第66話 6月の花嫁2

 ミリィのお母さんのエールがお披露目されて、しばらく後。

 仮のエール製造所となっている山あいの別荘に、ティベリウスさんが視察に行くことになった。一度製造の様子を見たいのと、本格的な製造の場所を検討するためということだった。


 同行者は私とリウィアさん、ティト、それに冷蔵運輸事業に携わっている使用人が何人か。あとは荷物持ちの奴隷の人など。

 別荘はユピテルから数日の距離にある。別荘では2泊することとなった。


 往路も到着後の視察も問題なく終わり、夕食を取りながら意見交換をして、食後休みをしていた時のことである。ミリィ一家はもう下がっていて、リビングに居るのは私とティト、ティベリウスさんとリウィアさんだけだった。


 壁際の椅子に座っていた私の背後で、ふと妙な音がした。フシュ―とかそんな感じの、空気が漏れるような音。


「ゼニスお嬢様! すぐこっちに来て下さい!」


 ティトが壁を指差し、青い顔で叫んでいる。

 恐る恐る後ろの壁を振り返ったら、天井の梁から垂れ下がるようにして、縞模様の蛇がこちらを見ていた。


 ――やばい、これ、毒蛇だ。


 イカレポンチ時代に故郷の山で何度か見た覚えがある。ユピテル半島の山に広く生息している毒蛇だ。

 危ないから見かけたら逃げろと、お父さんからきつく言われていた。

 この別荘は山の中にある。どこからか紛れ込んできたらしい。


「ど、どうしよう」


 声が震えた。蛇を刺激しないようゆっくり立って、その場を離れなければと思うのだが、足が強張ってうまく動けない。

 蛇は舌をチロチロしながら、さらに近づいてきた。その縦長の瞳孔に無機質な殺気が見える。

 私のことを噛む気だ。冷や汗が出る。この蛇の毒はそれなりに強い、子供の体の私なら死ぬかもしれない。


 やっと足が動いた。時間にすればほんの5、6秒とか、そのくらいの短い間だったと思う。でも遅かった。

 蛇がカッと口を開いて飛びかかってくる――


 ――カツンッ!!


 乾いた音が響いた。


 見れば、今まさに私に噛みつこうとしていた毒蛇が、ナイフに頭を貫かれて壁に突き立てられていた。

 ナイフの柄の延長線上、飛んできた先にはリウィアさんの姿。投擲後の腕を振り下ろした姿勢のままでいる。

 その両目はギラリと鋭い光を放って、壁の蛇を睨みつけていた。


「お嬢様!」


 ティトに手を引っ張られて、つんのめるようにして壁際を離れた。


「リウィアさん……ありがとう」


「ありがとうございます、お嬢様の命の恩人です」


 かすれた声でお礼を言うと、ティトも泣きそうになりながら感謝していた。

 リウィアさんは泣き笑いのような表情で、「無事でよかった」と言った。先程の鋭さは嘘のように消えている。

 それからティベリウスさんの方を向いて、一礼した。


「ティベリウス様、今まで騙して申し訳ございませんでした。私は見ての通り、ガサツで男のような武芸を好む、貴族にふさわしくない女です。離縁されても仕方ないと思っています。

