第65話 6月の花嫁1


 6月に嫁いできた花嫁さんは、リウィアさんという。21歳で、オレンジブラウンの髪と琥珀色の目をした美人さんである。

 いつもおっとりニコニコと笑顔を浮かべており、私にもアレクやラスにも優しくしてくれる。


 彼女の生まれは騎士階級エクィタス。貴族と平民の間にある身分だ。

 騎士階級は一定以上の資産を持つ平民がなる身分で、リウィアさんの実家は運送ギルドに強い影響力を持つ大商人だった。

 フェリクス本家が冷蔵事業をスタートさせるにあたって、強力な運輸網を持つリウィアさんの家と提携をした。

 ビジネス上の関係とはいえ、大事業を共同で手掛けるのだ。両者の絆は強くないと困る。でも大貴族と大商人、お互いに信用できない面がある。

 それでティベリウスさんとリウィアさんの結婚で、婚姻関係を結んだのだった。

 ぶっちゃけ政略結婚てやつだね。







 ある秋の日のこと。

 私がミリィの家のエール作りに奔走していた頃だ。

 ミリィ一家は山あいの別荘地に行って、エール作りをしている最中。エールは熟成期間も必要だから、完成まで手持ち無沙汰だった。


 ここしばらく、白魔粘土をかなり無理して作り続けていたので、疲れが溜まっていた。

 少し昼寝でもしようと思い、フェリクスのお屋敷の廊下を歩いていく。

 すると、リウィアさんが使われていない小部屋に入っていくのが見えた。手には籠を持っていたような気がする。


 どうしたのかな?

 嫁いできてもう3ヶ月経っているから、家の中で迷うことはないと思う。でもまだ不慣れだろうし、探しものでもしてるのかも?

 心配したというほどでもなく、私は軽い気持ちで彼女の後を追った。

 ほんの少し開いたままのドアの前まで来ると、中からなにやら物音がする。布をがさがさする音、あとなんかモッチャモッチャみたいな音。


「ふひぇ~、あ~、もう、しんど~」


 ちょっとくぐもった声もした。いつもと調子が違うけど、リウィアさんの声だ。


 なんだ……? でも、しんどいって言った? 具合が悪いのか?

 心配になってきた。慣れない新居で心を許せる人もおらず、具合が悪いのを無理に我慢してるとか!?


「リウィアさん!? 大丈夫ですか!」


 思い切ってドアを開け、小部屋に飛び込んでみると。


 そこには、お行儀悪く床に座り込んであぐらをかいたリウィアさんが、籠の干しイチジクをモッチャモッチャと食べながら、固まっていた。

 その口の端から、イチジクのかけらがぽろりと落ちた。







「ゼニスさん、絶対誰にも言わないで! あぐらかいてたなんて、絶対に秘密よ!」


 無言で見つめ合うこと10秒ほど、リウィアさんは飛び上がるようにして立ち上がって、私の肩を掴んできた。


「そうだ、これ。これあげるから! 口止め料!」


 籠の干しイチジクを無理やり手に押し付けられる。私は何がなんだかさっぱり分からない。


「えっと、あの……」


「今、あなたは幻覚を見たの。あぐらをかいて地べたに座っていた女はいなかった。いいわね!?」


「あ、はい」


 彼女はそう言って、そそくさと出ていこうとする。


「ちょっと待って下さい、リウィアさん」


「何!? まだなんかあるの?」


「しんどい、って聞こえたんですけど。大丈夫ですか?」


 無理に元気を装っているなら、やめた方がいいと思う。どこかで無理は祟るもの。前世の私みたいに……。

 そう思って言ったのだが、彼女は戸惑ったように視線を泳がせて。

 やがてため息をついた。


「はぁ……。やっぱ、隠し続けるのは無理だったかなあ。上手くやってたつもりだったのに……」


 下唇を突き出してふうっと息を吐いて、前髪を揺らしている。

 そんな仕草をしていると、ご令嬢というよりお転婆なお嬢さんという感じだ。

 リウィアさんは今度はドアをきちんと閉めて、部屋の中に戻ってきた。


「ゼニスさん。悪いけど、聞いてくれる? 私の悩み」


「私でよければ」


「ありがと。他の誰に言うわけにもいかないし、あなたが適任かもね」


 壁際まで行って、床に腰を下ろす。私も少し間を開けて、隣に座ってみた。


「私ね、嫁いできてからずっとしんどいの」


 干しイチジクの籠を引き寄せながら、彼女が言う。

 何があったのだろう。やっぱり愛のない政略結婚が嫌だったんだろうか。それとも本当は好きな人がいたのに、引き裂かれたとか……?


「ティベリウス様が…………かっこよすぎて、しんどい!!」


 …………。

 ………………はい?


