第32話 プレゼン2

「だが、それならばなおさら、平民向けの商売は不要だろう。いくら規模を広げたとて、所詮は銅貨の商売だ。労力の割にたかが知れている」


 ティベリウスさんは銅貨が入った壺を目線で示した。マルクスにとっては大金の、今日の売上を。


「氷、冷凍と冷蔵だったか。それらの技術の実績も、魔法使いの訓練も貴族層への商いで足りるだろう」


 そうきたか……。プレゼンの方向を間違ってしまったのかもしれない。理屈だけで言えば、ティベリウスさんが正しいと思う。


 でも、今日。

 私の作った氷の飲み物を飲んで、「うめー!」って叫んでたお兄さんの嬉しそうな顔が心に残ってる。

 母親に連れられた女の子がひんやりシロップ水を飲んで、最初はびっくりして、次にぱあっと笑った笑顔も。


 私自身が庶民のせいか、今日触れた人々の日常が心に迫ったんだ。

 ああ、私も前世で仕事に疲れて、深夜のコンビニでちょっとお高いアイス買って、癒やされたっけな―って。

 異世界でも人間はそんなとこは一緒なのか、と。

 そういう気持ちを、顧客単価が低くて割に合わないだなんて正論で投げ捨てるのは、……嫌だなぁ……。


 正論に対して心情論を訴えて、ティベリウスさんに通じるだろうか。それに一応は貴族のゼニスが、なんでそこまで平民に肩入れするのか聞かれたら、どう答えればいいのやら。

 でも、ここで尻込みなんてしたくない。私自身の感傷だけではなく、マルクスの生活と薬代もかかってる。やれるだけやらなきゃ。

 そう覚悟して、私が口を開きかけた時。


「いいんじゃない? 平民向けに少しばかり労力を使って、人気取りしておくのも」


 意外な人が味方してくれた。オクタヴィー師匠だ。


「氷の魔法も、まだまだ開発余地があるでしょ。いきなり貴族に商品を持って行くより、テストも兼ねて平民向けから始めるの、悪くないんじゃないかしら」


「そう、そうです! 氷の魔法も今のままだけじゃなくて、いくつかアイディアがあるんです。それらを試しながらやりたいので、マルクスの屋台での商売、許可を下さい!」


 私は全力で師匠に乗っかった。

 自分の名前を出されて我に返ったマルクスが、「お願いします!」と頭を下げている。


 少しの沈黙が流れた後、ティベリウスさんは大きく息を吐いた。


「やれやれ……。我が家の魔法使い筆頭の、オクタヴィーにそう言われては仕方ないな。まあ、テストという体ならば、平民に流行の先取りをされたと騒ぐ連中も少なくて済むだろう。

 ――分かったよ。平民向けの商売の許可を出そう。当面はそのマルクスの屋台を使うんだね」


「やった! リウスさん、ありがとう!」


「ありがとうございます……!!」


 マルクスと手を取り合って喜んで、はっと気づいて離れた。気まずい。

 ティベリウスさんは苦笑しながら続ける。


「マルクスの屋台を使うのはいいが、フェリクスからも人手を出そう。ゼニスの身の安全確保もあるし、平民たちの反応も直に知りたいからね。他にも話を詰めておこうか」


「はい!」


 その後、フェリクスの人手の数や役割、売上の取り分などがざっくり決められた。新しい商売なので、都度内容を見直すという条件で。

 近いうちに屋台をフェリクスが買い上げ、マルクスは雇われ店長になるということで合意する。

 仮の契約書が用意され、ティベリウスさん、マルクス、私で署名した。屋台を買い上げた後にまた正式な契約書を交わすとのこと。

 私もマルクスも未成年だが、要はティベリウスさんのお墨付きがもらえればいいのだろう。

 屋台の買い上げまでは、私は個人的にマルクスの手伝いをする形となる。


 そうしているうちに辺りはすっかり夕暮れ時になっていた。


「母さんが心配だから、今日は帰っていいですか」


 マルクスがそう言って、ティベリウスさんが頷く。明日も同じ広場で落ち合うことになった。

 屋台のワインやシロップの仕入れは、当面は同じ商店からやるそうだ。急に取引先を変えると悪評が立ってしまうらしい。

 屋台をフェリクスが買い上げたら、その辺りも調節しなきゃだね。


 屋台を引いて坂道を下っていくマルクスを見送る。大人の話に付き合って疲れてしまったラスをねぎらい、解散になった。





 


 今日の夕食も終わり、あとは寝るまで時間がある。今のうちにできるだけの工夫をしてみよう。

 私はティトと一緒に自室に戻って、考え始めた。


 魔力に限りがあり、当面は魔法使いは私だけである以上、いかに効率よく冷えた飲み物を作るかが問題だ。

 今日は勢いで氷を量産してしまったが、もっといい方法があるはずだ。

 ただ、加熱と比べて冷却はハードルが高い。水を沸騰させるのは、お鍋に水を入れて火にかければ済む。でも、冷蔵庫やその他の機器がない状態で水を氷にするのは、かなり難しいと思う。


 氷以外でものを冷やす、すぐ思いついたのは氷に塩を混ぜるといった「寒剤」の使用だった。

 寒剤とは、混ぜ合わせると低温が得られる物質の組み合わせ。

 氷と塩は、子供向けの科学番組なんかで時々見かけるよ。昔からある方法で、私も小学生の時に自由研究でやったことがある。

 氷に塩を混ぜるとマイナス20度くらい(うろ覚え)まで温度が下がるので、アイスクリームを作るのにちょうどいい環境になる。

 小学生だった私は張り切ってバニラアイスを作り、出来上がったところで下の姉に食べられてしまって半泣きになった。懐かしい思い出である。


 ただ、コストを考えると今回はダメそうだ。

 ユピテルは半島に首都がある国なので海が身近。そのため塩はそこまで高価ではないが、そうは言っても1杯大銅貨2枚のドリンクに使えば赤字だろう。それなりの量が必要だったはずだし。

 今後、貴族向けの趣向を凝らしたアイスやかき氷の時は使えるかもしれない。メモっておこう。


 となると、後は何だろう。

 氷より冷たいもの……。うーん、ドライアイスとか? あと液体窒素。

 液体窒素はともかく、ドライアイスは魔法で出せるだろうか。

 よく考えたら、水や氷だって謎の魔力パワーでどこからともなく出てくるもの。ドライアイスも行けるのでは?

 

 これが、師匠が助けてくれた時に言った『氷の魔法の他のアイディア』だ。口からでまかせを言ったわけではない。

 よし、さっそく試してみよう。


「…………」


 氷の部分を『ドライアイス』に変えて呪文を唱えようとして、気づいた。

 魔法語にドライアイスなどという単語は存在しない。

 無駄に口をぱくぱくさせる私を、ティトが生暖かい目で見守っている。このくらいの奇行は慣れたものらしい。慣れなくていいから!


 えーとえーと、それならば。

 ドライアイスって、二酸化炭素が凝固したものだったか。なら、二酸化炭素を凝固点まで冷やすという呪文で……。


 いかん、『二酸化炭素』も魔法語の語彙になかったわ。どうしよう!

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