 けど冷蔵事業が安定するまでは、フェリクスのお家と我が実家のためにも、どうかこのまま……お仕えさせて下さい」


 うつむいた喉が震えている。

 ティベリウスさんはそんな彼女を眺めて、軽く腕を組んだ。


「なるほど。きみには違和感を覚えていたが、何重にも猫の皮をかぶっていたということか。まんまと騙されてしまった」


「…………」


「夫を何ヶ月も騙すとは、悪辣な妻だ。ひどい話だよ」


「何と言われてもその通りです。罰を与えて下さるなら、甘んじて受けます」


「とはいえ、離縁はできないな。冷蔵事業は始まったばかり。きみの実家の力はこれから必要になるからね。では……」


 彼はちょっと言葉を切ってから、続けた。


「投げナイフの他に得意な武芸は?」


「え? ええと、弓と剣は自信があります。そこらの男には負けません」


「そうか。それでは命令だ。――そんな強いきみを、すっかり征服させてくれ」


「え? え?」


 戸惑っている彼女を、リウスさんは抱き上げた。横抱き、いわゆるお姫様抱っこである。


「ちょっと早いが、寝室に行くよ。奴隷たちは他に蛇がいないか確認してくれ。……ああ、寝室はいい。俺とリウィアでちゃんと見るから、邪魔をしないように」


 リウスさんはいかにも可笑しそうに笑っている。

 ぽかーんとしている妻の額にキスをして、さっさと行ってしまった。


 後には無言の私たちと、ナイフで絶命した蛇が残された。


「えーと……」


 何がどうなった。いきなり毒蛇が天井から降ってきたと思ったら、ナイフが飛んできて、夫婦の絆が深まった?

 わけがわからん。


「ティト、この状況、分かる?」


「分かりますとも! リウィア様が強くて凛々しい方だということ、ティベリウス様は寛大で懐の広い方だということです。あぁ、素敵!」


 ティトの目が夢見る乙女みたいにキラキラしている。どうやら喪女には理解不能の世界に入っているようだ。

 まあいいか、結果オーライで。


 奴隷の人たちが蛇の死骸を片付けている。梁の上を覗き込んで、他にいないか確認が始まった。


 結局他の蛇はおらず、私が泊まる部屋も安全が確かめられたので、休むことにした。







 翌朝、絆を深めたらしい夫婦は、2人してやけにツヤツヤのお肌で朝食にやって来た。まあ深くは問うまい。


「ありがとう、ゼニス。あなたは私にとってウェスタの使者よ」


 頬を赤らめながらリウィアさんが言う。ウェスタはかまどの女神で、家庭の守り神とされている。ついでに夫婦の愛も司っている神様だ。

 私が女神の使者ならあの蛇は聖獣だろうか。はた迷惑な話である。


「いいよいいよ、その代わり、お礼にまたイチジクちょうだいね」


 そう言い返してやったら苦笑いしてた。

 何にせよ、彼女が明るくなってよかった。蛇で怖い思いをした甲斐があったというものだ。


「イチジクとは? いつの間にゼニスとそんなに仲良くなったんだい?」


 ティベリウスさんが言う。どことなく不満そうだ。

 リウィアさんはくすっと笑って答えた。


「内緒です。ティベリウス様といえど、女同士の秘密に立ち入ってはいけませんよ」


「おやおや。もう隠し事はなしだと、昨夜あんなに約束したのに」


 うおおおお、空気が甘い! 黒砂糖と蜂蜜を混ぜてぶちまけたかのようだ!!

 これが前世の恋愛小説で言うところの「砂糖を吐く」というやつか?


 いたたまれなかったので、私は朝食を手早くお腹に詰め込んで席を立った。甘すぎて胃もたれするわ。

 後で合流したティトとミリィが、昨日の件で楽しそうに恋愛談義してた。

 うんうん、スイートだねえ。


 でも私は甘い空気より甘いお菓子の方がいいな。本気でそう思ってしまうから喪女なんだろうね。

 私自身の転機は当分、下手したら今生も一生、訪れないかもしれない。


 まあ、別にいいか!







 追記。

 リウスさんはリウィアさんの本性に割と早いうちから気づいていたらしい。

 気づいてたのなら教えてあげればいいのに。乙女心をもてあそぶ、女の敵である。

 ……あれ、でも、リウィアさんは彼のそんな所も好きだからいいのか? ワカンネ。


 それで気づいてはいたが、さすがに投げナイフで蛇を仕留める腕前とは知らなかったそうな。


「強い女性は好きだよ。精神的にも、肉体的にもね。その方が乗りこなし甲斐があるじゃないか」


 とのこと。

 10歳の子供にさらっと聞かせるセリフじゃねぇわ。これだから色々とオープンすぎるユピテル人は! と思いました。まる。








*****************


これにて第一部幼少期は終わりです。次話から第二部少女期に入ります。

少女期は今までと少し雰囲気を変えて、旅やバトルが多くなります。

ここまで読んで下さってありがとうございました。★レビューやフォロー、❤、どれも励みになっています。

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