第21話 姉さま
お風呂から上がって服を着て出ると、ティトが待ち構えていた。
「ゼニスお嬢様、ラス殿下が倒れたと聞きましたが」
「うん、散歩の途中で具合が悪くなっちゃったの。介抱したら少し落ち着いたから、戻ってきたよ」
ティトは私の服が汚れた原因も聞いたようだ。
「お嬢様は何ともないですか?」
「私は平気。今から殿下の部屋に様子を見に行こうと思ってるけど、飲み物とか持っていった方がいいかな?」
「吐いたんですよね? すぐには飲めないのでは」
「あ、そっか」
前世はともかく今生の体は健康体なので、そんなことも忘れてた。だめじゃん。
「口をすすぐ程度にして、少ししたら白湯をゆっくり飲ませるといいと思います」
ティトはさすがに子守で慣れている。私とアレクの面倒を見てくれていたものね。
「もし飲めるようなら、蜂蜜を溶かしてあげてもいいかもしれません」
蜂蜜湯は私もアレクも好物だ。そういえば、たまに風邪を引いた時なんかにティトが作ってくれたっけ。
「分かった、ありがとう。じゃあ今は部屋に行ってみて、後で白湯が飲めそうならお願いするね」
「はい」
とりあえず口をすすぐ用の水差しを持って、二人でラス王子の部屋に行く。ノックをして返事があったので中に入ると、寝台で横になった王子とその脇に付き添っているヨハネさんがいた。
「具合はどうですか?」
「だいじょうぶです」
私が聞くと、ラス王子が答えた。とても大丈夫そうには思えない、弱々しい声だった。
「お水を持ってきました。飲めそうですか?」
彼は首を横に振る。では、ということで、水差しの水で口をすすがせた。吐き出した水は洗面器に入れて、ティトが片付けてくれる。
「大変でしたね。無理に散歩に誘ってしまって、ごめんなさい。今日はゆっくり休んで下さいね」
「ゼニスは悪くありません。僕がちゃんとできないから、悪いんです」
私は思わず目の前の男の子を見た。彼は思い詰めたような目をしている。
こんなに小さいくせに、なんでそんな痛々しいことを言うんだ? ヨハネさん、教育方針間違ってるよ。
思わず険しい目でヨハネさんを見てしまった。視線に気づいたはずだが、何も言ってこない。
「……ラス殿下は悪くないですよ。この病気は疲れていたり、心配なことがいっぱいあるとかかってしまうんです。殿下は小さいのにお父様やお母様と離れて、長い間旅をして、知らない国に来たばかりでしょう。疲れてしまって当たり前ですよ。
きっと寂しいと思うけれど、せめて心も体もゆっくり休めてあげて下さい」
王子様は不安そうな目で私の話を聞いている。
ちょっと迷ったが、思い切って片手を握り、頭を撫でてみた。されるがままに大人しくしている。ヨハネさんが止めてくるかと思ったけれど、彼も黙ったままだった。
しばらくの間そうしていると、小さな王子はだんだん眠くなってきたようで、やがて静かに寝息を立て始めた。
眠ったのを確かめて手を離す。
立ち上がると、ヨハネさんが呟くように言った。
「私は、殿下に厳しくしすぎたのでしょうか」
独白みたいな口調だったので、返事をするべきか悩んだが、私は答えてみた。
「どうでしょうねぇ……。色んな事情があるでしょうから、私には何とも。でも、具合が悪い時くらいは優しくしてもいいかなって」
言いたいことは色々あったが、眠っている子供の前で喧嘩腰になりたくなかった。
ヨハネさんの返事はない。
一度部屋を辞するべきかと考えていると、彼は続けた。
「疲れや心労が多いとかかる病気とおっしゃいましたな。どうすれば治りますか?」
「一般論ですけど、なるべくストレス――心労の種を取り除いて、ゆっくり休養するといいはずです」
「それは……難しいかもしれませんな……」
異教徒だらけの異国だもんね。でも別にフェリクスの人たちも彼らをいじめようと思ってるわけじゃないし、慣れれば何とかなるんではないか。
「ラス王子の心が休まるよう、私も協力しますから。ヨハネさんも、ちょっとだけ甘やかしてあげて下さい」
