第30話 マルクス

「見なさいよ、お嬢様の顔色が真っ青じゃない! あんたは知らないだろうけど、魔法はたくさん使うと具合が悪くなるのよ。元気が取り柄のお嬢様が、前に吐いて大変だったんだから!」


 ティトはすごい剣幕だ。


「こんなに無理をさせて! 許さないわよ!!」


「ご、ごめん……?」


 少年はあまりの勢いにぽかーんとしてる。


「ていうか、あんた名前くらい名乗りなさいよ。なんなの!」


「あ、えっと、名前はマルクスです」


 すっかり気圧された様子で、マルクスが名乗った。

 さらにティトが言い募ろうとしたので、私は止めた。


「ティト、そのくらいで。謝ってるし」


「お嬢様もお嬢様です。断って切り上げればいいのに、なんで最後まで付き合ってるんですか。ラス様も心配してますよ」


 見れば、ヨハネさんの服の裾を握ったラスが、不安そうな顔でこちらを見ていた。

 どっちかというと、いつも礼儀正しいティトが急に鬼神になったから、びっくりしてるんじゃないかな。あれは。


「お嬢様はいつもはメチャクチャなくせに、こういう時ばっかり大人しいんだから。バカなんですか。バカでしょ?」


 ひどい言い方である。でも、ティトにはイカレポンチ時代から迷惑をかけ続けている自覚がある。今回もどうやら私を案じてくれているようだ。あれかな、バカな子ほどかわいいってやつ。


「私は大丈夫だよ。本当に吐くくらい気分が悪くなる前に、ちゃんと言うつもりだったから」


「そうですか……?」


 ティトは疑いの目を向けた。まあ確かに、私は夢中になると引き際を見誤りがちだから……。

 そんな私たちのやり取りを見て、マルクスが気まずそうに頭を掻いた。


「魔法の使いすぎで具合が悪くなるなんて、知らなかったよ。悪いことをした」


 言いながら屋台のお金を入れていた壺を取り出して、ちょっと振っている。じゃらじゃらと重たげな音がした。


「分け前、上乗せして払うよ。そのくらいしか出来ないけど、いいか?」


「当然ね。売上全部もらったっていいくらいなのよ。ここでタダ働きだなんて言い出したら、ぶっ飛ばすわよ」


 いかん、ティトがイカレポンチの影響を受けている。

 そして、全部はさすがにないと思うよ。原価はマルクス持ちなわけだし。


「ここで銅貨を広げるわけにもいかない。うちに寄っていってくれ。すぐ近くだよ」


 今の時間はお昼が終わって間もなくというところだ。時間的には問題ないが、マルクスに素直についていってもいいものか? 騙されてさらなる面倒や犯罪に巻き込まれたりしないだろうか。

 私は彼の目を見た。ティトの剣幕にビビっているだけで、特に悪だくみをしているようには見えない。

 でも、私、人物を見る目なんて持ってないからなあ……。


「だめよ。あんたが私たちについてきなさい。お屋敷でお金を数えるわ」


 ティトがびしっと言った。うん、ラスもいるし、その方が安心だね。


「お屋敷ってどこ?」


「あそこの丘の上」


 フェリクスのお屋敷がある高台を指差す。マルクスがぎょっと目をむいた。


「あそこ、大貴族の邸宅がある場所じゃないか! あんたら、いや、あなたさまたち、大貴族だったのか?」


「いやいや、居候してるだけの分家だよ。私は下級貴族」


 こんなとこで見栄を張るのもどうかと思い、つい正直に言った。もっともラスは王子様なわけだが、黙っておこう。こんな場所で身分をひけらかしても、いらない危険を呼び込むだけだ。

