第68話 ゼニス、13歳
ティベリウスさんの結婚式から3年が経ち、私は13歳になった。
この3年間も、いろんなことがあったよ。
一つ一つ数えるとキリがない。大きなものだけざっくり紹介しよう。
まず、フェリクスの冷蔵運輸は大きな成功を収めている。
結婚式の大々的なプレゼンテーションが功を奏して、主だった貴族や騎士階級の大商人たちが注目していたので、結果が出るのが早かった。
今では毎日、首都の倉庫地区に、白魔粘土の樽を乗せた荷馬車がひっきりなしに出入りしている。
南の大陸から東のアルシャク朝の輸入品まで、まるで前世みたいな豊富な生鮮品が行き来しているよ。
次に、マルクスの冷たいドリンクとかき氷の商売も繁盛している。
マルクスは17歳の成人と同時に、正式にこの部門の責任者になった。
毎日忙しく働きながら、新しい商品開発もしている。
例の私のアイスクリームアートにインスピレーションを受けたらしく、色とりどりのシロップを使ったかき氷やアイスキャンディを販売したりして、庶民たちを喜ばせている。
今年は遠方の珍しい果物をあしらったデザートが人気だね。冷蔵運輸とコラボレーションしてる。
エールも平民向けのラインナップに加わり、ワインと人気を二分する状態だ。
夏はエールが優勢、冬は常温や温めてもおいしいワインが売れ筋ってとこ。
ミリィの両親は製造責任者になって、新しく作った製造所で働いている。
首都にあったお店は引き払って、ご両親は山間の製造所に住み込んでいるよ。
特にミリィのお母さんはエールづくりの名人で、色んなハーブにも詳しい。得難い人材だとティベリウスさんも褒めていた。
お父さんも誠実な人で、お母さんと一緒に仕事をこなしている。
ミリィは魔法学院を卒業した後、フェリクスの氷事業部に就職した。彼女はガイウスと結婚して、17歳の成人後に国軍に入ると決めているけど、それまでの期間限定で頑張っている。
お店や屋台も増えて、首都を散歩していると車輪に氷のマークをちょいちょい見かけるようになった。
このマークは少しデザインを変えたものが、運輸の方でも使われている。輸送用の樽やら麻袋やら、馬車にもこれが取り付けられているので、すっかりお馴染みである。
魔法使いたちの待遇もずいぶん上がった。
フェリクスで雇っている魔法使いは、もう何十人もいる。ツテを頼って人を集めた他、魔法学院を卒業したばかりの人材も積極的に採用した。
彼らの多くは運輸事業に従事していて、冷蔵用の樽に氷を足す仕事を中心にこなしている。
魔法で作った氷は1日経たずに消えてしまう。でも魔法の氷を利用して、普通の水を凍らせた氷ならば消えない。
これをうまく組み合わせて、冷蔵用の低温を確保している。
とりあえず、こんなとこかな。
後はまたおいおい話していこう。
私自身の話としては、白魔粘土の新しい利用法を一つ見つけた。
これがまた、すごいのよ!
魔法の新しい可能性が一つ開けた感じだ。
そのきっかけは、シリウスの一言から始まった――
いつぞやの年末に大掃除を完遂させたシリウスは、片付け大好き人間になった。
ものが所定の場所にきっちり納まっていると、何とも言えない充足感を感じるのだそうだ。
特に特注の本棚に冊子が規則正しく並んでいると、眺めているだけでニヤニヤしてしまうとのこと。
自分の部屋を片付けた彼は、それでも物足りず、魔法学院の倉庫にも手を付けた。
個人の部屋よりよっぽど広いし物の量も多い倉庫だが、彼は何ヶ月もかけて黙々と整理を続けた。
元々魔法学院は、シリウスのひいおじいさんが開いた場所。倉庫には、ひいおじいさんの私物なんかもけっこうまぎれていたらしい。
それらを大きな箱に入れて、シリウスは私の研究室にやって来た。
青い目が仕事をやり遂げた満足感できらきらしてる。
「見てくれ、ゼニス。フェイリムの遺産がこんなにあったぞ」
フェイリム・アルヴァルディが、そのひいおじいさんの名前である。
一緒に箱の中身を見てみると、ほとんどは謎のガラクタだった。北のブリタニカの海で拾ったらしい貝殻とか、小さい鉱物のかけらとか。
あとは研究メモなどもあったが、ざっと読んでみても既に発表されているものばかりだった。
「これ、なんだろ?」
そんな中にちょっと変わったものがあって、手に取ってみる。
手のひらの半分くらいの大きさの石版で、魔法文字が刻まれていた。元はもっと大きなものだったのだろうが、途中で割れている。
「ああ、それな。僕も気になっていた」
「残りの破片はあるの?」
「ない。しっかり探したが、見つからなかった」
割と偏執的なシリウスがそう言い切るのだから、ないのだろう。
改めて石版を見る。魔法文字自体は全て既知のものだ。
