの骨の隣に並べるんだ」


 いつぞやのブドウリスの頭蓋骨は、今でも彼の部屋に飾られている。なんで骨とか牙とか好きなんだろうね、この子は。


「じゃあ私、お風呂入ってくるから。また後でね」


「はーい!」


「はい」


 話のキリがついたので、私はお風呂で汗を流してくることにした。




+++




 ティトと話しながら去っていくゼニスは、気づかなかった。

 彼女の背後でアレクとラスがそっと目配せし合って、にんまりと笑みを浮かべたことに。


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