第29話 屋台の少年

「飲み物は何がありますか?」


「いらっしゃい! 飲み物ならワインの水割り、それに果物シロップ水があるよ。ワイン水割りにシロップを入れてもいいぜ!」


 屋台を切り盛りしているのは、まだ年若い少年だった。13歳のティトと同じくらいに見える。日によく焼けた褐色の肌の、黒い髪をした男の子だった。

 瞳も黒が濃い。もしかしたら、南方の血が入っているのかもしれない。


「じゃあ、ワインの水割り1つ。それからシロップ水をみっつ下さい」


「毎度あり」


 代金を受け取ると、彼は屋台に積んであった水瓶のふたを開ける。ワイン、水がそれぞれ入っていた。

 一つのカップにワインと水、残りのみっつに水を入れ、水だけの方には小さな壺からシロップを追加して差し出してくれる。

 カップは使い込まれた銅製で、持ち手のところに紐が結わえてあった。盗難防止だろう。


 椅子席などはないので、その場で飲む。ワインがヨハネさん、子供組はシロップ水だ。シロップはオレンジを煮詰めたもので、爽やかな味だった。


「おいしいです」


 ラスはニコニコしているが、私はちょっぴり不満だった。水がぬるくて冷えていないのだ。冷蔵庫があるわけでもなし当たり前なのだが、初夏の日のドリンクはキリッと冷えていた方が美味しいではないか。


「みんな、飲むのちょっとストップしてね。氷を入れよう」


 それぞれカップを乾杯するように近づけてもらい、呪文を唱える。


『小さき氷の精霊よ、その息吹を微細なる欠片として、我が手より放ち給え』


 かざした手から小さい氷の破片がぱらぱらと落ちて、カップに入った。ちょっと薄まってしまうけど、これで冷たいドリンクになる。

 この氷の魔法は呪文を一部変えることで氷の大きさや量も変えられる、汎用性の高いものだ。なお攻撃魔法として射出もできる。


「おいしい! 姉さま、冷たくなるだけで、すっごくおいしいです」


「街角で冷たい飲み物が飲めるとは、贅沢ですな」


 ラスが喜んでくれた。ヨハネさんもカラカラと氷を鳴らしながら、ワインを飲み進めている。


「お嬢様の魔法も捨てたものではないですね」


 と、ティト。相変わらず辛辣な口調だけど、氷のかけらを噛みながら言っても迫力ないからね?

 私は得意な気持ちになりながら、シロップ水を飲んだ。ひんやりしてて、喉越しさわやか。


 と。


「飲み物が冷えてるって? そんな贅沢なものがここにあるのか?」


「冷たい水だなんて、汲みたての井戸水なの? 飲みたいわ」


 気づいたら、周りにちょっとした人だかりが出来ていた。

 しまった、調子に乗って騒ぎすぎたか?

 さっさと退散した方がいいかもしれない。

 見れば、ラスのコップはまだ半分くらい残っている。この子は飲食がゆっくりだからなあ。

 無理に急かすのはしたくないんだけど、仕方ない。何なら後でまた氷入りのドリンク作ってあげよう。

 そう思ったのだが。


「冷たい水をくれ」


「あたしはワイン割りがいいわ」


「俺も水割りワイン」


 時すでに遅し、少年の屋台に人が集まり始めている。

 思わぬ来客ラッシュに戸惑っている少年と、コップを返そうとした私の目が合ってしまった。


「魔法使いのお嬢ちゃん、助けてくれ! ここでぬるい水を出したら、俺、きっと吊るし上げられちまうよ」


 おお、さすが首都の住民。魔法も魔法使いもきちんと知っている。

 いやいや、そうではなくて。私は慌てて逃げを打った。


「いやあ、そこまでのことはないと思うよ。私これで帰ります~ごちそうさま~」


「待ってくれ! お願いだ、見捨てないで!」


 振り切ろうとしたのに、なんか人聞きの悪いセリフを大声で叫ばれた。

 その声を聞きつけて、さらに人が集まってくる。


「なんだ、なんだ」


「修羅場か?」


「冷たい水があるらしいわよ」


「こんな広場の真ん中で? どれ、ひとつもらおうか」


 いかん、収拾がつかなくなってる。わちゃわちゃと人に揉まれてフリーズしかけた私の手を、屋台の少年が取った。


「さあ皆さん! この小さな魔法使いのお嬢ちゃんが氷を出して、冷たい飲み物を作ります。順番に並んだ、並んだ!」


 うわ、こいつ商魂たくましい!

 握られた手はヨハネさんがすぐに取り返してくれたけど、こうなったら逃げるのも難しい。


「お嬢様、どうします?」


「どうもこうもないよ。仕方ないから、今だけ氷係やる。ヨハネさんと一緒にラスのことをお願い」


 なるべくさっさと客をさばいて終わらせたい。


「水割りワインは一杯大銅貨2枚! シロップ水は大銅貨1枚半だ! 冷え冷えでおいしいよ!!」


 少年が威勢のいい声を出した。それ、さっきより値上がりしてるぞ? ちゃっかりしてるなあ……。

 私は諦めて、早口で何度も氷の魔法を唱える。

 次々と差し出される、銅貨を握ったお客さんの手、手、手。備え付けのコップをフル動員しても足りず、自前のコップを持っている人を優先したりもした。


「うめー! 夏の暑い中で冷たいのを飲むと、こんなにうまいなんて!」


「生き返るわぁ」


 そんなお客さんの声がさらに次のお客を呼ぶ。

 ちょうどお昼時に差し掛かっていたせいもあり、平たい堅パンやチーズなどの食べ物も売れている。

 ふと気づくと、ティトやラス、ヨハネさんまで屋台を手伝っていた。なにやってんの。ていうかラス、人の波に潰されないように気をつけて!


「売り切れ! 売り切れです! ワインもシロップも水も、もう全部ありませーん。売り切れですー!」


 目の回るような忙しさの中で、少年が叫んだ。並んでいたお客さんがぶうぶうと文句を言うけれど、ないものはどうしようもない。

 中には食って掛かる人もいたが、


「ごめんなさいね! はいこれ、お詫びのパン。並んでた人にはお詫びします。あ、だめだめ、並んでない人はあげないから!」


 ささっと残り物の食べ物を配り、人々がちょっと大人しくなったところで、手早く屋台を店じまいした。

 片付けられた屋台を見て、だんだん人も散っていく。


「いやー、すごかった! 完売したのなんて初めてだよ。小さい魔法使いに感謝」


 額の汗をぬぐい、少年が実に嬉しそうな笑顔で言った。

 魔法を連続して使ったせいで疲れていた私は、文句を言う気力も残っていなかったのだが。

 怒り心頭していた人物がひとりいた。


「あんたね! 自分の商売にうちのお嬢様を利用して、この落とし前、どうつけてくれるの!?」


 いつもの丁寧な口調はどこへやら、目を吊り上げたティトが鬼神みたいな迫力で仁王立ちしていた。

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