魔法文字はユピテルのアルファベットのような表音文字ではなく、前世の漢字のような文字。文字だけで膨大にある。
石版は小さい破片なので、文章も途切れ途切れ。意味が通らない部分も多いが、遠くにいる友と話をしてどうのこうの、みたいなことが書いてある。
この石版で特筆すべきは、魔法文字が装飾されている点だ。文字を囲ったり、文字の一部を変形させたりと何種類もの記号や飾りが足されている。こんなのは見たことがない。
「シリウス、こういう文字の装飾類、見たことある?」
「いや、僕も初めてだ。なぜこうなったのか、大変興味深い」
2人でためつすがめつ眺めた。
石版はなにぶん小さくて、文字も少ない。ただ、「話す」の部分が特に強調するように飾られていた。
文字の装飾か……。
ふと思い出したのは、前世のヒエログリフだった。古代エジプトの絵文字みたいな文字だ。
あれは確か、ファラオなんかの名前は囲みを付けるんだよね。ヒエログリフ解読の第一歩は、有名な王の名前を特定したことから始まったはず。
その他にも、暗号解読は固有名詞を手がかりにするのが定石とか聞いたことがある。関係ないか。
「装飾部分にも意味があるのかな?」
私が言うと、シリウスはうなずいた。
「無意味とは思えない。サンプルが少ないので何とも言えないが、装飾にも何らかのパターンがあるかもしれない」
とりあえず、石版を模写することにした。貴重な原本を落として粉々にしたりしたら、大変である。
2人で慎重に紙に書き写す。私は絵心はないが、この手の書写は魔法学院のカリキュラムにもあった。一応できるぞ。
シリウスはさすがに、精密に模写していた。
「この飾りだが」
書いている途中、彼が言う。
「『実行』の文字に似ていないか?」
「え?」
彼が指したのは『話す』の部分の飾りだ。
『実行』は発声する呪文でもお馴染みの、『~し給え』に相当する。水の呪文なら『清らかなる水の精霊よ、その恵みを我が手に注ぎ給え』という具合だ。
「似てるかな?」
「似ている。間違いない。見ていては気づかなかったが、書いて確信した」
シリウスは魔法文字の専門家だ。誰よりも造詣が深い。
彼はもう1枚紙を取り出し、図解してくれた。
「ここをこう崩して、ここに隙間を開けるだろ。で、ここを伸ばす」
「おお、ほんとだ!」
そう言われれば確かに、『実行』を意味する文字である。
「どういうことだ? これは呪文なのか?」
シリウスが唸っている。
魔法の呪文は形式が決まっている。
先程の水の呪文であれば、まず冒頭の『清らかなる水の精霊よ』で魔法の効果をざっくり宣言。
次に『その恵みを』で効果を限定。水の呪文は単純に水を呼び出すから特に何も付け加えないが、複合呪文などはそれを織り込む。数量指定もこの部分で入れる。
その次は『我が手に』発動場所を指定する。
で、最後に『注ぎ給え』で実行命令だ。
最初に呪文の形式に触れた時、私は前世のプログラミングを思い出した。
CでもJ○VAでも何でもそうだが、プログラミングも特定の形式に則ってソースコードを書く。
コードの一部は英単語だし、記述はアルファベットだけど、それらはあくまでプログラミング言語。言語ごとのルールを守って記述しないと、プログラムは動かない。
呪文も同じで、ルール通りに組み立てた魔法語を詠唱、つまり発声することで発動する。
ルールに則ってさえいれば、けっこう柔軟に魔法の効果を引き出せる。ドライアイスの魔法が良い例である。
そして呪文は発声が必須なため、文字で書いても発動しない。
私も前に、試しに紙に呪文を書いて魔力を流してみたが、何も起きなかった。
だから魔法の発動は発声が必ず必要だと思っていたのだが。
もし、記述式の魔法は発声式の魔法とそもそもルールが違ったら?
そのルールさえ発見できれば、新しい魔法の可能性が拓ける……!
「呪文。そうかもしれない」
半ば無意識に、私は言った。
「書く呪文だよ。魔法陣とでも言うのかな。従来の発声呪文と全く違う、完全に新しい魔法」
「…………! とんでもないぞ、それは!」
「うん、書いて魔法が発動するなら、発声の呪文に入れ込めないような複雑な事象も扱えるかもしれない。それにすぐ消えてしまう声と違って、ずっと残る『モノ』に書いておけば、魔法の効果を長く続けられる可能性もある!」
今の魔法は呪文を唱えて発動させる関係上、効果は短い。持続性がないのだ。
だからファンタジーでよくある、街を守る結界みたいのもない。
ゲームの戦闘時に使うくらいの効果時間の魔法しか、存在していない。
もし本当に魔法陣を実現できるなら、魔法そのものが大きく変わる!
私とシリウスは興奮して、あれこれと実験を始めた。
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