第36話 夏の繁盛記

 ここのところ毎日、いつもの回廊広場フォルムに行って冷たい飲み物を売っている。

 マルクスの小さな屋台に加え、フェリクスで用意した屋台をもう一つ追加して、お客さんの需要にだいぶ応えられるようになった。

 毎日たくさんのお客さんがやって来ては、冷えたワインやシロップ水を美味しそうに飲んでいく。

 季節は初夏から本格的な夏になりつつある。これからが本番だね。







 順調な中にも、問題はいくつかある。

 まず、ドライアイスの魔法は私にしか使えない点。

 オクタヴィー師匠に呪文を教え、二酸化炭素とドライアイスのざっくりした概念も伝えたのだが、上手く行かなかった。

 やはり魔法で出すモノに対する理解度がものを言うらしい。どれだけ明確にイメージできるか、解像度と言ってもいいかもしれない。


「きみの言うことは訳が分からないわ。誰も理解できないと思う」


 と、師匠は早々にさじを投げた。

 この人、ほんとに知識の探求者というより実業家だわ。疑問を突き詰めるよりも効率重視でさっさと動くもの。

 性格はともかく、師匠は魔法使いとして相応に優秀だ。なので彼女が無理ならば大抵の魔法使いにとっても不可能になる。


 そのため、屋台に私がついていくしかない。

 水を凍らせた普通の氷であれば他の魔法使いにも扱えるので、どうにか工夫していきたいところだ。







 かき氷も試験販売を始めた。

 一通り考えた末に、粉雪状態の氷を魔法で出すことにした。大きな氷を出したところでかき氷機はないし、それなりに魔力も使う。今は試験販売と知名度アップと割り切って、後でもっといい方法を探ることにした。

 粉雪の氷をドライアイスで冷やした樽に入れ、注文に応じて器に盛る。かき氷シロップは果物を煮詰めたものと蜂蜜を合わせた。庶民にとってはけっこうな贅沢品である。

 お値段も高めの大銅貨7枚。水割りワインが3枚なので、割高だ。

 売れるかな? と心配だったが、杞憂に終わった。


 もう大人気だった。大人から子供までみんなかき氷を食べたがる。

 頭がキーンとなるのも、新鮮で楽しいらしい。

 人気すぎて、まだ涼しい早朝から列に並ぶ人などもおり、本末転倒ではないかと思ったくらいだ。


 思うに、時期が良かったのだろう。時期とは夏の季節という意味だけではなくて、ユピテル共和国の繁栄度合いも含めて、だ。

 ここ何十年かは大きな戦争もなく、ユピテルは平和の中で繁栄してきた。

 首都ユピテルの人口は約80万人。この古代を思わせる世界の中で、ダントツの大都市である。

 貧富の差が広がって問題になっているが、それ以上に中流層や少し裕福な層もいる。人が多い分だけ経済活動が活発で、社会の中でお金がぐるぐる回ってるからね。

 中流層の彼らは日々の暮らしに多少の余裕があって、娯楽を求めている。貴族や富豪のような派手なことはできないけれど、生活の中でちょっとした幸せを求めて、プチ贅沢をしてみたいと思っているのだ。


 その層に、今回の冷えた飲み物とかき氷がクリーンヒットした。

 少し背伸びすれば届く金額で、新しいもの。今まで上級貴族しか飲食できなかった、特別な飲み物とお菓子。しかも夏の暑い時期にぴったり。

 数が少なくてなかなか入手できないのも、いい意味でレア感を演出してくれた。

 いろいろな要素が見事にマッチしたのである。


 運が良かったな、とつくづく思った。

 時期はもちろんのこと、マルクスと偶然出会えたのも、ティベリウスさんが商売の許可と援助をしてくれたのも。

 そして、人に恵まれた環境に転生したのも……。

 そりゃあ私だって頑張ったし、それなりに貢献したとの自負もある。

 でもやっぱり、一人じゃ大したことはできなかったよ。







 今日、最後のかき氷をゲットしたのは親子連れだった。

 両親と子供が二人。一つのスプーンで分け合って食べている。

 大きめの一口をぱくっと食べた男の子が、頭キーンになったらしくて、スプーンをくわえたまま両手で頭を押さえた。

 それを見た兄らしき少し大きな少年が、弟からスプーンを奪い取って自分も食べる。たっぷりシロップがかかった所をすくい取って、満面の笑顔だ。

 親たちも順繰りに氷を食べて、にっこりしている。みんな幸せそうな様子だった。


 かき氷の樽に「売り切れ」の札をかけると、お客さんたちから落胆の声が上がった。

 首都の平民の識字率はけっこう高い。もちろん前世のようにほぼ100%とはいかないが、かなりの人がちゃんと字を読む。


「今日も食えなかった」


「私、一回だけ食べたのよ。氷がふわふわで冷たくて、シロップが甘くて。ああ、もう一回食べたいわ」


「いいなー」


「値段の倍出す。なんとか売ってくれんか」


 最後の人には、マルクスが答える。


「すみませんね、まだ量は作れないんです。でも大貴族フェリクス家門が今、準備してますよ。屋台だけじゃなくて、店でも出す予定です。新しい店ができたら、ぜひとも来て下さいね!」


「ああ、もちろんだ。開店したら教えてくれ」


「はい、ちゃんとお知らせしますからね」


 こんなやり取りもしょっちゅうだ。

 ううむ、開発担当の私、責任重大である。

 というわけで、ワインと水の樽にドライアイスを足して、私は一足先にお屋敷に戻る。


 さて、これからは冷却についての実験だよ!