「甘やかす、ですか。私は今まで、自分にも他人にも厳しくあるよう生きてきました。どうしたものか……」
8歳女児に変な弱音を吐く30代男性の絵面である。まあ8歳の中身は40歳なので、おかしくはないのかもしれない。
「えっと、じゃあとりあえず、今夜は手を握っていてあげて下さい。人のぬくもりを感じると、安心しますから。……戒律違反になります?」
「いえ、それはありません」
「なら、お願いします。後でお湯のポットと蜂蜜を持ってきますので、口にできそうでしたら飲ませてあげて下さい」
「承知しました」
私は頷いて、ティトと一緒に部屋を出た。
ヨハネさんも悪い人ではないと思う。王子の保護者役になって、いろいろ悩んでいたんだろう。
ドアを閉じる前に振り返ったら、さっそくベッドの横に膝をついている彼の姿が見えた。
その後、ラス王子の体調は多少の波がありながらも、だんだんと良くなっていった。他の病気を心配していたが、特にこれといった症状もなかった。
過呼吸の発作は何度か起きたが、例の呼吸法のおかげで治りが早く、消耗も抑えられた。
何度目かの発作の後、寝台の上の背中をさすってあげていると、こんなことを言われた。
「いつも、ありがとうございます。ゼニスのおかげで、苦しいのが減りました。それで、あの、お願いなんですが……」
「何でしょう?」
「姉さまと……ゼニス姉さまと呼んでいいですか?」
苦しい発作の後のちょっと潤んだ目で言われて、私のハートは射抜かれた。かわいいなぁ、おい!
弟のアレクも元気いっぱいでかわいいけど、それとはまた違ったタイプの愛らしさだ。金髪の巻き毛が天使みたい。
「もちろんいいですよ!!」
変に気合が入った返事をしてしまったが、やむをえまい。
あと本当はゼニスおばさま(40歳)なんだが、そこは転生特典ということで気にしないでおこう。
「僕のことは、ただのラスと呼んでください。王子も殿下もいらないです」
「えーっと、それは……」
脇に控えていたヨハネさんを見ると、ちょっと目を細めたまま黙っている。黙認してくれるってとこかな?
「はい。じゃあラスと呼びます」
「あの、できたら言葉使いも普通にしてください。ティトや他の人に言うみたいに」
「その方がいいなら、そうするね」
そう言うと、ラスは嬉しそうに笑った。この子の屈託のない笑顔は初めて見た気がする。なんだかほっとするなあ。
ラスにも丁寧語をやめるよう言ってみたが、母国語と並行して覚えたユピテル語が丁寧語基準だったらしい。この方が喋りやすいということで、そのままになった。
少しずつ秋が深まる中、ラスは元気を取り戻していった。
適度な運動もしようということで、私やティトとお屋敷で鬼ごっこをしたり、その辺を散歩したり、ラジオ体操をしたりした。ラジオ体操は他の人に変な目で見られたが、気にしても始まらないし?
冬になる頃には、食事もだいぶ食べられるようになった。シャダイ教の決まりで口にできないものはともかく、それ以外のものはなるべくバランスよく食べた方がいいよ! と主張したら、がんばって聞いてくれたのだ。苦手だったニンジンも、今ではそこそこ食べてくれる。
ヨハネさんは基本、厳格な雰囲気を崩さないが、多少のことは黙認してくれるようになった。とはいえシャダイ教の戒律は彼にとって大切なものなので、お祈りや安息日やその他の決まりはラスと2人できっちり守っている。
フェリクスのお屋敷の人々もシャダイのやり方に慣れてきて、奇異の目で見ることもなくなった。
ティベリウスさんもラスと話す時間を作ってくれた。オクタヴィー師匠は「私、病気の子供はこの世で一番嫌いなの」と言って寄り付かなかったが……。
全体として、おおむね良い方に変わったと思う。
そして私は気づいたのである。
やばい。魔法学院の卒業課題、なんにも進んでない。……と。
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