第52話 車輪と氷

 ユピテル人のアレな常識のおかげでえらい目にあってしまった。

 ただでさえ故郷から数日かけて旅をしてきた疲れがあるというのに、なんでこうなった。

 今日はもう気力が尽きたので、続きはまた明日にする。


 初めてフェリクスのお屋敷に入ったアレクのために一通りの案内をして、その後は早めに休むことにした。







 夜、寝台で眠っていると物音で目が覚めた。

 廊下を歩く足音、次いでドアの開く音。


「……姉ちゃん、起きてる?」


 見ればアレクが、実家から持ってきたお気に入りのタオルを握りしめてドアのところに立っている。


「どうしたの? 眠れない?」


「…………」


 起き上がって、彼を部屋に入れてやった。アレクはうつむいたまま、何も言わない。

 暗い中、アレクの子供らしいふっくらした頬に涙のあとを見つける。


「今日は私と一緒に寝ようか。初めての場所で、落ち着かないでしょ」


「うん」


 この何日かの旅の間、この子はずっと元気すぎるくらい元気だった。たぶん、お父さんやお母さんと離れた不安をごまかすために、そんな態度になっていたのだと思う。

 この子はまだ6歳だ。今日だけと言わず、しばらくは一緒に寝た方がいいかもしれない。


 寄り添って横になる。子供2人なら、この寝台もそんなに狭く感じない。

 冬の冷えた夜気に、弟の体温がとても暖かかった。







 翌朝、目が覚めたアレクは照れくさそうに「ラスには内緒にして」と言ってきた。

 うん、いいよ、内緒ねって言ったら、にこーっと笑って自分の部屋に戻って行ったよ。うむ、かわいいな。


 朝ごはんを食べて身支度を終えたら、昨日の続きに取り掛かる。

 マルクスは最近、公衆浴場の出店の担当をしているそうで、仕事は浴場が混み始める午後からになる。それまで付き合ってもらうことにした。


「車輪のモチーフはいいと思うんだよね。氷を使った運送が始まるから、馬車、車輪でぴったりでしょ?」


 私が言うと、マルクスとティトはうなずいている。

 同じフェリクスの事業としてやる以上、冷たい飲み物と冷蔵運輸で統一感を持たせるのはいい手だ。運送の方でもマークを使うよう、ティベリウスさんに提案してみよう。


「幸運のシンボルは、何があったでしょうか。男根はだめとして、あとは麦の穂、ふくろう」


「幸運の女神の持ち物は、羽の生えた靴に底が抜けた水瓶だったか?」


 ティトとマルクスが口々に言った。マルクスの言う靴と水瓶は、幸運が逃げやすいのを表すものだ。

 せっかくのシンボルマークだから、縁起のいいものにしたい。底抜けの水瓶はちょっと使えないな。


 もう一つの要素、氷。前世であれば雪の結晶の六角形がよく使われていたけど、ユピテルでは馴染みがない。

 雪の結晶はきれいだから、私も好きだ。でもマークは、ユピテルの人たちがひと目で見て分かるものでなければならない。残念だけど却下。


「2人は氷というと、どんなイメージを持ってる?」


 ティトとマルクスに聞いてみる。


「冷たい、透明、溶けたら水になる」


 と、ティト。


「透明で、きらきらしてる。砕くと水晶みたいに尖ってる」


 こちらはマルクスだ。


「水晶みたいに?」


「おう。かき氷を作るのに、大きい氷を削るだろ。中途半端な大きさのが余っちまったら、ハンマーで砕いて樽に入れるんだ。その時のかけらが、鉱物商の店先に並んでる水晶みたいで、すげえきれいなんだよ」