++++






【ティベリウス視点】


 ゼニスの商売は上手く行っているようだ。

 彼女に付けた使用人からの報告を聞いて、俺は事の発端を思い出す。




 いきなり身元の知れない平民の少年を屋敷に連れてきて、ランティブロス王子と一緒に銅貨を数え始めた時は、一体何をやっているのかと呆れてしまった。

 分家と言えどフェリクス家門の者が、軽率にもほどがある。賢い子だと思っていたが、世間知らずなのはいただけない。平民は追い返し、ゼニスには小言を少々言ってやるつもりで、オクタヴィーと一緒に応接間に行った。


 ところがゼニスは予想外の話をし始めた。氷を使って物を冷やし、腐敗を抑える。それを運輸に使うべきだと。

 ――そんなものは、全く想像外だった。

 けれど彼女の言葉は、子供の夢物語ではないと思わせるだけの説得力があった。

 俺は頭脳を全力で回転させて、実現の可能性を探った。結果は「出来うる」だ。


 今まで誰も思いつきすらしなかった、新しい発想。

 肝となる技術は魔法。

 そう、魔法だ。オクタヴィーが可能性を見出して飛び込んだ世界。けれど未だろくな結果を出せず、諦めかけていた分野。


 ユピテルは比類ないほど豊かな国だ。国土は前代未聞の広さに達して、古今東西のあらゆる物資が首都に集まってくる。

 けれどもあまりにも広い国土ゆえに、生鮮物は運搬途中で腐ってしまい、届かぬものも多い。冷蔵運輸とやらが実現すれば、その問題が解決できる。

 贅沢に慣れたユピテル貴族たちは、それらの珍しい品物を金貨を山のように積んででも求めるだろう。


 さらには、食料の輸送を劇的に変える。例えば軍の兵糧。

 大軍を動かす兵站として、輜重は最重要の位置づけだ。そのうち兵糧は主に麦類などの乾燥させた穀物で構成されるが、それだけ食べていては体が保たない。肉や魚、チーズ、野菜類を長期に渡って断てば、健康を害してしまう。そして、それらは腐りやすかった。

 塩漬け肉やドライフルーツで賄っているが、完全ではない。かといって現地徴発は、必ずしも可能ではない。

 冷蔵運輸、冷蔵保管はこれらの問題を解決する可能性すらあった。


 商売上の好機と国政上の変革。

 この大事業を我がフェリクスが先駆けて担うとなれば、どれほどの利益を――私的な収入と国としての公益の両方だ――得られることか。




 ゼニスの言う「大きな可能性」に、俺は久方ぶりに心が沸き立つのを感じた。

 是が非でも実現させたい。その思いを、表に出さないようにするのに苦労した。

 これだけの話を、たった8歳のゼニスが理路整然と提示した事実が信じがたい。天才という言葉ですら言い表せない物を感じた。


 しかし。そうなると、この平民の少年――名はマルクス――の扱いが問題になる。

 彼は冷蔵運輸の話を聞いてしまった。下手に外部に漏れれば面倒が増える。抱き込むしかないだろう。


 本人の話では、病気の母がいるという。それが真実なら都合がいい、母子をフェリクスの使用人として取り込もう。母と子は互いに互いの人質として使える。裏切る心配はぐっと減るだろう。

 まずはマルクスの話の裏を取り、身元の確認をする。もしも彼が嘘をついていて、出自や人間関係に大きな瑕疵があるのであれば、始末するのもやぶさかではない。

 その際はゼニスへの説明が必要だが、恐らくそこまでの事態にはならないだろう。俺が見た限りでは、マルクスは裏表のない少年に見える。


 さて。すぐにでも動かねばならない。

 冷蔵事業の道筋を頭に描いて、効率的な進み方を決める。

 やるべきことは多いが、確固たるゴールが見えている以上、やりがいのある作業である。




 軽く息を吐いて、回想から現実へと戻った。あの時考えた通り、既に事態は動き始めている。

 常に先手を。幸運の女神を捕まえるには、一瞬たりとも停滞は許されない。

 熟考と即断は一見すると矛盾するが、そうではない。

 大局的な視点では熟考を、そして個々の行動や手段は即決を。ビジネスにも政治にも通じる思考である。


 これからさらに、忙しくなりそうだ。

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