「最初にお見合いした時からドチャクソ好みだったのよ!見た目はもちろん、中身も仕草も何もかも!」


「ドチャクソって、あんた」


 思わず素で突っ込んでしまったが、リウィアさんは聞いていなかった。


「大貴族の御曹司らしい上品なルックスなのに、ちょっとS入ってるんじゃないかってくらいリアリストな性格。それなのに仕草はあくまで優雅! ああもう、好き! 私の旦那様、世界一!!」


「ちょっと落ち着いて」


 どうどう、と実家の犬や馬を落ち着かせる口調で言ってみた。


「あんな素敵な人と結婚できる幸せ者は誰だ、私だ! ってなってしんどい、ほんとしんどい」


 そしてモッチャモッチャとイチジクを噛みちぎる。


「イチジクでも食べなきゃ、とても耐えられないわ。ねえゼニス、この気持わかる?」


「分からんて」


 いつの間にか呼び捨てにされていたので、私もタメ口で返してみた。


「ふふーん、そうよね、分かんないよね。だってティベリウス様は他の誰でもない、この私の旦那様だもんね!」


「もう帰っていい?」


「やだ、ゼニスつめたい。さすが氷の魔女」


「そんなこと言ったら、リウィアさんのこと『あぐらかいてイチジク食べる魔女』て呼ぶよ」


「あっはは、あんた面白いわねぇ」


 リウィアさんはひとしきり笑うと、はあっと息を吐いた。どうやら落ち着いたようだ。


「……ごめん、見苦しいとこ見せたわ。ゼニスはまだ子供なのに、頼っちゃった。……ありがと」


「別にいいよ。ティベリウスさんが大好きなのは、よく分かったから」


「うん……」


 すると彼女は、本当に落ち込んだような表情を見せた。

 私は干しイチジクを一つもらってモッチャと噛み、先を促す。


「うん、大好き。けど、私、本当はこんな風にガサツな女だから。本性を知られたら嫌われるんじゃないかと思って、ずっと猫をかぶってた。

 うちの実家のプルケル商会は、運送業でしょ。力自慢の荒くれ男がいっぱいいるのよ。

 そいつらに囲まれて育ったものだから、私もこんなでさ。女の仕事の刺繍や料理より、男どもと取っ組み合って喧嘩したり、武芸の腕を磨くほうが好きなんだ。

 父さんは私をなるべくいい政略結婚の駒に使おうとして、結局、ハタチ過ぎても嫁入りの当てがない娘になっちゃって、がっかりしてたわ」


 ユピテルの結婚適齢期は17歳の成人から20代前半くらいとされている。21歳のリウィアさんは適齢期も後半だった。


「でも、おかげでティベリウス様っていう超大当たりを引き当てたんだけど!

 だから私はもう後がない。

 それ以上にティベリウス様に嫌われたくない。

 それで、なるべくお淑やかなレディを演じてた。いずれ離婚になるとしても、いい妻の思い出として残って欲しくて」


「離婚? まだ新婚なのに何言ってるの?」


「ん? ゼニス、貴族なのに知らないの?

 ティベリウス様みたいな大貴族が、騎士階級の娘と添い遂げるわけないじゃない。もっといい条件の結婚があったら、そっちに乗り換えるに決まってる。

 実際、ティベリウス様も再婚だしね。前の奥さんとは、実家同士の縁が上手く働かなくなったとかで別れたみたいよ」


 なにー!? 知らなかった。

 確かにリウスさんは、ユピテル人としてはけっこうな晩婚だと思ってたけど。

 そういや披露宴で、フェリクスのご当主が「今度こそ」みたいなこと言ってたっけ。再婚を指した言い方だったんだ、あれ。


 なお、ユピテル人は離婚率も再婚率も高い。騎士階級や貴族なら政略結婚が当たり前で、それゆえに実家の利益が噛み合わなくなったらあっさり離婚する。

 再婚であれば多少年齢が上がっていてもOKで、特に女性は子供がいると、子を生んだ実績があるということでプラスに働く。

 女性の再婚時、子供は元夫が引き取ったり、女性の実家で育てたりする。

 子持ち女性の再婚で、子供の存在がマイナスどころかプラスになるなんて、元日本人としては少し不思議な感覚である。


 すごい話になると、妊娠中の人妻に惚れ込んだある男性が、人妻の夫に正面切って「奥さんに惚れました。結婚させて下さい」と直談判して、円満離婚の後に再婚した例もある。再婚後に生まれた子は新しい夫が育てたそうだよ。


「ま、そんなわけでね。いつまで続くか知れない結婚生活だから、できれば愛されたいじゃない。子供だって授かりたい。ただちょっとばかり、猫をかぶるのに疲れちゃう時もあるだけ」


 リウィアさんは茶化して言ったが、その瞳は切なそうに揺れていた。

 私は言ってみる。


「ティベリウスさんの好みがお淑やかな人だって、誰に聞いたの?」


「んー? 別に? きっとガサツは嫌いだろうから、反対にしてみただけ」


「じゃあもっと素を出してみたら? ティベリウスさんはオクタヴィー師匠と仲がいいけど、師匠はちっともお淑やかじゃないよ」


「妹と女の好みは違うでしょ。それにオクタヴィー様は、淑やかでないにしても品があるもの」


 むう、それはそうだが。

 私が次の言葉を探していると、リウィアさんは立ち上がった。イチジクの籠を渡してくる。


「ありがとね、ゼニス。ずいぶん気が楽になったわ。また今度、話し相手になってくれる?」


「うん、それは全く構わないよ。でも……」


「あはは、それ以上はいいっこなし。じゃあね!」


 そうして部屋を出ていってしまった。

 いつもの女らしい歩き方ではなく、颯爽とした足取りが印象的だった。







 私はこの件で、どこまで口を出していいのか悩んでいた。利害も絡む大人同士の話で、まがりなりにも夫婦間のことだから。


 だが、転機は意外な形で訪れたのだ。


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