 マルクスは絵心があるだけあって、感性も鋭いみたい。


「じゃあ、水晶みたいな氷をこの車輪に組み込んで絵にできないかな」


「やってみる」


 マルクスは棒を持って、一生懸命に地面に絵を描き始めた。何個も車輪を描き、水晶柱を思わせる結晶の形を描いては消して、だんだんと洗練させていく。

 やがて車輪のスポーク――車輪の中央と外周部とを繋ぐ、放射状の棒――を水晶の形にしたデザイン画ができあがった。

 絵の中になじませるように、『フェリクスの氷』と文字も入れてある。


「いいね、これ! 氷っぽいし、車輪のデザインも生きてる」


「……見事です」


 私とティトで褒めたら、マルクスは得意げに鼻をこすった。


「紙に清書して、ティベリウスさんに見せよう。飲み物販売の方は許可出ると思うよ! 運送事業の方でもこれを使うか、全く同じでなくても似た感じのマークを使えないか、提案してみる」


「へへっ、俺の絵が世に広まるなんてなあ。一年前は想像もしてなかったぜ。ゼニスお嬢様とティベリウス様、フェリクス家門には返しきれないくらいの恩がある……」


 マルクスは嬉しそうに紙を手に取って、ペンで描き始めた。そう時間もかからず、清書したものができた。


「おっと、そろそろ昼か。俺、行かなきゃ。ゼニスお嬢様、よろしく頼むよ」


「うん、任せて」


 足取りも軽く走っていくマルクスを見送る。

 さて、このマーク、しっかりティベリウスさんから許可をもらって来ないとね。







 午後になって、時間を取ってくれたティベリウスさんにマルクス作のマークを見せると、彼も感心していた。


「マルクスにこんな才能があったとは。意外な拾い物だったか」


 と、そんなことを言う。


「飲み物の販売は、ぜひこれを使ってくれ。職人を手配して、看板の作成と食器への焼印をさせよう」


「ありがとうございます!」


 やったね! マルクスの絵が採用されたのも嬉しいし、これで偽物問題もだいぶ解決すると思う。

 偽物がマークも真似てくる可能性はあるが、その時は真正面から抗議なりして戦ってやればいい。正当性はこちらにあるもの。


「ただ、運送事業にこれを使うかは保留にさせてくれ。もう少し事業内容を詰めてから、より効果的な案があればそちらを使いたいからね」


「はい、分かりました」


 冷蔵運輸なんてまったく初めての試みだし、まだ始まっていない。当然と言えば当然だ。


「飲み物の方だけでも採用されて、マルクスが喜びます。彼、氷の商売でフェリクスに拾ってもらって感謝してました」


「はは、そうかい」


「去年の屋台買上げとマルクスの雇入れの契約も、大貴族と平民の間のものとしては、かなりマルクスに有利でしたよね」


 ふと思い出したので言ってみた。リウスさんは温和な見た目に反してシビアな人だと思っていたのだが、案外優しいのかな? と。

 すると彼はいつもの笑みを浮かべて言った。


「ああ、あれはね。氷を使った画期的な商売、しかもその先に運輸革命などという大事業が控えていただろう。下手にマルクスを野放しにして、機密が漏れては困る。だから裏切らないよう、恩を売って抱き込んだんだよ」


 リウスさんは「裏切らないよう」のところに微妙な含みを持たせた。

 えええ……。もしかして、マルクスをフェリクスのお屋敷の使用人部屋に住まわせたり、お母さんの同居を許可したりもそういう意図があったの……?

 例えば、他の大貴族とか力のある商敵、政敵がマルクスを脅したり買収して秘密を聞き出そうとしても、お母さんがこのお屋敷にいれば彼はそうそう裏切れない。人質だ。


 そういうこと? 私の考えすぎ?

 ああでも、運輸革命に言及したプレゼンの時、マルクスも同席してた。うわぁ……。


 ビビリながらティベリウスさんを見たら、苦笑された。当たらずと言えども遠からずっぽい。


 うん。この件は深く追求しないでおこう。

 マルクスは純粋にフェリクスに恩を感じているし、病気だったお母さんを引き取って暮らして、実際助かってる。それでいいじゃないか。


「と、とにかく、シンボルマークの許可をありがとうございました。引き続き、白魔粘土の製作と結婚式の料理をがんばります!」


「ああ、そうしてくれ」


 相変わらず穏やかなリウスさんの声を背に感じながら、私はそそくさと執務室を出たのであった。

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