第34話 販売開始

 朝、早めに起きて昨日の回廊広場フォルムに行く。

 今日もいい天気だ。まだ早朝といえる時間だけど日差しは強くなり始めていて、お昼までにはきっと暑くなるだろう。

 ティトの他、フェリクスのお屋敷から使用人1人と奴隷の人2人が付いてきてくれた。ラスとヨハネさんはさすがにこれ以上巻き込むわけには行かないので、別行動である。ラスは残念がっていたけどね。


 広場はまだ人がまばらだったが、露店の準備をしている人たちが、マルクスの屋台で朝ごはんを食べている。

 平たくて硬いパンとチーズの切れ端程度の、質素な内容だ。


「マルクス、おはよう!」


「おう、ティトとお嬢様。おはよー。そっちの人たちは?」


「フェリクスのお屋敷から来てくれた、私の護衛兼お手伝い」


「そりゃ助かる。おはようございます、よろしく」


 お互いに挨拶をして準備に取り掛かった。

 ドライアイスの説明をして、お屋敷から持ってきた大きな樽を置く。奴隷の人が荷物持ちをしてくれた。


『そよぐ風に含まれ、生命たちの息吹にて吐き出されるもの。……』


 呪文を唱え、樽の中にドライアイスを注ぐ。それから水瓶の水をいくらか樽に入れた。

 とたんにしゅわしゅわ、もくもくと煙が樽の中に立ち込める。


「うお、なんだこれ!」


 マルクスが樽を覗き込んでびっくりしている。


「ドライアイスと煙、すごく冷たいから素手で触らないようにね。で、この樽の中にワインとお水の瓶を入れるとよく冷えると思うんだ」


「魔法使いすぎ対策か。色々考えるなあ」


 樽を2つ用意してあったので、ワインと水の瓶をそれぞれ入れる。少し待てば冷えてくるはずである。


「さっきの白い小石みたいのが、ドライアイス?」


 樽の様子を横や上から覗き込みながら、マルクスが言う。


「うん。氷よりずっと冷たいから、少しの量でもよく冷えるよ」


「じゃあ、飲み物に入れてもいいのか? ちょびっとでも冷たくなるんだろ」


「飲み物に入れる……」


 私は首をひねった。そういえば、氷みたいに水に直接入れてもいいはずだ。前世ではドライアイスといえば保冷剤で、飲み物に入れる習慣がなかったから失念していた。

 ……何か直接入れてはいけない理由、あったっけ? 要は二酸化炭素だから、別に毒があるわけでもない。問題ないと思う。


「いいんじゃないかな。ただ、大量にいっぺんに冷やすにはこうした方がいいと思っただけだから」


「じゃあ、試してみるか。もいっぺん魔法やってくれ」


「はいはい」


 後ろでティトが「ゼニスお嬢様に馴れ馴れしい口をきいて……」とぶつくさ言っているが、とりあえず聞こえないふりをしよう。

 マルクスが水入りのコップを差し出したので、そこにほんのひと粒だけドライアイスを入れる。

 しゅわしゅわと音を立ててドライアイスが溶けて消えた。


「どう?」

「お、いい感じに冷えてる。冷えてるけど……?」


 今度はマルクスが眉を寄せた。


「飲んでみてくれ」


 コップの水を一口飲むと、口の中でしゅわっとした。微炭酸だ。

 そうか、炭酸水のしゅわしゅわは二酸化炭素だっけ。前世じゃ炭酸水を作る家庭用のメーカーマシンもあって、二酸化炭素ガスのボトルから充填して作るんだった。


 ティトにも飲んでもらったら、やっぱり変な顔をしている。


「口の中がくすぐったいです」


「だよな。変な感じ」


 フェリクスの使用人さんも興味を示したので、飲んでもらった。すると、


「エールに似てますね。北方の蛮族たちの酒ですよ。麦から作る酒で、こんなふうに泡が入ってるんです」


 とのことだった。麦のお酒、ビールのことか!

