第63話 ミリィと麦酒1

 アイスクリーム大爆発事件(主観)から、また少しの時間が過ぎた。

 夏の残暑が続く中で、私たちはいつも通りに過ごしている。


 6月のティベリウスさんの結婚式辺りから、アレクは1人で寝るようになった。

 最初のうちはそれでも、何日かに一度は夜中にやって来たりしていたが、いつの間にかそれもなくなった。

 あの子の成長は嬉しいけど、ちょっぴり寂しいなあ。


 アレクとラスはいつも仲良し。

 勉強ができて秀才タイプのラスと、活発で運動が得意なアレクは、お互いに良い刺激になっているようだ。







 話は変わって、本日の魔法学院での講義を終え、私が研究室に戻ろうとした時のことである。


「あなたがゼニスさん? 氷の魔女の」


 廊下で呼び止められた。

 氷の魔女はなぜかすっかり定着してしまったので、もう諦めている。そのうちどっかの山に氷の城を作ってやるわ。


 振り向くと、私と同じくらいの年頃の女の子が立っていた。身なりは質素で、裕福な学生が多い中で少し浮いている。金髪に青い目の、お人形さんみたいに可愛い子だった。

 私は今、10歳。学院に入学した7歳の頃から3年経ったが、それでもまだ周囲は年上ばかりだ。

 なので同年代に見えるその子は新鮮に映った。


「はい、そうですよ。学生さんですか? 何かご用ですか?」


 つい、教師仕様の丁寧口調で答えてしまった。同年代相手だからタメ口でよかったな。

 するとその子は、急に床に跪いた。


「私はミリィ・ヘルウェといいます。お願いです、ゼニスさん! 私を弟子にして下さいっ」


「え? え?」


 廊下の途中で突然、他人から最上級の礼を取られ、私はうろたえた。

 慌ててその子の腕を取る。


「とりあえず立って。そんな姿勢をされても、困っちゃうよ」


「お願いです、弟子にしてくれるまで立ちません!」


 なんでや!

 それからも立って、立ちません、と押し問答していると、すぐ先の研究室のドアが開いてティトが顔を出した。


「大きな声を出して、どうかしましたか?」


「ティト、助けて! この子が立ってくれないの!」


「はあ?」


 経緯を聞いたティトは、ミリィの横にしゃがんで言った。


「とにかく、部屋の中に入って下さい。そんなところにうずくまっていたら、通行の邪魔ですよ」


「うう……」


 邪魔と言われて、ミリィは渋々立ち上がる。

 その腕に触れて私は言った。


「話、聞くよ。ティト、お茶を淹れてくれる?」

「はい」


 うつむいたままの彼女を促して、私たちは研究室に入った。







「さっきはごめんなさい。他にいい方法が浮かばなくて」


 冷たい麦茶を飲んで、ミリィは落ち着いたらしい。ぽつぽつと事情を話してくれた。


「あたしはこの学院の一年生です。入学して半年くらい。どうしても魔法使いになりたくて、親に無理を言って入学したの。

 でも最近、お父さんの商売がうまくいってなくて、お金がなくて……。授業料が払えないんです。

 このままじゃ退学になっちゃう。だから氷の魔女の弟子になって、お金を稼ぎたいんです!」


「ミリィのおうちの事情は分かったけど、どうして私の弟子になるなんて言い出したの?」


 この子とは初対面だ。いきなり弟子入り希望されてビビったわ。


「だって、みんな言ってます。氷の魔女は新しい商売を考えて、お金持ちだって。それに貴族なのに平民にも心を配る、優しい子だって」


 はぁ~~? なんじゃね、その謎の評判は。

 またティベリウスさんあたりが変な噂を流したのか? 勘弁して欲しい。


 ティトがこそっと耳打ちしてくれた。


「ティベリウス様に掛け合って、マルクスと彼のお母さんを助けてあげたでしょう。あの一件が美談になってるんですよ」


「そりゃ知らなかった」


 ミリィは麦茶のカップを握りしめながら続ける。


「あたしは平民で、まだ11歳の子供だから、お金だって自分じゃろくに稼げない。でもあたし、どうしても魔法使いになりたいんです!」


 お、1コ上か。同い年ではないが、同年代だね。

 魔法使い志望の同年代の子だから、できれば助けてあげたい。でも誰も彼もを援助するわけにはいかない。もうちょっと話を聞かないと。


「ミリィはどうして、魔法使いになりたいの?」


「軍隊に入るためよ」


 あれ? なんか、予想外の答えが来た。

 確かに国軍は男性しか入隊できない。ただし例外は魔法使いだ。魔法使い枠であれば、女性も軍人になれる。


「どうしてまた、軍隊に?」


「それは……」


 ミリィはカップを持った指をもじもじと組み合わせた。


「お兄ちゃんを追いかけるためです」


「お兄ちゃん?」


「あたしの憧れの人です! 近所に住んでいる5歳上の人で、小さい頃からずっとずっと大好きだったの。いつか必ず、お兄ちゃんのお嫁さんになるんだって決めてた。

 でも、お兄ちゃんの家も貧しいから。軍に入って、実家に仕送りするんだって言って。

 来年、17歳の成人を迎えたら、すぐに軍に行っちゃうんです!

