第44話 ゼニスのお悩み相談室1
猿はけっこうな珍味らしくて、すぐには入手できないとお屋敷の料理人さんが言っていた。
市場に入荷があったら知らせてもらうことにして、自室に帰る。なんか、どっと疲れた。
「おかえりなさい、ゼニスお嬢様」
ティトが迎えてくれた。あぁ、ほっとする。
「今日の初講義はどうでした?」
「講義は良かったけど、そのあと、変な人に絡まれた」
シリウスの話をすると、ティトは肩をすくめた。
「まるで小さい頃のお嬢様のような方ですね」
「ええ! 私、あそこまでひどくなかったはずだけど」
「似たようなものですよ。あたしも意味なくたくさん叩かれましたし、カエルの解剖もやっていました」
「えぇ……」
カエルの解剖??
うーん、そう言われればやった気もする。薄く割れる石でナイフのようなものを作って。
イカレポンチだった頃は、グロ耐性が高かったんだなぁ。今じゃとてもできない。
「でも、でも、私は6歳までだから。まだ可愛げがあるでしょ。シリウスは15歳とかだよ」
「そうですね、大人に近い体格で暴れられたら手がつけられません。今後もつきまとわれるようであれば、オクタヴィー様に相談を」
「うん、そうする」
相談できる相手がいるって、いいことだね!
と、そんな話をした翌日。
私が魔法学院の研究室で講義の準備をしていると、ドアがノックされた。出てみれば、シリウスである。
「猿の入手はまだなの。もうちょっと待ってね」
「そのことだが」
彼は気まずそうに言った。
「僕が間違っていた。お前の人体図が正しい」
「お?」
なんか急だな。……まさか本当に死体を解剖してみたのか? 不安になる。
「どうしてまた、急に?」
「昨日あれから、伯父の家に行って我が家の人体図について聞いてみた。そうしたら、あれは宗教的なシンボル図で、実際の肉体を反映しているわけではないと言われた」
「ほほう」
「僕はそれでも納得できなかったが、貧民街で……」
「ストップ!! それ以上は私、聞けない!」
私は慌てて彼の口を塞いだ。
いや、もしかしたら、貧民街で猿を扱っている闇市があったので行ってみた、とかかもしれないが、万が一怖い話だったら嫌すぎる。
こういうのは首を突っ込まないのが一番!
「そ、それより、伯父さんがいたんだね。親御さんじゃなくて、伯父さんに聞いたの?」
無理やり話を変えてみる。
「両親は遠い場所に住んでいるからな。僕は伯父の家に預けられて育った。去年、独立しろと言われて追い出されて、今は一人暮らしだ」
うん、きっと伯父さんもシリウスのイカレっぷりに手を焼いたんだろうね。
「ところで……」
シリウスは眉を寄せて、言いにくそうに続けた。
「今回の件で、僕はお前に迷惑をかけただろうか? 伯父にきちんと謝罪するよう言われたんだが」
迷惑かけまくりだよ!
いきなり叩かれて、チビとか悪口言われて、汚研究室に連れ込まれて怖い思いしたもの!
……あ、最後のはちょっと語弊があるかな。どっちにしても大迷惑だった。
しかもこれだけやっといて、他人に言われるまで悪いことをした自覚すらないのか。やっかいな。
ううむ。ここで「迷惑でした!」と言えば素直に謝ってくれそうではあるが、それじゃコイツの心に響かないのではないか。
そしてきちんと反省せず、また似たようなことをやらかしてくるのではないか。心配だ。
仕方ない、中身40歳オーバーの私が年の功で、ちゃんと反省できるよう促してやろう。
「迷惑だったよ」
考え考え、私は言った。
「そうか……。それは、すまなかった」
「その謝罪を受け入れる前に、いくつか質問があるんだ」
「質問?」
シリウスは不可解と言いたげな顔をしている。
「シリウスは、今回の一件、どこが迷惑だったと思う?」
「……確認を取る前に、人体図がデタラメと決めつけた点か?」
少し考えて、彼はそう言った。
そこなのか。やっぱり何が悪かったか分かってない。
「それもあるけど、それ以上にいきなり叩かれて嫌だった」
「だが、痛くなかったはずだ。紙で叩いたから」
「痛くなくても、知らない人からいきなり叩かれたらびっくりして嫌だもの。叩くのは駄目だよ。なんで叩いたの?」
「あの時は、お前がデタラメを学生に教えていると思って、頭にきていた」
「怒ったら、他人を叩いていいと思う?」
「怒りの程度と内容による」
駄目に決まってるだろ、このやろう。と言いたいのをぐっとこらえる。
「たとえものすごく怒っても、叩くのはよくないよ」
「じゃあ、どうしろというんだ」
「だいたいね、シリウスは私のことを叩きたかったの?」
「どういう意味だ?」
彼は不審そうに目を細めた。イライラし始めたのか、剣呑な雰囲気である。
私は内心でため息をつきながら、続ける。
「違うよね。人体図が間違っていると伝えたかったんでしょ」
「……! そう言われれば、そうだ……」
「だったら叩かないで、言葉で言えばいいんだよ。『あなたの人体図は間違っていると思います。一緒に確認しましょう』と」
シリウスが目を丸くして絶句している。
ううむ、なんか、幼稚園児に諭しているような気持ちになってきた。こりゃあ前世の私を上回るコミュ障かもしれない。ある意味すごい。
「そんな風に考えたこと、なかった……」
呆然としている。いやそこまで?
「だったら、いや、でも……」
彼はしばらくぶつぶつと独り言を言って考え込み、やがて顔を上げた。
その青い瞳は、納得したように落ち着いている。
「叩いてすまなかった……。どうやら僕は、目的と手段を履き違えていたようだ」
「うん。その謝罪を受け入れるよ」
やれやれ。これで今後は、いきなり叩かれることもなくなるかな。まあ、一度のお説教で全部改善するのも難しいだろうけど。
コミュ障っぷりと意味不明な行動様式が、前世の私とイカレポンチ時代の私に似ていたせいで、ついおせっかいをしてしまった。
「あの……チビ、じゃない、ゼニス?」
「はい?」
恐る恐る、という感じでシリウスが言う。
「また困ったことがあったら、相談していいだろうか。僕、こんな風に思考を整理できたの、初めてだったから。それに、僕の話を嫌がらずに聞いてくれた人も、お前が初めてだ」
ええぇ。正直、勘弁して欲しい。昨日のことは水に流すけど、あまり積極的に関わりたい相手ではないぞ。
……でも。ここまでコミュ障だと、生きるのが大変だろうなと思う。
実はさっきのお悩み相談もどきだって、前世のコミュ障対策の本で学んだ内容だ。自分が本当にやりたかったことと、何が問題なのかを解きほぐして、自分自身で気づいて修正するってやつ。
もちろん当時は、自分の改善のために買った本だった。
こいつ、放って置いたらどんどん孤立して、そのうち前世の私みたいに死んじゃうんじゃないか。
一応同僚であるわけだし、多少の面倒くらいは見てもいいかもしれない。まだ15歳やそこらだから、改善の余地はあるだろうし。いやはや、仕方ない。
「分かった、いいよ。ただし、私にも私の都合があるから、いつでも聞けるわけじゃない。後回しにしても怒らないこと。たとえ怒っても、叩かないこと」
「ああ、了解した」
ほんとかなー?
まあいいや、あんまり手がつけられなかったら師匠に相談して物理的になんとかしてもらおう。追い出すとかで。
そうでない限りは、なるべく気にかけておくかね。
そんなわけで、私の魔法学院生活に『コミュ障の相談に乗る』という新たなミッションが追加された。
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