 しかし蛮族ときた。何でも、ユピテルのお酒はワインがピカイチ。ビールは低俗なんだとか。

 そのためビールは、平民の中でも貧しい人たちを中心に広まっているらしい。


 ううむ、炭酸、おいしいと思うんだけどな。

 ビールだって前世じゃ一番人気のお酒だった。私も大好きだ。

 あ、でも、やっぱり冷えてるかどうかが重要かもしれない。ぬるいワインは普通だけど、ぬるいビールは飲めたものじゃないもの。

 蛮族の酒というイメージをどうにか変えられれば、商機は大きいのでは。


 炭酸水とビール。心のメモ帳にメモっておこう。


 そんなことを喋ったり、ワインと水の冷え具合を確認したりしているうちに、だんだん人出が多くなってきた。

 太陽も高く登り、気温が上がってくる。


「昨日の冷たい水、今日もあるか?」


 お客さん第一号は昨日も来てくれたおじさんだった。


「あるよ!水割りワインでいいかい?」


 マルクスが愛想良く答える。


「ああ、一杯くれ」


「まいどー。大銅貨3枚ね」


「あ? 昨日は2枚だったじゃないか」


 値段はティベリウスさんと相談した時に決めた。いくら庶民向けでももう少し値上げするべきということで、この値段になったのだ。他にはない、オンリーワンの商品だものね。

 おじさんの文句に、マルクスは笑顔のまま言い返す。


「昨日はお試し価格だったのさ。今日からが本番。――さあ、冷たくって美味しい水割りワインが大銅貨3枚だよ! シロップ水は2枚だ!」


 マルクスが大声を張り上げると、通行人たちが振り向いた。


「冷たいの?」


「昨日も売ってたやつか」


「本当にこんなとこで冷たい水があるわけ?」


「今日も暑いからなあ。飲んでみるか」


 そんなことを口々に言って、何人もこちらにやって来る。


「早いもの勝ちだよ!数に限りがあるから、飲みたい人は早めにどうぞ!」


 昨日の混雑っぷりを知っているおじさんは、慌てて大銅貨を3枚渡してきた。


「売り切れちゃかなわん。早くくれ!」


「はいはい、毎度あり!」


 ワインも水ももうすっかり冷えている。おじさんは氷がないのにまた文句を言いかけ、飲んで納得してくれた。


「はー、うまいわー。ちっと高いが、この冷たさには代えられん」


「しばらくここで商売してるから、また来てくれよ」


「おうよ、冷たいワインを楽しみに稼いでくるさ」


 おじさんは満足そうに笑って帰っていった。

 彼を皮切りに次々とお客さんがやって来ては、冷たさに驚き、喜んでくれる。

 今日は私も余裕がある。樽の中の様子を見て、時々ドライアイスを足すくらいだ。ティトとフェリクスのお屋敷のヘルプさんたちも働いているので、たくさんお客さんが来てもきちんとさばけていた。


 結局、午前中のうちに売り切れになった。

 マルクスの屋台は食べ物も扱っているが、こちらはお昼前ということもありほとんど売れ残っている。昼食時まで粘ってみたが、冷えた飲み物がないと分かると帰ってしまう人が多く、あまり売れなかった。


「こりゃあ、明日から食い物の仕入れは減らしていいかもなぁ」


 マルクスがそんなことを言っている。とはいえ、普段の食べ物込みの売上よりもずっと売れたとのことで、口調は明るい。


「じゃあ、今日の売上を数えて分けようぜ。お屋敷まで行くか」


「ううん、マルクスの家が近いんでしょ? そっちでいいよ」


 マルクスへの疑いはかなり薄れているし、護衛で腕っぷしの強い奴隷の人をつけてもらっている。

 でも、彼は首を振った。


「うちはあんまり環境が良くねえから。あそこでこんなにたくさんの銅貨をじゃらじゃらさせたら、泥棒に狙われちまう」


 何でも、彼の家はアパートの最上階。狭いスペースを間仕切りで仕切っただけの雑居状態らしい。隣人に音が筒抜けなので、お金があるとバレると防犯上良くないのだそうだ。

 屋台だけ置き場に置いて、今日もフェリクスのお屋敷で精算することとなった。







 売上は昨日より多かった。飲み物の量は制限していたし、食べ物は売れ残ってしまったのに、やはり値上げが大きかった。悔しいけど顧客単価は大事。


「これなら母さんに栄養のつくもの食わせてやって、薬も買ってやれる」


 マルクスは嬉しそうだ。


「ドライアイスで冷やせば効率が良くて、魔力は氷より少なく済むから。飲み物の量、もっと増やしていいよ」


「おっ、助かる!じゃあ明日は多めに仕入れるよ」


 冷やす時間を考え、今日よりも早い時刻で待ち合わせを決めた。


 マルクスが帰ろうとすると、ティトが呼び止めた。

 

「な、なんだよ」


 びくっとするのが可笑しい。初日にめちゃくちゃ怒られたせいで、マルクスはティトが苦手みたい。クレームつけてくるお客は軽く流すくせに、なんだろうね。


「これ、お母さんに食べさせてあげて」


「……え」


 ティトが差し出したのは、ちょっとした食べ物。プラムとかクルミとか、そんな感じのものだ。


「もらえねえよ。買うとけっこう高いだろ、これ」


「お屋敷の宴席で余った分をもらったのよ。気にしないで。あんたは馴れ馴れしくてムカつくバカだけど、病気は気の毒だから」


 マルクスは戸惑った顔でティトと果物類を交互に見て、やがて二カッと笑った。


「そっか、ありがと!母さん喜ぶよ」


 食べ物を受け取って布で包み、そのついでとばかりにティトをぎゅっとハグした。


「な、なにすんのよ!?」


「へへっ、じゃあまた明日な!」


 真っ赤になったティトに手を振って、マルクスは元気よく坂を駆け降りていく。


 あらぁ……。青春だわぁ。二人とも13歳だものね。

 悪態をつくティトの横で、私は年長者特権とばかりにニヤニヤと、いや、暖かい目で成り行きを見守る決意をしたのだった。

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