 だから私も魔法使いになって、軍に入って、お兄ちゃんを追いかけなきゃ!!」


 ミリィは大きな青い目に涙を溜めている。


 いやこれ……反応に困るぞ。

 必死なのは伝わってくるんだけど、生死に関わるとかではないし。どうしたものか。


「まあ、そうだったの!」


 しかし、意外にもティトが身を乗り出した。


「小さい頃から一途に想い続けるなんて、とても健気だわ。ああ、ロマンチック!

 ゼニスお嬢様、助けてあげましょうよ。何か仕事を割り振って、授業料の代わりにすればいいじゃないですか」


「簡単に言うね。仕事って言っても、一年生でしょ。まだ魔力操作もできないよね。ただの11歳の子に振れる仕事なんて、特にないよ」


 魔法学院の一年生は、魔法語を学んでいる途中。魔法の実践は二年次から始まる。

 だから冷たいようだが実際、仕事はない。そして誰にでも施しができるほど、私の心も財布も余裕はない。


「それに軍に入ってお兄さんを追いかけるって言うけど、軍人になれば自動的に同じ配属先になるわけじゃないよね。国軍の管轄は広いよ、首都の周辺から辺境まである。それはどう考えてるの?」


「ちゃんと調べました。軍に入る時点で結婚していたら、夫婦として同じ場所になるよう配慮してもらえるんだって」


 と、ミリィ。

 魔法使いは人数が少なくて貴重だから、そういう配慮もあるのか。

 私はさらに言ってみる。


「でも結婚してたらでしょ? ミリィまだ11歳だよね。来年、お兄さんが入隊するんだよね。12歳で結婚は無理じゃない?」


 ユピテルの成人は17歳だが、女性は15歳程度で結婚する人もいる。でもさすがに12歳は厳しい。


「それも調べたわ。入隊から3年経ったら、一度まとまった休みが出るんだって。それでお兄ちゃんが里帰りしたら、その時に結婚するの。……既成事実を作ってでも!」


「まあ!」


 ひえぇ!

 ティトは頬を赤らめたが、私は背中がヒュッとなった。11歳にして恐ろしい子……!

 喪女にはとても真似できない。

 入隊後3年てことは、今から4年後。ミリィ15歳。ううーん、ギリいけるといえばいける。


 いやぁ、ここまで聞くと力を貸してあげたい気がしてきた。思ったよりもしっかり、計画の目算を立ててるみたいだから。

 とはいえ、今の私はフェリクスの看板を背負っている。ミリィは真剣に悩んだ末に私のところに来たのだろうが、軽々しく前例を作ってしまうとただのタカリや群がりに対処が難しくなる。

 どうしようか。何かヒントはないかと聞いてみる。


「そういえばミリィ、あなたのおうちは商売してるの?」


「エールの醸造と酒場をやってる。でも最近、お客さんが冷たいワインの方に行っちゃって、売れ残りが多いの」


 おっと、それ、私も関係してますね。

 それでエールか。ビールのことだね!?


「エールを作ってるんだ。ワインばかりのユピテルじゃ珍しいね」


「うちはノルドの移民だから。あっちじゃエールが主流なの」


 ノルドは北西山脈の向こうに住んでいる民族。部族がいっぱいいて、群雄割拠状態でいる。部族全部をひっくるめてノルド人という。

 シリウスのご先祖と同族か。

 確かに、ミリィもきれいな明るい金髪に青い目をしている。ノルド人の特徴だ。


 そして、エール。ビール。

 私は前世、お酒はビールが一番好きだった。居酒屋行ったら「とりあえずビール」と昭和の親父のような頼み方をしたものだ。

 クリ○アサ○が家で冷えてると思えば、深夜の残業も頑張れたのだ! アイスと並んで私の癒やしである。


「よし、分かったよ」


 私は重々しく頷いた。


「弟子は取ってないけど、お金の問題は何とかしてみよう。一度、ミリィのおうちに行っていい?」


「……! ありがとう! いつでもいいよ!」


 こうして明日、ミリィの家を訪ねることになった。

 一途に恋する少女は応援したいではないか。決してビールが飲みたかったからではない。


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