 ユピテルではよくある中世のイメージよりは、身分の差が少ない。貴族と言えど理由なく平民を傷つけたりしたら、ちゃんと裁かれる。

 とはいえ大貴族になるとまた別世界だろう。マルクスが驚くのも無理はない。


「さ、行くわよ。屋台引いてついてきなさい」


「ひえ~……」







 屋台を引いて高台まで登るのは、なかなか大変そうだった。水やワインがすっかりカラになっているから、まだましかな。

 マルクスは初夏の日差しを受けて、汗だくになりながら屋台を動かしている。見かねたヨハネさんが少しだけ手伝っていた。

 私も手伝おうとしたら、ティトにもラスにも止められた。まだ顔色が悪いって。


 お屋敷に到着し、門番の人に事情を説明したら、入り口近くの応接室に通された。屋台は門の横で預かってくれることになった。

 部屋で銅貨の壺をひっくり返して、みんなで数える。


「ラス、数はいくつまで数えられるようになったの?」


「100までです。はやくゼニス姉さまに追いつけるよう、勉強がんばります」


「6歳で100まで数えられれば、がんばってると思うよ」


 ユピテルの教育水準から見たらそうだと思う。日本ほど学校や教育カリキュラムが整っているわけじゃないからね。

 私たちがそんな会話をしている横で、マルクスは冷や汗をかきかき銅貨を数えていた。


 金額は1日の売上としては相当なものらしい。うち、原価を差し引いた粗利益の半分をもらうことになった。

 半分ももらっていいのだろうか? と思ったが、ティトの怖い顔を見て口出しはしないでおいた。

 それをラス、ヨハネさん、ティトにさらに分けようとしたら、固辞された。大したことはしてないからって。

 お財布が銅貨でぱんぱんになってしまった。これが金貨、せめて銀貨だったらすごいのになぁ。


「それで、あの、ティトさん。と、お嬢様?」


 恐る恐る、という感じでマルクスが口を開く。


「明日も氷を頼みたいんだけど……」


「はあ!?」


 たちまち目が吊り上がったティトに、マルクスは慌てて言った。


「図々しいのは分かってる! でも俺、お金がどうしても必要で。お嬢様の具合が悪くならないよう、ちゃんと数を決めるから。頼む、この通り!」


 彼は片膝をつき、体を丸めるようにして深く頭を下げた。これは、最上級の敬意と謝意を表す礼だ。日本で言うところの土下座である。


「なにか事情があるの?」


「お嬢様」


 聞く必要なんてないと目で言ってくるティトに首を振り、私は質問してみた。


「母さんが病気になっちまった。いつもは屋台もふたりでやってるんだけど……。生活費と、薬代を稼がないと」


 頭を下げたまま、マルクスが答える。


「お父さんはいないの?」


「ずいぶん前に、火事に巻き込まれて死んだよ。おかげで店も燃えちまって、それ以来屋台をやってる」


 ううむ……。気の毒な身の上だとは思う。

 なにか下心があって同情を引く話をしている可能性もゼロではないが、大貴族の縁者相手に下手な嘘をついても、いいことないだろうし。

 こういう話はきっと、ユピテルにたくさんあるのだと思う。その人たちを全員助けてあげるわけにはいかない。私はそこまで慈善心のある人間じゃない上に、そもそもお金もない。


 今回、そりゃあ最初は無理やり巻き込まれた感じで、あまりいい出会いではなかったよ。

 ただ、こんな妙な縁でも、目の前にいる人を見捨てるのは……少し心が痛い。

 せいぜい、少しの施しをして放り出すのが一般的な正解なんだろうが……。


 ――待てよ? そうか、一方的な「施し」でなければいいのか。

 私自身の利を絡めて、彼にとってもいい話にすればいい。


 冷たい飲み物は、私が一応貴族でフェリクスのお屋敷に住んでいるせいで、そこまでの貴重さがあると思っていなかった。いつでも汲みたての井戸水を飲めたから。

 このお屋敷には氷室もあり、賓客を招いた宴席なんかでは氷を使った料理やデザートも振る舞われる。

 でも、そんなの庶民には、なんならちょっと裕福な程度の人々にも縁のない話。

 今日、それを実感した。


 この国には冷蔵庫も冷凍庫もない、でも、魔法で氷は出せる。ここに商機がありそうだ。


「いいよ。ただ、明日は難しいかも。ここのご当主に相談してからにしたい」


「お嬢様!」


 ティトを手で制して、私は言い切った。マルクスが顔を上げる。


「私はまだ子供だし、このお屋敷でお世話になってる身だから。勝手に決められないんだ。でも、なるべく協力したいと思ってる」

「ありがとう!もちろん、明日でなくてもいい。助かるよ!」


 マルクスが私の足元に跪こうとして、ティトに追い払われている。


「それじゃ、なるべく早いうちにリウスさんに相談して、結果を知らせるから――」


 と、私が言いかけたところで。


「俺がどうかしたかな? 相談なら、今、受けてもいいよ」


 ティベリウスさんとオクタヴィー師匠が揃って応接間に入ってきて、私はめちゃくちゃびっくりしたのだった。

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