第58話 難しく考えすぎだった

 ユピテルでは黒砂糖は希少品。東の国境の向こう、アルシャク朝のさらに東から輸入されてくる。

 扱いは調味料ではなく、薬品だった。腎臓や膀胱の痛みを和らげる効能というが、真偽の程は分からない。


 黒砂糖はなかなか高価だったが、自腹を切るわけじゃないから思い切って買った。

 手持ちの現金で支払いが無理な額だったため、帳簿に書いてツケてもらった。写しをティベリウスさんかオクタヴィー師匠に提出しよう。

 一見さんの9歳の子供がやって来て、黒砂糖を買い占めた上にツケにしても、お店の人はすぐにOKしてくれた。大貴族フェリクスの威光の賜物だね!


 ユピテルの甘味は基本、蜂蜜なのだ。「世界中のミツバチはユピテルのために働いている」なんて格言があるくらいである。デザートだけでなく料理の味付けも、蜂蜜は多く使われている。大量消費だ。

 ユピテル料理は魚介類も肉野菜類も凝ったのが多い。とはいえ、あれはあくまで貴族や大商人の宴席用。

 一般市民の食卓はごく質素で、貴族だって普段は割と簡単な料理で済ませている。







 黒砂糖をゲットした私は、日を改めて金物細工の職人を訪ねた。前に泡だて器を作ってもらった工房と同じところ。

 マルクス考案のシンボルマークの焼印もここで作った。フェリクスの取引先だ。


 簡易遠心分離機こと、野菜水切り器の説明をして再現してもらう。

 最初はなかなか伝わらなくて、図解と身振り手振りを入れて必死に説明した。

 私はコミュ障のせいで説明が下手。でも伝わるように工夫して、分かってもらえるまで繰り返せばいいのである。


「こう、バケツの中に穴のあいた入れ物を入れて、中のものがぐるぐる回るようにしたいんです!」


 実際にバケツの中に入ってその場で回ってみたりした。付添いで付いてきてくれたティトの視線が痛かった。

 そうして懸命に説明を続けることしばし、職人さんがため息をついた。


「お嬢さんの言いたいことは、何となく分かってきましたよ。ただ、それを作って何に使うんだい?」


「山羊ミルクを回転させて、クリームを取り出したいです。脂肪分、あぶらです」


「ははぁ……?」


 職人さんはごつい指で顎をこする。


「脂ねえ? ――おーい、ちょっと来てくれ」


「あいよ、なんだね」


 奥から出てきたのは中年の女性。職人さんの奥さんだった。


「フェリクスのお嬢さんが、山羊乳から脂を取り出したいんだと。お前、山羊乳をよく絞るだろう。なんか分からんか?」


「脂ですか。そりゃ、絞ったミルクを放っておけば、勝手に上の方に浮かんできますよ」


「え?」


 え?


「ゼニスお嬢様、山羊ミルクの脂が欲しかったんですか?」


 ティトが言う。


「え? うん、そうだよ。ミルクからクリーム、脂を取り出すには遠心分離機が必要だと思って……」


「そんな難しいことしなくても、ほっときゃ浮かんできますさね。それをスプーンですくえばいいんですよ」


 な、なんだと……?


「脂が欲しいなんて、あたし聞いていませんよ。職人に作って欲しいものがあるからついてきてと、今日もそれだけ言ってたでしょう」


 ティトがジト目で見てくる。


「……私、説明してなかった?」


「ええ、何も」


 なんということだ。一人で脳内完結して突っ走っていたらしい。これじゃシリウスに偉そうにお説教できる立場じゃないよ。

 おかみさんが付け加えるように言う。


「夏より冬の方がよく浮かんできますよ」


「あ、はい」


 冷やせばいいってことかな?

 そんな簡単な方法で良かったのか……。


 呆然とする私に、職人さんが声をかけてくる。


「お嬢さん、さっき説明してくれたものはどうしますかね?」


「あ~……」


 どうしよう。

 せっかくバケツの中に入って回ってみせるまでしたんだから、作ってもらおうかな。出来上がったら、野菜の水切りとして使ってもらえばいいよ……。しょんぼり。


「作って下さい。他の使い道もあるので」


「ほいさ。じゃあ作り上げたら、フェリクスのお屋敷に使いを出しまさあ」


「よろしくお願いします」


 説明をさらにできるだけやって作成物の擦り合せをし、私とティトはお屋敷に帰った。







 私の思い込みで無駄足を踏んでしまった。こんなことなら、最初からティトやお屋敷の料理人たちに相談してみればよかったんだ。

 へこみながら、お屋敷の山羊小屋からしぼりたてミルクをもらってきた。山羊はどこでも飼われている。

 私の実家にも山羊いたよ。それなのになんで、自然に脂肪が分離するのに気づかなかったんだろうねぇ。はあ。


 ミルクは一度沸騰させて殺菌をする。それから粗熱を取って、冷蔵庫もどきに入れた。

 冷凍庫もどきと同じ作りで、箱の内側に白魔粘土を張り巡らせている。ただし中身はドライアイスではなく、普通の氷だ。氷をみっちりではなくて、適度に散らばす感じで配置してある。凍るほどではない低温を保っているよ。


 一日経過した翌日、ミルクの壺を見てみると脂肪分が浮いていた。ただ、思ったより量が少ない。スプーンで何度かすくったらなくなってしまった。

 もう少し時間を置いた方がいいのだろうか? よく分からなかったので、再度冷蔵庫もどきに入れておいた。


 すくい取った脂肪分は、生クリームというには水っぽい気もする。でも確かにクリーム状だ。使ってみよう。


 試作品に黒砂糖はもったいないので、少量だけ作ることにした。

 泡だて器でガシャガシャやると、やっぱり柔らかい。が、それなりにホイップになった。

 卵白も砂糖を入れるとちゃんとしたメレンゲになる。黒砂糖なので色が茶色っぽくなってしまうが、これは仕方ない。

 この前と同じように卵黄と山羊ミルクを混ぜた液に、それらを合わせようとして。


 ふと思う。

 卵黄だけ使うレシピや、布で漉す作り方もあったから、それも試してみよう。

 他にもミルクを使わず卵白メレンゲと生クリームだけのレシピもあった、あった。思い出してきたぞ。

 思い出せる限りやってみよう。ただ今日はクリームの量が少ないので、一部だけ。


 そうして小分けに色々と作り、冷凍庫もどきで凍らせた。途中でかき混ぜるのも忘れない。

 やがてすっかり凍ったアイスクリームをお皿に盛り付け、午後のおやつに出してみた。

 何種類かをちょこんとそれぞれのお皿に乗っけたよ。見た目も可愛いアイスプレートである。


「わ、アイスがいっぱいある!」


「どれもおいしそうです」


 アレクとラスが大喜びしてる。


「少しずつ材料や作り方を変えたの。どれが好きか教えてね」


「うん!」


 やはり生クリームと砂糖のパワーは偉大だ。この前のシャーベットよりよっぽどなめらかに、アイスクリームらしくなってる。

 しかし私の求める究極にして至高にはまだまだ届かない。今回はあくまで基本に忠実に作っただけ。アレンジはあえて何もしていない。これからである。


「俺、これが好き」


「僕はこれです」


 アレクが指さしたのは、卵白は使わず卵黄だけのアイスだった。一番定番のやつ。

 ラスはメレンゲと生クリームだけの、ふんわり軽いやつだ。


「あたしはこの前のシャリシャリしたやつも好きでした」


 ティトはそんなことを言った。各人各様だね。


「姉ちゃん、アイスこれしかないの? もっと食べたい」


 小分けにして作ったのをさらにみんなで分けたので、各味一口ぶんくらいしかなかった。

 アレクはさっさと平らげてしまって、不満そうだ。


「お、ラス、残してるじゃん。ちょうだい」


「だめです! 残してません、今から食べるんです」


 ラスが慌ててお皿を引き寄せている。


「こら、アレク! 人のを取っちゃ駄目。また明日も作るから、今日は終りね」


「ちぇー」


 しばらくアイス作りに邁進するつもりなので、そのうち飽きちゃうかもね。まあ、そうなったら他の人に食べてもらえばいいや。

 基本のミルクアイスはもう何種類か作ってみて、その後は果物やスパイスと合わせてみよう。

 今度は独りよがりにならないで、料理人さんたちにも意見を聞いてみようっと。

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